ケデロンの谷

ケデロンの谷：歴史と信仰が交差する聖地

ケデロンの谷（ヘブライ語: נחל קדרון、英語: Kidron Valley）は、イスラエルの古都エルサレム、特に旧市街のすぐ東に位置する重要な地形です。聖なる神殿の丘と、歴史に名高いオリーブ山を隔てるこの深い谷は、古くから人々の営みや信仰と深く結びついてきました。その歴史は長く、ヘブライ語聖書にも頻繁に登場するだけでなく、伝統的には世界の終わりに最後の審判が行われるとされる「ヨシャパテの谷」であるとも考えられています。

地理的に見ると、ケデロンの谷はエルサレム周辺にとどまらず、西岸地区のユダヤ砂漠を横断し、遠く死海まで続く広大なワジ（涸れ川）の一部を形成しています。全長は約32キロメートルに及び、水源地から死海までの標高差は約1,200メートルにも達します。エルサレム旧市街に近い部分はアラビア語で Wadi al-Joz と呼ばれ、さらに下流の砂漠地帯は Wadi an-Nar と称されるなど、地域によって呼び名が変わることもあります。このワジ全体を指す現代ヘブライ語の「ナハル・ケデロン (Nahal Kidron)」と、聖書で言及される特定の場所としての「ナハル・ケデロン」、「ヨシャパテの谷 (Emek Yehoshafat)」、「王の谷 (King’s Valley)」などがしばしば混同されることがあり、注意が必要です。聖書におけるこれらの名称は、おそらく古代エルサレム周辺の狭い範囲を指していると考えられています。

この谷が特に知られる理由の一つは、古代エルサレムにおける最も大規模な切石作りの墓所群が存在することです。谷の東斜面には、特に記念碑的な三つの墓が並んでいます。北から順に、「アブサロムの塔」、その南にある「祭司ヘジルの墓」、そしてそれに隣接し、ヘジルの墓のネフェシュ（記念建造物）とも見なされる「ゼカリヤの墓」です。

中でも「アブサロムの塔」は、紀元1世紀頃に建造されたと考えられており、その独特の建築様式は目を引きます。構造は上下二層に分かれ、下部は岩盤を切り出して作られた立方体で、壁面にはイオニア式の柱が配され、ドーリス式の装飾（フリーズ）やエジプト式の軒蛇腹（コニス）が見られます。内部には小さな部屋があり、埋葬用のアーチ状の凹所が二つ設けられています。一方、上部は切石を積み上げて造られており、方形の台座の上に円筒形の本体が乗り、その頂点はやや内側に湾曲した円錐形となっており、上部にはエジプト式のハスの花が飾られています。この上部は古代建築におけるソロス（円形記念建造物）の典型的な形状であり、下部の墓所の「ネフェシュ」、すなわち記念碑であるか、あるいは隣接する「ヨシャパテの洞窟」に関連するものと考えられています。「ネフェシュ」とは、ヘブライ語で「魂」を意味しますが、墓所の文脈では特定の記念建造物の形式を指し、ケデロンの谷に見られるユダヤ人の墓には、ピラミッド状の構造を持つ長方形のモニュメントといった典型的なネフェシュの様式が見られます。

ケデロンの谷は、旧約・新約聖書の時代を通じて、数々の歴史的な出来事の舞台となりました。ヘブライ語聖書によれば、古代イスラエルの王ダビデは、息子アブサロムの反乱に際してエルサレムから都落ちする際にこの谷を通ったとされています。また、王たちの時代には、この谷の一部は王の所有地であり、「王の庭」や「王の谷」と同一視されたこともあります。「王の谷」という名称は、エルサレムの「ダビデの町」の王宮に近い位置に由来する可能性も指摘されていますが、聖書でアブサロムが記念碑を建てた場所として言及される「王の谷」（サムエル記下18:18）が、現在のケデロンの谷上流部にあたるかは必ずしも明確ではありません。

さらに、歴代誌下20章26節では、ヨシャファト王が敵を打ち破った場所である可能性が示唆されています。紀元前8世紀末頃のヒゼキヤ王の時代には、大規模な宗教改革が行われましたが、その際にエルサレム神殿から運び出された汚れた品々を儀式に則って清めるために、ケデロンの谷の水が用いられたと記録されています（歴代誌下29:16）。新約聖書では、イエス・キリストがエルサレムとベタニアの間を往来する際にこの谷を度々横切ったことが記されています。また、イエスが捕縛される前夜に祈りを捧げた場所として知られるゲッセマネの園も、この谷に位置しています。

第二神殿時代、特にエルサレムがローマ帝国によって破壊される紀元70年までの時期、ケデロンの谷の一部、特にシルワン村の外縁にあたる地域は、エルサレムの主要な埋葬地の一つでした。これらの古代の墓所は、後の時代にも埋葬地として再利用されたり、あるいはこの谷に集まった修道士たちの隠棲場所や住居として使われたりしました。中世の12世紀に活躍したユダヤ人旅行家トゥデラのベンヤミンは、この地域にユダヤ人コミュニティが存在したことを記録しており、その証言は現代の歴史研究においても貴重な情報源となっています。

比較的近年、1989年には、この地域で道路拡幅工事中に偶然にも大規模な地下埋葬施設群が発見されました。ブルドーザーが掘り出した岩盤に刻まれた四角い穴が調査のきっかけとなり、考古学者によって第二神殿時代の状態をほぼそのまま保った墓室が多数確認されました。墓室内部からは、当時の陶器やガラス器、オイルランプ、装飾が施された骨壺などが多数発見され、エルサレムが陥落する直前まで使われていたユダヤ人の共同墓地の一部であることが明らかになりました。近年では、東エルサレムに位置する谷の一部を公園として整備する「キングス・ガーデン」計画が持ち上がり、一部で論争を呼んでいます。

そして、ケデロンの谷は終末論における重要な象徴とも結びつけられています。ヘブライ語聖書のヨエル記（3章2節、3章12節）には、神がすべての国々の民を「ヨシャパテの谷」に集めて裁きを行うと記されており、この「ヤハウェ（主）が裁きを行う谷」を意味するヨシャパテの谷は、伝統的にケデロンの谷と同一視されてきました。しかし、全ての聖書学者がこの比定に同意しているわけではなく、象徴的な場所であると解釈する学者もいます。ケデロンの谷がヨシャパテの谷と関連付けられるようになったのは4世紀以降であり、それ以前に「ヨシャパテの谷」が具体的にどの谷を指していたかは不明であるため、この関連性には幾分不確実性も残っています。

このように、ケデロンの谷は単なる地理的な場所ではなく、古代からの豊かな歴史、多様な信仰、そして考古学的な発見が織りなす、エルサレムにとって極めて多層的な意味を持つ聖地と言えるでしょう。

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