カーヌーン

カーヌーン (Qanun)

アラブ世界を代表する伝統的な撥弦楽器の一つに「カーヌーン」があります。その特徴的な台形の形状と、そこから生まれる繊細で豊かな響きは、古くから多くの人々を魅了してきました。

構造と演奏方法

カーヌーンの最大の特徴は、そのユニークな台形の共鳴箱です。この木製の箱の上に、非常に多くの弦が張られています。弦の数は楽器によって異なりますが、一般的に数十から百数十本に及びます。これらの弦は、箱の広い側面に沿って張られており、細長いブリッジの上を通って楽器本体に固定されています。

演奏方法は、日本の筝に比較的近いスタイルをとります。演奏者は、楽器を膝の上に置くか、専用の台に乗せて構えます。そして、指先、特に人差し指や中指に装着した小さなプレクトラム（ピック）や、あるいは指の爪を用いて、弦を直接はじいて音を出します。多数の弦があるため、単なる旋律だけでなく、和音や複雑な装飾音、そして速いパッセージなどを同時に、あるいは組み合わせて演奏することが可能です。

音楽的特徴

カーヌーンが持つ音楽的な特徴として、まず挙げられるのが微分音の表現能力です。アラブ音楽で用いられる旋律体系である「マカーム」は、西洋音楽の半音よりもさらに細かい音程、すなわち微分音を多用します。カーヌーンには、各弦に取り付けられた小さなペグやレバーといった機構があり、これらを操作することで、特定の弦の音程を微細に調整し、九分音のような微分音を正確に演奏することを可能にしています。この能力は、マカーム音楽の複雑なニュアンスや表現を再現する上で不可欠です。

その音色は、透明感がありながらも深みのある、豊かな倍音成分を含んだ独特な響きを持っています。しかし、楽器の構造上、物理的に大きな音量を出すことは難しいという側面もあります。そのため、比較的小さな空間での演奏に適しており、例えば200席程度のホールであっても、後方の席では楽器本来の繊細な響きを聴き取りづらい場合があります。現代においては、より広い場所での演奏や録音のために、音響システムを用いて増幅されることも一般的です。

歴史と語源

カーヌーンの起源は古く、その原型となる楽器は古代にまで遡ると考えられています。アラブ世界にとどまらず、トルコ、ペルシャ、北アフリカなど、広い地域でそれぞれ独自の発展を遂げてきました。楽器の名称である「カーヌーン」は、ギリシア語で「規範」や「法則」を意味する「カノン」（κανών）に由来すると言われています。これは、古代ギリシャの音楽理論におけるモノコードを用いた音程の測定や、音楽の法則性との関連を示唆している可能性があります。

アラブ古典音楽における位置づけ

カーヌーンは、アラブ古典音楽において中心的な役割を担う楽器の一つです。伝統的な合奏形態であるタフト（Takht）編成においては、ウード（リュート）やナーイ（葦笛）といった主要な楽器群と共に、旋律楽器として重要な地位を占めています。その豊かな音色と、マカームの複雑な表現を可能にする演奏技術は、アラブ古典音楽の芸術性を高める上で欠かせない存在です。

主な奏者

世界中で多くのカーヌーン奏者が活躍しています。日本国内においても、この楽器の普及や演奏活動に尽力されている奏者が複数おり、例えば植月千春氏や増田真吾氏などが知られています。

関連する楽器

カーヌーンは、他の地域や文化の楽器と比較されることがあります。

サントゥール: イランをはじめとする地域で用いられる打弦楽器です。カーヌーンと同様に台形の共鳴箱に多数の弦が張られていますが、演奏方法は大きく異なります。サントゥールは、先端にフェルトなどが巻かれた木製の小さなハンマー（メズラブ）で弦を叩いて音を出します。
ダルシマー: ヨーロッパを中心に広まった打弦楽器で、サントゥールと関連があると考えられています。
* ツィター: 中央ヨーロッパの撥弦楽器で、その形状や演奏スタイルにカーヌーンとの類似性が見られます。

同名異義語

なお、「カーヌーン」という言葉は、アラビア語圏において、楽器を指す以外にもう一つ別の意味で用いられることがあります。それは、イスラーム法（シャリーア）とは別に、国家や支配者によって制定される世俗法規、すなわち「法」や「規則」を指す場合です。これは楽器のカーヌーンとは全く異なる概念ですが、同じアラビア語の単語「قانون」が使用されています。

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