アン・オブ・ボヘミア

アン・オブ・ボヘミア：リチャード2世の王妃とイングランド文化への貢献

アン・オブ・ボヘミア（1366年7月11日 - 1394年6月7日）は、神聖ローマ皇帝兼ボヘミア王カール4世の娘として生まれました。母はカール4世の4番目の妃エリーザベトです。アンは、ローマ王兼ボヘミア王ヴェンツェルの異母妹であり、神聖ローマ皇帝兼ハンガリー王・ボヘミア王ジギスムントの同母姉にあたります。

1378年、ローマ教皇ウルバヌス6世の強い勧めで、アンはイングランド王リチャード2世との結婚が決定しました。この結婚は、教会大分裂下で、教皇庁と神聖ローマ帝国、そしてイングランドの結びつきを強化するための政治的な策略が背景にありました。アンの異母兄ヴェンツェルも、ローマでの皇帝戴冠式に向けてイングランドの支援を得るため、この結婚を後押ししました。

1382年1月20日、アンとリチャード2世はウェストミンスター寺院で結婚式を挙げました。しかし、この結婚はイングランドにとって必ずしも好ましいものではありませんでした。当初、イングランドはミラノ僭主の娘との縁談を検討していましたが、教皇の強い勧告により破棄され、アンとの結婚に莫大な費用を負担することになりました。さらに、アンの持参金は期待外れに終わり、アンの従者や女官たちの贅沢な暮らしはイングランド国民の反感を買い、また、アンには子供が生まれなかったことも、結婚生活への批判を招きました。

にもかかわらず、リチャード2世とアンは仲睦まじく、アンは洗練されたボヘミア文化をイングランド宮廷に持ち込みました。彼女はボヘミアから豪華な彩色写本を持ち込み、イングランドでその流行を促しました。また、アンの宮廷での生活は、ジェフリー・チョーサー、ジョン・ガワー、ウィリアム・ラングランドといった当時の著名な作家たちに影響を与え、多くの文学作品が生まれるきっかけとなりました。アン自身も、チェコ語、ラテン語、ドイツ語に加え、英語とフランス語にも堪能であり、聖書にも精通していたと伝えられています。リチャード2世は、アンの知性と多才さを高く評価し、彼女を深く信頼していました。

1388年の非情議会では、リチャード2世と訴追派貴族との対立が激化しました。国王側近の処刑や追放が決定された際、アンはリチャード2世の側近であるサイモン・バーリーの助命嘆願のために、訴追派貴族のアランデル伯に涙ながらに懇願しました。この出来事から、アンは「善良なアン」として知られるようになりました。

1394年、アンはペストにより27歳で亡くなり、ウェストミンスター寺院に葬られました。アンの死は、リチャード2世に大きなショックを与えました。彼は3年後に再婚しますが、アンへの深い悲しみは、彼の政治的判断に影響を与えたと言われています。アンの死後、リチャード2世は感情を抑制できなくなり、訴追派貴族への復讐や専制政治に走っていったのです。

政治的な面では、アンのイングランドでの活動は必ずしも成功とは言えませんでしたが、彼女がもたらしたボヘミア文化は、イングランドの文化発展に大きく貢献しました。アンの持ち込んだ彩色写本は、イングランドの芸術に新しい風を吹き込み、彼女の宮廷生活は、多くの文豪たちの創作活動にインスピレーションを与えました。さらに、アンが所有していたチェコ語訳聖書は、ジョン・ウィクリフによる英訳聖書の制作に影響を与え、ボヘミアとイングランド間の学術交流も盛んになりました。これは、後のヤン・フスによる宗教改革とフス派の誕生につながる重要な出来事でした。アン・オブ・ボヘミアは、政治的な影響力こそ限定的でしたが、文化的な面ではイングランドの歴史に大きな足跡を残した王妃と言えるでしょう。

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