ニキ・ド・サンファル

ニキ・ド・サンファル（Niki de Saint Phalle、1930年10月29日 - 2002年5月21日）は、フランス出身の画家、彫刻家、造形作家、そして映像作家です。本名をカトリーヌ・マリー＝アニエス・ファル・ド・サンファルといい、その生涯は、芸術を通した自己の探求と社会への挑戦に満ちていました。

生い立ちと初期の経験

ニキは、パリ近郊のヌイイ＝シュル＝セーヌで、フランスの古い貴族の血を引く父と、アメリカ人エリート実業家の娘である母の間に生まれました。裕福な家庭に育ちましたが、1929年の世界恐慌で父親の経営する銀行が倒産。彼女は自身のことを「デプレシオン（Dépression）の子」と表現しました。これは、世界恐慌の時期に生まれたことと、父親の不倫と母親の鬱状態が重なったことが理由です。

幼少期には両親の不和や厳しい規律に反発し、放校と転校を繰り返しました。17歳からはモデルとして活躍し、『ヴォーグ』誌や『タイム』誌の表紙を飾るなど、その美貌は広く知られました。しかし、彼女の内面には、社会への疑問や自己表現への欲求が常に存在していました。18歳で幼なじみのハリー・マシューズと駆け落ちし、1949年に結婚。1951年に長女ローラ、1955年に長男フィリップをもうけました。

アートセラピーからの転身

1952年、ニキはマッカーシズムや人種差別が蔓延するアメリカ社会を批判し、芸術活動に専念するため、パリに移住しました。モデルの仕事と並行して女優を目指していましたが、「内気だった」と語る彼女にとって、自身の感情を表現することは容易ではありませんでした。また、結婚して家庭を築き、女性の役割を担うという社会の期待と、彼女の抱く夢との間には大きな隔たりがありました。

1953年、神経衰弱で入院し、統合失調症と診断されました。電気ショック療法による記憶障害にも苦しむ中、アートセラピーを通して表現による自己解放の道を見出します。「仮面を被ることなく」自分をありのままに見せることができることに気づき、絵筆や鉛筆を手にすることで不安が消えたと語っています。この経験が彼女の芸術家としての原点となりました。

射撃絵画と社会批判

1960年代に入ると、ニキはアサンブラージュ作品を制作し始め、立体的な要素を組み合わせた表現に挑戦しました。さらに、絵具を入れた袋をキャンバスに固定し、ピストルやライフルで撃つ「射撃絵画（ティール）」を制作。この衝撃的な手法は、社会への抵抗と自己表現を同時に実現するものでした。「誰も殺さない殺害」という表現は、当時の社会における暴力性への強い批判を含んでいました。射撃絵画は、タシスムやアクション・ペインティングといった抽象絵画のパロディーでもあり、ハプニング作品としての側面も持っていました。

1961年、射撃絵画を展示した個展「思う存分撃つ」で、ニキは一躍注目を集めました。このシリーズでは、《キングコング》や《ケネディ-フルシチョフ》といった作品で政治的なメッセージを発信し、また、《祭壇》シリーズでは宗教や家父長制への批判を行いました。

ヌーヴォー・レアリスムと《花嫁》シリーズ

1960年、ニキは「ヌーヴォー・レアリスム」に参加しました。この運動は、大量生産品や廃品のアサンブラージュを制作し、工業化社会における現代人の現実を表現しようとするものでした。ニキの代表作である《磔刑》は、女性の置かれた状況を象徴的に表わしており、その挑発的な表現は、彼女の社会に対する強い批判意識を示しています。

1960年代前半には、《花嫁》シリーズを制作しました。ウェディングドレスを着た女性像には、胎児や切断された手足などの奇妙なオブジェが多数接着され、「絶望の叫びをあげているかのような」姿で表現されました。これは、社会規範や不平等への反抗であり、「男性支配の終焉を告げる」作品群と解釈されています。

《ナナ》シリーズと開放的な女性像

1965年、ニキは豊満な女性像《ナナ》シリーズを発表しました。《ナナ》は、「すべての女性」を意味し、社会における女性の役割を批判的に表現した《花嫁》シリーズとは対照的に、踊るような軽やかな動きと鮮やかな色彩で表現された開放的な女性像です。このシリーズは、ニキの作品の中でも特に有名で、彼女の代表作として知られています。

1966年には、ストックホルム近代美術館の企画として、巨大なナナ像《ホン》を制作しました。この作品は、全長約27メートル、幅約9メートル、重さ6トンにも及ぶ巨大なもので、内部には画廊、音楽室、映画館などがありました。また、右の乳房は「ミルクバー」、左はプラネタリウム、膣が入口となるなど、ユーモアと挑発性に富んだ作品でした。

大規模な作品と彫刻庭園

ニキは、晩年になるにつれて、より大規模な作品制作に力を注ぐようになりました。1967年には、モントリオール万国博覧会のフランス・パビリオンのために、ジャン・ティンゲリーと共同で《パラディ・ファンタスティック》（幻想的な楽園）を制作しました。

1974年、ニキは、トスカーナ（イタリア）に彫刻庭園《タロット・ガーデン》の制作を開始しました。これは、彼女が長年温めてきた夢を実現したもので、マルセイユ版タロットの22の大アルカナをモチーフにした彫刻が並んでいます。制作は困難を極めましたが、彼女は資金調達のために《ナナ》のミニチュアや香水を制作するなど、様々な努力を重ねました。《タロット・ガーデン》は、ニキの芸術観を具現化した場所であり、彼女の生涯の集大成とも言える作品です。

その他の活動

ニキは、彫刻作品だけでなく、映像作品にも挑戦しました。1974年に発表した映画『ダディー』は、父親からの性的暴行をテーマにしたもので、物議を醸しました。1975年には、自伝的な要素を取り入れた映画『夜より長い夢』を制作しました。

また、1983年には、ポンピドゥー・センター隣のイーゴリ・ストラヴィンスキー広場の池に《ストラヴィンスキーの泉》をティンゲリーと共同で制作しました。

晩年には、エイズ防止活動にも積極的に参加し、作品を通して啓発活動を行いました。1990年代には、日本にもニキ美術館が開館し、彼女の作品は世界中で評価されるようになりました。2000年には、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。

晩年と遺産

ニキは、2002年5月21日にカリフォルニア州サンディエゴで亡くなりました。享年71歳。彼女の作品は、自己解放と社会への問いかけを内包しており、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。彼女の孫娘ブルーム・カルデナスは、ニキの没後、未完成の作品を完成させるなど、その遺産を受け継いでいます。

ニキ・ド・サンファルは、その生涯を通して、タブーに挑み、女性の多様性を表現し続けました。彼女の作品は、芸術の力を信じ、自己表現を追求することの大切さを教えてくれます。

もう一度検索