アニー・フィッシャー

アニー・フィッシャー（1914年7月5日 – 1995年4月10日）は、20世紀後半にかけて国際的に活躍したハンガリーの代表的な女性ピアニストです。ブダペストに生まれ、その生涯にわたり独自の深い解釈と卓越した技術で多くの聴衆を魅了しました。

彼女は幼少期から類稀なる音楽的才能を示し、伝承によればわずか8歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏したとされています。1923年には、ハンガリーが誇る音楽教育機関、フランツ・リスト音楽院に入学し、高名な指導者アルノルド・セーケイに師事しました。さらに、作曲家としても著名なエルンスト・フォン・ドホナーニからも薫陶を受け、音楽家としての基盤を固めました。既に学生時代の1928年には、スイスのチューリッヒで演奏を行い、若くして国際的な注目を浴びました。

1933年には、権威ある国際リスト・コンクールで優勝を果たし、ピアニストとしてのキャリアを本格的にスタートさせました。この優勝を機に、彼女はヨーロッパ各地を演奏して回り、その評価を確立していきました。1937年、23歳で著名な音楽評論家であるアラダール・トート氏と結婚し、公私にわたるパートナーシップを築きました。

しかし、第二次世界大戦の勃発は彼女の活動に大きな影響を与えました。戦禍を避けるため、フィッシャーは比較的安全であったスウェーデンに避難しました。終戦後、1947年にブダペストに戻り、再び活発な演奏活動を展開しました。ブダペストを主な拠点としたため、彼女は生涯を通じて大西洋を横断したのはわずか2度のみだったと言われています。

戦後、夫のアラダール・トート氏がブダペスト歌劇場の芸術監督に就任し、著名な指揮者オットー・クレンペラーを招聘したことが、フィッシャーのキャリアに転機をもたらしました。クレンペラーは彼女の才能を高く評価し、アムステルダムやロンドンでの歴史的な共演が実現しました。このクレンペラーとの共同作業は、フィッシャーの芸術に深い影響を与えたとされています。

1950年代には、ロンドンの有名なアビー・ロード・スタジオで、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといったドイツ・オーストリア系の重要なレパートリーの録音を行いました。これらの録音には、彼女の音楽に対する真摯な態度と、一切の虚飾を排した内面から湧き出るような表現力が凝縮されており、後にEMIから「Les Introuvables d'Annie Fischer（アニー・フィッシャーの知られざる名演）」として再発売され、今なお多くの音楽愛好家によって聴き継がれています。また、彼女は1977年から1978年にかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に取り組みましたが、自身の演奏に非常に厳格であったため、生前はこの録音の発売を許可しませんでした。この全集は彼女の没後、フンガロトン・レーベルから順次リリースされ、後に9枚組のディスクとしてまとめられました。このエピソードは、彼女の妥協を許さない芸術家気質を物語っています。

国際的な舞台では、1961年にアメリカ合衆国でのデビューを果たしました。クリーヴランド管弦楽団との共演で、指揮は世界的名匠ジョージ・セルが務めました。さらに、日本との関わりも深く、1980年には日本国際音楽コンクールの審査員として初来日しました。これを機に、その後も度々日本を訪れ、その素晴らしい演奏を日本の聴衆に披露しました。

アニー・フィッシャーの演奏は、その溌溂としたエネルギー、楽譜の細部まで読み込む正確さ、そして演奏全体にわたる極度の集中力によって、同時代の多くの音楽家から絶賛されました。特に、スヴャトスラフ・リヒテルは彼女の演奏を高く評価したことで知られています。モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといったウィーン古典派から初期ロマン派にかけての作品、そして故郷ハンガリーの作曲家バルトークなどの作品が彼女の得意なレパートリーであり、特に評価が高いです。現在も残されている彼女の録音は、装飾を排した純粋な音楽表現として、世界中のクラシック音楽ファンから根強い人気を保っています。

1995年4月10日、アニー・フィッシャーは80歳でその生涯を閉じました。彼女が遺した数々の名演と、音楽に対するひたむきな姿勢は、今もなお多くの人々に感動を与え続けています。

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