アッピウス・クラウディウス・カウデクス

（生没年不詳）

アッピウス・クラウディウス・カウデクスは、共和政ローマ期に活動したパトリキ（貴族）出身の政治家であり、軍人です。彼は紀元前264年に執政官（コンスル）を務め、地中海の覇権を巡るローマとカルタゴとの間で勃発した第一次ポエニ戦争の端緒を開いた人物として知られています。

彼のコグノーメン（家族や個人に与えられる別称）である「カウデクス」には、「愚か者」という意味があったとされています。しかし、古代の一部文献では「豪胆（Audax）」とも称されており、彼の軍事的・政治的行動からは、この「豪胆」という評価の方がより適切であったのかもしれません。

戦争の引き金となったシキリア介入

カウデクスが執政官であった紀元前264年は、ローマが初めてイタリア半島を出て海外へ軍事力を展開した記念すべき年となりました。この海外遠征が、後に長期にわたる第一次ポエニ戦争へと発展していきます。

戦いの発端は、シキリア島（現シチリア島）北東部の要衝メッサナ（現メッシーナ）を巡る状況でした。紀元前288年以降、メッサナはカンパニア出身の傭兵集団マメルティニに占拠されていました。紀元前265年、シキリア島東岸の強力な都市国家シュラクサイの僭主ヒエロン2世がメッサナを攻撃し、マメルティニからの奪回を図ります。追い詰められたマメルティニは、島に展開していたカルタゴ艦隊に救援を求め、ヒエロン2世の攻撃を退けることに成功しました。しかし、カルタゴ軍はそのままメッサナ周辺に留まり、今度はマメルティニの支配を脅かし始めます。カルタゴ勢力の拡大を嫌ったマメルティニは、矛先を変えてローマに援助を求めました。

マメルティニからの救援要請に対し、ローマ国内では激しい議論が巻き起こりました。歴史家ポリュビオスの記録によれば、元老院はシキリア島への介入がカルタゴとの対立を深め、得られる利益も少ないとして消極的でした。しかし、民衆はシキリア島での略奪による富に期待を寄せ、積極的に介入を主張しました。最終的には民衆の意向が強く反映され、執政官カウデクスを指揮官とする軍隊の派遣が決定されました。

シキリア島への渡海作戦

当時のローマは強力な陸軍を有していましたが、本格的な海軍はほぼ皆無でした。このため、シキリア島への渡海には、南イタリアに位置する同盟関係にあるギリシャ系都市国家から船を借り受ける必要がありました。カウデクス率いるローマ軍は当初、昼間にメッサナ海峡を渡ろうとしましたが、地中海の制海権を握るカルタゴ海軍によって阻止され、船を鹵獲されるなど失敗に終わります。カルタゴの司令官ハンノは、鹵獲した船をローマに返還することで、武力衝突を避けようと交渉を持ちかけました。

しかし、カウデクスはこの提案を受け入れませんでした。彼は巧妙な計略を用います。ローマ軍を一旦イタリア本土へ引き返すかのように見せかけ、カルタゴ軍を油断させたのです。そして、その隙を突いて夜間に部隊を一気に乗船させ、無事シキリア島、メッサナ近郊への上陸を果たすことに成功しました。この上陸は、ローマが地中海世界へ本格的に進出する第一歩となりました。

メッサナの解放とシュラクサイ包囲

ローマ軍がシキリア島に上陸した頃、メッサナ市内ではマメルティニが策略を用いてカルタゴ軍を追い出していました。マメルティニはカウデクスをメッサナ市内に迎え入れますが、事態は急変します。カルタゴはメッサナから追放された司令官を処刑し、ただちにメッサナ奪還のための軍を進めます。さらに、ヒエロン2世もカルタゴと同盟を結び、自軍を率いてメッサナを攻撃し、カウデクスとマメルティニの籠る市を包囲しました。

メッサナ市内で敵軍に包囲されたカウデクスは、まずマメルティニだけでも安全に脱出させようと敵との交渉を試みますが、無視されます。状況打開のため、カウデクスは包囲軍に対する反撃を決断します。彼はまず、シュラクサイ軍に攻撃を仕掛けました。激しい戦闘の末、カウデクスはヒエロン2世の軍を打ち破り、ヒエロンはシュラクサイへと撤退しました。翌朝、カウデクスはカルタゴ軍にも攻撃を仕掛け、これを退けてメッサナの包囲網を突破します。勢いに乗ったカウデクスはそのままシュラクサイまで進軍し、ヒエロン2世の本拠地であるシュラクサイを包囲しました。

この後、ヒエロン2世はローマに降伏し、ローマと同盟を結んだと伝えられています。また、歴史家エウトロピウスによれば、アッピウス・クラウディウス・カウデクスはこの一連の軍功により、ローマで凱旋式を行う栄誉を得たといいます。

カウデクスによるシキリア島への軍事介入と、その後のカルタゴ・シュラクサイ連合軍との戦闘は、ローマとカルタゴの間に決定的な緊張を生み出し、約20年間に及ぶ第一次ポエニ戦争へと発展していったのです。

一族

アッピウス・クラウディウス・カウデクスの祖父の個人名（プラエノーメン）はアッピウス、父はガイウスでした。古代の歴史家による記述の中には、カウデクスを、アッピア街道の建設などで知られる共和政ローマ初期の著名な政治家アッピウス・クラウディウス・カエクス（盲人アッピウス）の兄弟とするものもあります。また、第一次ポエニ戦争中の紀元前249年に執政官となり、ドレパナ沖の海戦でカルタゴに大敗を喫したプブリウス・クラウディウス・プルケルは、カウデクスの子である可能性が指摘されています。

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