チベット学

チベット学：歴史と文化を紐解く学問

チベット学は、チベットとその民族の歴史、文化を研究する学問分野です。東洋学の一部門として位置づけられ、「蔵学」や「西蔵学」とも呼ばれます。この学問は、西洋の宣教師によるチベットへの関心から始まり、植民地主義的な影響を受けつつ、現代ではより多角的な視点から研究が進められています。

チベット学の歴史

西洋におけるチベット学は、16世紀末の宣教師の活動に端を発します。彼らはチベットの文化を文献学的な手法で解読しようと試み、その過程で資料収集、辞書・文法の編纂、校訂翻訳、文化解読といった手法が確立されました。初期のチベット研究は、オリエンタリズムの影響を強く受け、支配国の文化理解が統治を正当化するという側面がありました。ナポレオンのエジプト遠征に見られるように、植民地主義は博物館の設立や文化財の収集を通じて、社会統制の手段として利用されました。

1950年代の中国によるチベット侵攻と、それに続くチベット動乱は、チベット学に大きな転換をもたらしました。それまで文献研究が中心であったチベット学は、亡命チベット人学者からの情報提供や、豊富な文献の入手が可能になったことで、新たな段階に入りました。特に21世紀に入ってからは、西洋での研究が質・量ともに充実し、中国でも独自のチベット研究が盛んになっています。

チベット学の3つの段階

チベット学の歴史は、以下の3つの段階に区分できます。

1. 宣教師のチベット学：17世紀初頭、ポルトガル人宣教師アントニオ・デ・アンドラーデがチベットに入ったことをきっかけに、西洋人のチベット研究が始まりました。イタリア人宣教師イッポリト・デジデリは、チベット語、歴史、文化を学び、『チベットの報告』を著しました。

2. オリエンタリズムとしてのチベット学：19世紀から中国によるチベット侵攻までの間、入手困難な文献を分析・解釈する研究が主流でした。この時期の研究は、資料収集と目録化、辞書と文法、校訂と翻訳、文化解読という4つの側面から展開されました。

資料収集と目録化：ハンガリーの学者ケーレシ・チョマは、1820年にチベットに入りチベット語を学び、文献を持ち帰りました。ロシアのパヴェル・リヴォヴィチ・シリング・フォン・カンシュタットは、デルゲ版カンギュルなどを入手し、ロシア科学アカデミーに収蔵しました。その他、多くの研究者がカンギュル（経典）やテンギュル（論書）などの文献を収集し、目録を作成しました。特に、寺本婉雅、河口慧海、多田等観らの収集は日本のチベット研究に大きく貢献しました。
辞書と文法：チョマが『蔵英辞典』や『チベット語文法』を編纂したのを皮切りに、多くのチベット語辞書や文法書が編纂されました。ハインリヒ・アウグスト・イェシュケ、サラト・チャンドラ・ダスらの辞典は今日でも利用されています。
校訂と翻訳：シュミットによる『金剛般若経』の翻訳をはじめ、多くの経典や論書が翻訳されました。ユーリ・ニコラエヴィチ・リョーリフは、チベット絵画や方言研究に取り組み、蔵露英辞典を編纂しました。また、ゲンドゥン・チュンペルとの共訳による『青史』はチベット学の基本資料となりました。ジュゼッペ・トゥッチは、膨大な文献を収集し、貴重な図像を記録しました。
文化解読：エミール・シュラーギントヴァイト、ローレンス・ウォッデル、アルベルト・グリュンヴェーデルらによって、チベットの仏教文化が解説されました。この時期の研究は、ゲルク派（黄帽派）の影響を強く受けています。

3. オリエンタリズムから脱却したチベット学：1959年以降、亡命チベット人学者との協力によって、チベット学は新たな段階に入りました。ロックフェラー財団による支援や、米国の食糧援助プログラムによって、チベット文献の入手が容易になりました。これにより、チベット学は飛躍的に発展し、チベット仏教資料センター（TBRC）などのデータベースによって、文献がインターネット上で閲覧できるようになりました。また、タボ寺の古文書が発見されるなど、新しい資料の発掘も進んでいます。

現代のチベット学

現代のチベット学は、オリエンタリズムの影響を脱却し、より客観的で多角的な視点から研究が行われています。亡命チベット人学者との協力、デジタル技術の活用、新しい資料の発掘などが、その発展を支えています。チベット学は、チベットの歴史と文化を理解する上で欠かせない学問分野であり、その研究は今後もますます発展していくことが期待されます。

おわりに

チベット学は、その歴史的背景や研究対象の複雑さから、多岐にわたるアプローチが求められる学問分野です。宣教師による初期の研究から、植民地主義の影響、そして現代の亡命チベット人学者との協力を経て、チベット学は着実に発展してきました。今後もこの分野の研究が進むことで、より深いチベットの理解につながることが期待されます。

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