ステュムパロス
アルカディア地方北東部に位置する古代都市ステュムパロス（Στύμφαλος）は、ギリシア神話において英雄ヘラクレスが恐るべき怪鳥ステュムパロスの鳥を退治した伝説の舞台として広く知られています。多様な表記が存在しますが、この地は単なる神話の舞台に留まらず、その特異な地理、複雑な歴史、そして深い信仰の痕跡を現代に伝えています。
都市が栄えた領域は、周囲を山々に囲まれた長さ約10キロメートルの平野に広がっていました。北にはキュレネ山の巨大な山塊がそびえ、そこからステュムパロス山として知られる尾根が平野へと突き出していました。対して平野の南端にはアペラウロン山があり、その麓にはステュムパロス湖の地下水が湧き出す場所がありました。この湖の水源は、キュレネ山やアペラウロン山からの雨水に加え、平野の異なる場所から流れ込む三つの小川によってもたらされました。特に重要なのは、平野北側の豊富な地下水湧出口から流れる小川で、古代にはステュムパロス川と呼ばれました。これらの水は湖の主要な水源であり、約200スタディオン（約37キロメートル）を地下水流として流れ、アルゴリス地方のエラシノス川として再び地上に現れると考えられていました。
紀元2世紀の旅行家パウサニアスは、夏には湖が乾燥すると報告していますが、地下の流出口が石や砂で詰まると大規模な洪水を引き起こす可能性も指摘しています。実際にパウサニアスの時代には、アルテミスの怒りによるものとされる洪水が発生し、広範囲が水没した記録があります。歴史家ストラボンは、紀元前4世紀の将軍イピクラテスがステュムパロス包囲中に湖の流出口を塞いで都市を水攻めにしようとしましたが、ゼウスの予兆によって断念したという逸話を紹介しています。またストラボンは、かつて湖が都市のすぐ近くまで広がっていたものの、自身の時代には50スタディオン（約9キロメートル）離れていたと述べており、治水や地質変動による湖の変化が示唆されます。
紀元2世紀には、ローマ皇帝ハドリアヌスが湖の水をコリントスまで運ぶための水道橋を建設しました。この水道橋の遺構は現在も多くが残っています。古代の著述家アイリアノスは、ステュムパロス地方の人々がエラシノス川とメトペ川を崇拝していたことを記しており、メトペ川はステュムパロス川の別名であった可能性が考えられます。詩人カリマコスはメトペ川を「小石の多い」と形容しています。
ステュムパロスは古くから知られた都市であり、ホメロスがその叙事詩『イリアス』の軍船表で言及し、詩人ピンダロスはアルカディアの「母」と称えました。都市の名前は、アルカディア王アルカスの孫にあたるステュムパロスに由来するとされています。しかし、もともと都市があった場所は異なり、女神ヘラを養育したとされるペラスゴスの息子テメノスが住んでいたと伝えられています。この旧市街はパウサニアスの時代には完全に失われていましたが、ヘラが処女、妻、未亡人という異なる側面で崇拝されていた三つの神域があったことが記録されています。
神話においては、ステュムパロス王がエリス地方の王ペロプスによって謀殺され、その遺体が切り刻まれてばら撒かれるという残酷な出来事も語られています。この行為によりギリシア全土に災いが降りかかりますが、アイギナ島の王アイアコスの祈りによって救われたとされています。
ステュムパロスはアルゴリス地方やコリントスから西方へ向かう主要な交通路上の要衝の一つでした。紀元前315年にはカッサンドロスの将軍アポロニデスによって占領され、その後はアカイア同盟に加盟しました。パウサニアスが訪れた紀元2世紀頃には、行政区分としてアルゴリス地方の一部となっていました。
ステュムパロス湖は、ヘラクレスの難行の一つである怪鳥退治の舞台として特に有名です。これらの鳥はステュムパロスの鳥と呼ばれ、湖畔の森に巣食い、人間を襲ったとされています。パウサニアスは、この鳥をツルほどの大きさで、トキに似た姿をしていたが、トキよりも強力でまっすぐなクチバシを持っていたと描写しています。この記述は、ステュムパロスで発行されたいくつかの古代の貨幣に描かれた鳥の姿と一致しています。
都市における主要な信仰対象の一つはアルテミスでした。パウサニアスが言及したアルテミス・ステュムピリア（ステュムパロスに坐すアルテミス）の神殿は、屋根の近くにステュムパロスの鳥の像が飾られ、神殿の裏手には鳥の足と太股を持つ若い乙女たちの像が立っていたと記されています。この神殿はローマ時代にも使用されていたようです。紀元前2世紀初頭の碑文からは、アルテミスの聖域がアテナイの信仰であるアルテミス・ブラウロニアの名前で呼ばれていたことが分かります。これは、ステュムパロスとアテナイのブラウロン地方との間に関係があったことを示唆しています。デメテルやヘルメスもまた、碑文などから信仰されていたことが確認されています。
ステュムパロスは、古代ギリシアの有名な人物を輩出、あるいは縁のある地でもありました。例えば、シュラクサイのラバ車競走選手ハゲシアスはステュムパロス出身の母を持っており、紀元前5世紀初頭のオリンピア競技祭で優勝しました。詩人ピンダロスは彼の勝利を祝う歌の中で、聴衆にステュムパロスで崇拝される処女としてのヘラを讃えるよう呼びかけています。また、紀元前5世紀後半の長距離走者ドロメウスはステュムパロス出身であり、パウサニアスによればギリシャ四大大会（オリンピア、ピュティア、イストミア、ネメア）のドリコス走（長距離走）で計12回もの優勝を飾ったと伝えられています。オリンピアのゼウス神域には、彼の偉業を讃える像が建てられていました。
現代の村スティンファリアの近郊には、古代都市ステュムパロスの広範な遺跡が残されています。1924年から1930年にかけてアナスタシオス・オルランドスによって一部が発掘された後、1982年からはカナダのブリティッシュコロンビア大学が組織的な調査と発掘を進めています。これらの考古学的な研究により、特に紀元前4世紀に再建されたとみられる都市の詳細が明らかになりました。この都市は、現代の都市計画にも通じる方格設計（グリッドプラン）に基づいて整然と配置されており、南北に約30メートル間隔で走る道路と、それを横断する東西の大通りが確認されています。
発掘された建築物には、劇場、パライストラ（体育施設）、水浴室のほか、いくつかの神殿や聖域が含まれています。1925年にオルランドスが発見した「POLIAD･･･」という碑文のある聖域は、都市の守護女神であるアテナ・ポリアスが信仰されていた可能性を示唆していますが、その決定的な証拠はまだ得られていません。しかし、聖域から出土した陶片に記された落書きは出産の女神エイレイテュイアに言及しており、大量の宝飾品（主に青銅製）の出土は、この聖域が女性によってよく訪れられた場所であったことを示唆しています。さらに、欠けた子供の像が見つかっていることから、子供の養育に関わるクロトロポス信仰の要素もあったと解釈されています。
神殿の別館とみられる場所から発見された織機工房の数十個の紡錘の重りは、織物を司る女神アテナの存在を強く示唆する証拠と考えられています。これらの聖域は紀元前146年にローマ人によって破壊された可能性がありますが、初期から中期のローマン陶器のランプが見つかっていることから、少なくともその後も人々によって再訪されていたことがうかがえます。
古代ステュムパロスは、神話と歴史、そして自然が交錯するユニークな場所でした。ヘラクレス伝説の舞台として広く知られる一方、その特異な湖の地理、交通の要衝としての重要性、多様な神々への信仰、そして現代の考古学調査によって明らかになる計画的な都市構造など、多角的な側面を持っています。これらの情報源を通じて、ステュムパロスの豊かな古代世界の一端を垣間見ることができます。
地理
都市が栄えた領域は、周囲を山々に囲まれた長さ約10キロメートルの平野に広がっていました。北にはキュレネ山の巨大な山塊がそびえ、そこからステュムパロス山として知られる尾根が平野へと突き出していました。対して平野の南端にはアペラウロン山があり、その麓にはステュムパロス湖の地下水が湧き出す場所がありました。この湖の水源は、キュレネ山やアペラウロン山からの雨水に加え、平野の異なる場所から流れ込む三つの小川によってもたらされました。特に重要なのは、平野北側の豊富な地下水湧出口から流れる小川で、古代にはステュムパロス川と呼ばれました。これらの水は湖の主要な水源であり、約200スタディオン（約37キロメートル）を地下水流として流れ、アルゴリス地方のエラシノス川として再び地上に現れると考えられていました。
紀元2世紀の旅行家パウサニアスは、夏には湖が乾燥すると報告していますが、地下の流出口が石や砂で詰まると大規模な洪水を引き起こす可能性も指摘しています。実際にパウサニアスの時代には、アルテミスの怒りによるものとされる洪水が発生し、広範囲が水没した記録があります。歴史家ストラボンは、紀元前4世紀の将軍イピクラテスがステュムパロス包囲中に湖の流出口を塞いで都市を水攻めにしようとしましたが、ゼウスの予兆によって断念したという逸話を紹介しています。またストラボンは、かつて湖が都市のすぐ近くまで広がっていたものの、自身の時代には50スタディオン（約9キロメートル）離れていたと述べており、治水や地質変動による湖の変化が示唆されます。
紀元2世紀には、ローマ皇帝ハドリアヌスが湖の水をコリントスまで運ぶための水道橋を建設しました。この水道橋の遺構は現在も多くが残っています。古代の著述家アイリアノスは、ステュムパロス地方の人々がエラシノス川とメトペ川を崇拝していたことを記しており、メトペ川はステュムパロス川の別名であった可能性が考えられます。詩人カリマコスはメトペ川を「小石の多い」と形容しています。
歴史
ステュムパロスは古くから知られた都市であり、ホメロスがその叙事詩『イリアス』の軍船表で言及し、詩人ピンダロスはアルカディアの「母」と称えました。都市の名前は、アルカディア王アルカスの孫にあたるステュムパロスに由来するとされています。しかし、もともと都市があった場所は異なり、女神ヘラを養育したとされるペラスゴスの息子テメノスが住んでいたと伝えられています。この旧市街はパウサニアスの時代には完全に失われていましたが、ヘラが処女、妻、未亡人という異なる側面で崇拝されていた三つの神域があったことが記録されています。
神話においては、ステュムパロス王がエリス地方の王ペロプスによって謀殺され、その遺体が切り刻まれてばら撒かれるという残酷な出来事も語られています。この行為によりギリシア全土に災いが降りかかりますが、アイギナ島の王アイアコスの祈りによって救われたとされています。
ステュムパロスはアルゴリス地方やコリントスから西方へ向かう主要な交通路上の要衝の一つでした。紀元前315年にはカッサンドロスの将軍アポロニデスによって占領され、その後はアカイア同盟に加盟しました。パウサニアスが訪れた紀元2世紀頃には、行政区分としてアルゴリス地方の一部となっていました。
神話と信仰
ステュムパロス湖は、ヘラクレスの難行の一つである怪鳥退治の舞台として特に有名です。これらの鳥はステュムパロスの鳥と呼ばれ、湖畔の森に巣食い、人間を襲ったとされています。パウサニアスは、この鳥をツルほどの大きさで、トキに似た姿をしていたが、トキよりも強力でまっすぐなクチバシを持っていたと描写しています。この記述は、ステュムパロスで発行されたいくつかの古代の貨幣に描かれた鳥の姿と一致しています。
都市における主要な信仰対象の一つはアルテミスでした。パウサニアスが言及したアルテミス・ステュムピリア（ステュムパロスに坐すアルテミス）の神殿は、屋根の近くにステュムパロスの鳥の像が飾られ、神殿の裏手には鳥の足と太股を持つ若い乙女たちの像が立っていたと記されています。この神殿はローマ時代にも使用されていたようです。紀元前2世紀初頭の碑文からは、アルテミスの聖域がアテナイの信仰であるアルテミス・ブラウロニアの名前で呼ばれていたことが分かります。これは、ステュムパロスとアテナイのブラウロン地方との間に関係があったことを示唆しています。デメテルやヘルメスもまた、碑文などから信仰されていたことが確認されています。
人物
ステュムパロスは、古代ギリシアの有名な人物を輩出、あるいは縁のある地でもありました。例えば、シュラクサイのラバ車競走選手ハゲシアスはステュムパロス出身の母を持っており、紀元前5世紀初頭のオリンピア競技祭で優勝しました。詩人ピンダロスは彼の勝利を祝う歌の中で、聴衆にステュムパロスで崇拝される処女としてのヘラを讃えるよう呼びかけています。また、紀元前5世紀後半の長距離走者ドロメウスはステュムパロス出身であり、パウサニアスによればギリシャ四大大会（オリンピア、ピュティア、イストミア、ネメア）のドリコス走（長距離走）で計12回もの優勝を飾ったと伝えられています。オリンピアのゼウス神域には、彼の偉業を讃える像が建てられていました。
考古学
現代の村スティンファリアの近郊には、古代都市ステュムパロスの広範な遺跡が残されています。1924年から1930年にかけてアナスタシオス・オルランドスによって一部が発掘された後、1982年からはカナダのブリティッシュコロンビア大学が組織的な調査と発掘を進めています。これらの考古学的な研究により、特に紀元前4世紀に再建されたとみられる都市の詳細が明らかになりました。この都市は、現代の都市計画にも通じる方格設計（グリッドプラン）に基づいて整然と配置されており、南北に約30メートル間隔で走る道路と、それを横断する東西の大通りが確認されています。
発掘された建築物には、劇場、パライストラ（体育施設）、水浴室のほか、いくつかの神殿や聖域が含まれています。1925年にオルランドスが発見した「POLIAD･･･」という碑文のある聖域は、都市の守護女神であるアテナ・ポリアスが信仰されていた可能性を示唆していますが、その決定的な証拠はまだ得られていません。しかし、聖域から出土した陶片に記された落書きは出産の女神エイレイテュイアに言及しており、大量の宝飾品（主に青銅製）の出土は、この聖域が女性によってよく訪れられた場所であったことを示唆しています。さらに、欠けた子供の像が見つかっていることから、子供の養育に関わるクロトロポス信仰の要素もあったと解釈されています。
神殿の別館とみられる場所から発見された織機工房の数十個の紡錘の重りは、織物を司る女神アテナの存在を強く示唆する証拠と考えられています。これらの聖域は紀元前146年にローマ人によって破壊された可能性がありますが、初期から中期のローマン陶器のランプが見つかっていることから、少なくともその後も人々によって再訪されていたことがうかがえます。
まとめ
古代ステュムパロスは、神話と歴史、そして自然が交錯するユニークな場所でした。ヘラクレス伝説の舞台として広く知られる一方、その特異な湖の地理、交通の要衝としての重要性、多様な神々への信仰、そして現代の考古学調査によって明らかになる計画的な都市構造など、多角的な側面を持っています。これらの情報源を通じて、ステュムパロスの豊かな古代世界の一端を垣間見ることができます。
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