ニキタ・マガロフ

ニキタ・ディミトリエヴィチ・マガロフ（Nikita Dimitrievich Magaloff, 1912年 2月8日 - 1992年 12月26日）は、スイスやフランスを主な活動拠点とした国際的なピアニストです。ロシア語風の氏名とサンクトペテルブルク出身という経歴から、一般的にはロシア人として認識されていますが、マガロフ家は歴史的にロシア化したグルジア貴族の家系であり、本来の姓はマガラシヴィリでした。その演奏は洗練され、後進の育成にも大きな足跡を残しています。

経歴

サンクトペテルブルクのグルジア系ロシア貴族の家庭に生まれたマガロフは、1918年に家族とともにロシアを離れ、最初にフィンランド、次いでフランスのパリへ移住しました。パリでは高名なピアニスト、イシドール・フィリップに師事し、その薫陶を受けました。著名なヴァイオリニストであるヨーゼフ・シゲティの伴奏者を務めたことが縁となり、彼の娘婿となってからは、スイスのジュネーヴ湖畔に居を構えました。1949年、親友であったピアニスト、ディヌ・リパッティが病に倒れると、彼に代わってジュネーヴ音楽院の教授に就任し、1960年まで教鞭をとりました。この期間に、マリア・ティーポ、ライオネル・ログ、マルタ・アルゲリッチといった、後に国際的に活躍する多くの優れたピアニストを育てています。また、作曲家モーリス・ラヴェルやセルゲイ・プロコフィエフなど、同時代の重要な音楽家たちとも親交がありました。

第二次世界大戦によって多くの同世代の音楽家が若くして命を落としたり、キャリアを断たれたりする中、マガロフは1910年代に生まれた貴重な音楽的遺産として注目されるようになります。その評判を聞きつけて、彼の教えを請うプライベートの門下生が後を絶ちませんでした。1960年代以降も、彼は教育活動や国際的なコンクールの審査員として、多くの若い才能を世に送り出すことに貢献しました。

演奏様式

マガロフの演奏スタイルは、師イシドール・フィリップから受け継いだ、優雅さと品位ある音楽的趣味に深く根差していました。彼はフィリップやパッハマンのような先達に見られる過度なロマン主義的な表現や、コルトーのような自由な解釈による大胆なデフォルメからは距離を置き、楽曲の構造を尊重した演奏を志向しました。例えば、リストのパガニーニ練習曲第1番「トレモロ」の冒頭を、あたかも新即物主義のように楽譜に書かれた音符通りに厳密に弾く一方で、音楽から色彩感が失われることはありませんでした。また、当時の他のピアニストがあまり取り上げなかったメンデルスゾーンやウェーバーなどの作品も積極的にレパートリーに取り入れ、硬軟を織り交ぜた多様なプログラムで聴衆を魅了しました。

晩年に近づくにつれて、マガロフの演奏には新たな変化が見られました。それまで抑制されていた情熱や表現の柔軟性が増し、豊かな生命力が漲るようになったのです。打鍵の確かさは壮年期と変わらず、精力的に演奏や録音に取り組みました。音色のきらびやかさは維持されましたが、1990年代に入ると、年齢の影響からか指の動きに若干の衰えが見られることもありました。それでも、そのキャリアを通じて、彼の演奏には常に高潔な精神性、自然な情感、そして作品と作曲家への真摯な奉仕という姿勢が一貫していました。自身のピアノ演奏について、「鍵盤を叩くのではなく、そこから音をすくい上げるのだ」と語った言葉は、彼の美学をよく表しています。

ディスコグラフィー

ソリストとして国際的な名声を確立したのは戦後であり、まさに大器晩成型のピアニストと言えます。中でも、1974年から1978年にかけてフィリップス・レーベルに録音されたショパンのピアノ曲全集は特に名高く、彼の代表的な業績として挙げられます。この録音は、当時の優れたステレオ録音技術も相まって、マガロフの持ち味である美しい音色、優雅さ、そして深い叙情性を余すところなく伝えています。また、この全集は、ショパンのピアノ作品全てを体系的に録音した最初期の試みの一つとしても歴史的に重要な意味を持っています。一部には「マガロフ版」と揶揄され、原典主義的ではないという批判もありましたが、感傷的な表現や過度な演出を排した品格ある演奏と、作品のテクスチュアをクリアに提示するアプローチには、マガロフ独自の個性と、ヴァイオリニストである義父シゲティの音楽的影響が色濃く反映されていると評価されています。特にショパン作品では、一般的なフォンタナ版よりも自筆稿に忠実に演奏することを好む傾向があり、幻想即興曲で通例の出版譜ではなく自筆譜の献呈稿に基づく演奏を行ったことは特筆に値します。

ショパン以外にも、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、メンデルスゾーン、シューマン、フォーレ、ラヴェル、ストラヴィンスキーなどの作品を得意としました。中でも、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団との共演によるストラヴィンスキーの管楽器とピアノのための《カプリッチョ》は、世界初録音として知られています。彼の主要な録音は2017年にデッカからボックスセットとしてまとまって復刻されましたが、残念ながらまだCD化されていない音源も数多く存在します。

エピソード

あまり知られていない事実として、実験的な現代音楽の作曲家ジャチント・シェルシの一部の作品の世界初演を手がけている点が挙げられます。また、特定のピアノメーカーとの専属契約は結びませんでしたが、ベーゼンドルファー・インペリアルを用いた自動演奏ピアノの録音プロジェクトに参加したこともあります。

ニキタ・マガロフは、スイスのヴヴェイで80年の生涯を閉じました。彼の終焉の地は、クラレン・モントルー墓地です。そこには、彼の義父であるヨーゼフ・シゲティとその妻ワンダ、そして妻イレーネ・シゲティも共に埋葬されています。

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