インゴルフ・ダール

インゴルフ・ダール：ナチスを逃れ、アメリカで花開いた作曲家

インゴルフ・ダール (1912年6月9日-1970年8月6日) は、20世紀を代表する作曲家の一人です。ドイツ・ハンブルクに生まれ、ユダヤ系祖先を持つ彼は、ナチス政権下で迫害を逃れるため、スイス、そしてアメリカへと亡命しました。彼の生涯は、困難な時代を生き抜き、音楽への情熱を貫いた、ドラマチックな物語です。

逃亡と新たな出発

本名ヴァルター・インゴルフ・マルクスであったダールは、ケルン音楽大学で研鑽を積んだ後、ナチスの台頭によりスイスへ亡命。チューリッヒ大学で学び、チューリッヒ歌劇場でアルバン・ベルクやパウル・ヒンデミットといった巨匠の作品の合唱指導に携わりました。しかし、スイスにおけるユダヤ人難民への風当たりが強まる中、1939年、彼はアメリカへと渡りました。アメリカではミドルネームと母の旧姓を用い、インゴルフ・ダールと名乗り、新たな人生を歩み始めます。ユダヤ人であることを隠しながら、彼はアメリカ市民権を取得し、南カリフォルニア大学で教鞭をとるようになりました。

アメリカでの活躍と亡命者コミュニティ

南カリフォルニア大学では作曲と音楽史を担当し、ロサンゼルスの音楽シーンで活躍しました。エルンスト・クルシェネク、ダリウス・ミヨー、アルノルト・シェーンベルク、イーゴリ・ストラヴィンスキー、エルンスト・トッホなど、多くの亡命音楽家たちと交流し、シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』の英訳や、ストラヴィンスキーの『音楽の詩学』の英訳にも携わっています。映画音楽の作編曲や指揮活動も精力的に行い、多岐にわたる音楽活動で才能を発揮しました。

さらに、1945年から1958年まで南カリフォルニア大学交響楽団を指導し、アーロン・コープランド、ルーカス・フォス、チャールズ・アイヴズ、ウォルター・ピストン、カール・ラッグルズといった現代作曲家の作品を積極的に取り入れるなど、時代の最先端を行く音楽活動を展開しました。

新古典主義と現代音楽の融合

ダールの作品は、新古典主義音楽の要素と現代音楽の技法が見事に融合した独特の作風を持っています。代表作には、『アルト・サクソフォーンと吹奏楽のための協奏曲』(1949年初演)、遺作となった『ヴァイオリンとオーケストラのための悲歌協奏曲』などがあります。これらの作品は、彼の洗練された音楽センスと、時代への鋭い感性を反映しています。管弦楽曲、吹奏楽曲、室内楽曲、ピアノ曲など、幅広いジャンルで作品を残し、その多様性も彼の魅力の一つです。具体的には、2台のクラリネットとオーケストラのための協奏交響曲、サンタバーバラの塔、アリア・シンフォニカなど、多彩な管弦楽曲が挙げられます。また、サクソフォーン協奏曲やシンフォニエッタといった吹奏楽曲も彼の作品群に彩りを添えています。室内楽曲においては、アレグロとアリオーソ、ディヴェルティメント、ピアノ四重奏曲など、様々な編成の作品が存在します。

教育者としての貢献

ダールは優れた教育者でもありました。彼の教え子の中には、世界的に有名な指揮者マイケル・ティルソン・トーマスや作曲家モートン・ローリゼンといった著名な音楽家も含まれており、彼の教育活動が現代音楽界に大きな影響を与えたことがわかります。

知られざる私生活

ダールは両性愛者であり、複雑な私生活を送っていました。16歳で画家と関係を持ち、アメリカではエッタ・ゴニック・リニックと結婚しましたが、妻は彼の性的指向を受け入れ、彼の活動を支えたと言われています。

音楽史における位置づけ

インゴルフ・ダールは、ナチスの迫害を逃れ、アメリカで新たな音楽人生を築いた作曲家です。彼の音楽は、新古典主義と現代音楽の融合という、独特の音楽性を示し、多くの後進の作曲家に影響を与えました。彼の作品は、現代音楽史において重要な位置を占めており、今後も多くの音楽愛好家たちに聴かれ続けることでしょう。彼の生涯と作品を通して、困難な時代を生き抜いた一人の音楽家のドラマと、その音楽の深遠さを私たちは知ることができます。

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