ソクラテスの弁明

ソクラテスの弁明：プラトンの描く哲学者の人生と死

概要

『ソクラテスの弁明』（Ἀπολογία Σωκράτους）は、プラトンによって著された初期対話篇です。紀元前399年、アテナイにおいて「不敬罪」で起訴されたソクラテスの裁判を題材としており、ソクラテスの弁護と、その思想、人生観、そして当時のアテナイ社会の状況を克明に描写しています。単に『弁明』（Ἀπολογία）と呼ばれることもあります。


歴史的背景：ペロポネソス戦争後のアテナイ

ペロポネソス戦争でスパルタに敗れたアテナイでは、親スパルタ派の三十人政権が成立し、恐怖政治が敷かれました。短命に終わった三十人政権の後、民主派が主導権を握りましたが、戦争と三十人政権の責任追及という形で、ソフィストや哲学者といった「異分子」への弾圧が始まりました。

ソクラテスは、アルキビアデスやクリティアスといった有力者と親交があり、彼らを教育したと見なされていたため、弾圧の対象となりました。「神霊（ダイモニオン）」からの啓示を公言していたことも、「新しい神格を導入した」という非難の的となりました。最終的にソクラテスは「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」という罪状で起訴され、裁判にかけられることになります。


裁判の構成と登場人物

裁判はアテナイの民衆裁判所で行われ、500人の市民陪審員がソクラテスの有罪・無罪を決定しました。主要な登場人物は、70歳を迎えたソクラテスと、告発者であるメレトスです。その他、アニュトスとリュコンも告発者として名を連ねていますが、本文中では直接発言しません。

『ソクラテスの弁明』は、メレトスらの論告・求刑弁論を受けたソクラテスの弁護から始まります。ソクラテスは自身の人生、哲学、そして起訴内容について、反論を展開します。裁判の過程では、有罪・無罪の決定、そして量刑に関する投票が挟まれます。


ソクラテスの弁明：哲学と人生

弁明の大部分を占めるのは、ソクラテス自身による自己弁護です。彼は「デルポイの神託」で「ソクラテスより賢いものはいない」と言われたことに基づき、様々な「賢者」と対話を行い、真の知とは何かを探求した経験を語ります。その中で彼は、自分が知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりも、「自分が知らないことを知っている」という自覚を持つ方が賢いという結論に達します。

ソクラテスは、この知の探求こそが神から与えられた自分の使命であり、たとえそれが国家の命令に反するとしても、やめられないと主張します。彼は、魂の世話をすることが国家への最大の奉仕であると考え、有罪判決後も自らの信念を貫きます。

量刑については、ソクラテスは当初、アテナイで最高の栄誉とされる公会堂での食事を提案します。しかし、死刑を宣告され、有罪判決を下した陪審員、そして無罪を主張した陪審員それぞれに対して、独自のメッセージを送ります。


『ソクラテスの弁明』の特徴と内容

『ソクラテスの弁明』は、プラトンの他の多くの対話篇とは異なり、ソクラテスの独白が中心を占めます。簡潔で力強い文章で書かれ、ソクラテスの哲学、人生観、そしてアテナイ社会に対する鋭い批判が込められています。

主な論点は以下の通りです。

無知の知: ソクラテス自身の哲学の核心となる概念。知らないことを知っていると思い込んでいる者よりも、自分が知らないことを自覚している方が賢いという考え方。
正義: ソクラテスにとって、正義は個人の信念を貫くこと。不正を犯すことよりも、正義に反することを恐れる。
裁判: ソクラテスは裁判の公平性を訴え、陪審員たちに真実を見極めるよう求めます。
政治: ソクラテスは政治への関与の危険性を指摘し、個人が正義を追求する際のあり方について考えます。
大衆: アリストパネスなどの風評に惑わされる大衆を批判。
青年の教育: ソクラテスの教育方法と、その重要性。
蓄財: 物質よりも精神の豊かさを重視するソクラテスの価値観。
ダイモニオン: ソクラテスを導く神霊の声。
* 信仰: ソクラテスは深い信仰心を持っており、神への崇敬の念が彼の行動の原動力となっています。


評価と影響

『ソクラテスの弁明』は、哲学史、文学史においても重要な作品であり、ソクラテスの思想と人生を知る上で不可欠な資料です。その簡潔さと力強い文章、ソクラテスの揺るぎない信念、そして死を目前にした冷静な態度などから、古来より高く評価されています。


日本語訳

『ソクラテスの弁明』は、多くの日本語訳が出版されています。岩波文庫、新潮文庫、講談社学術文庫など、様々な出版社から翻訳本が出ているため、自分に合った訳本を選ぶことができます。


結論

『ソクラテスの弁明』は、単なる裁判記録を超えた、ソクラテスの哲学と人生、そしてアテナイ民主主義の光と影を描いた不朽の名作です。ソクラテスの言葉は、現代においても私たちに多くの示唆を与え続けています。

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