ピュロス (ギリシャ)

ピロス

古代ギリシャ、ペロポネソス半島南西部のメッセニア地方に位置する都市、ピロスについて解説します。この地は、豊かな歴史と重要な考古学的発見、そして古代ギリシアの激動の出来事の舞台として知られています。古代ギリシャ語の再建音に基づくと「ピロス」がより正確な発音とされますが、日本では「ピュロス」という表記も広く用いられています。

ミケーネ文明の遺産

ピロスの歴史は非常に古く、特に青銅器時代のミケーネ文明との深いつながりがあります。この地からは、壮大な宮殿跡が発掘されており、詩人ホメロスが記したギリシア神話において、賢王ネストルが治めたと伝えられる「ネストルの宮殿」として知られています。アメリカの考古学者カール・ブレーゲンが中心となり、1939年から1952年にかけて行われた発掘調査では、ミケーネ文明に特有の建築様式であるメガロン（王の謁見の間）など、高度な文明の痕跡が多数発見されました。

線文字Bの謎と解明

このミケーネ文明の遺跡における最も画期的な発見の一つが、大量の粘土板文書でした。考古学者アーサー・エヴァンズは、これらの粘土板に記された未解読の文字体系に着目し、線文字Aおよび線文字Bと名付けました。エヴァンズは、これらの文字が彼がクレタ島で発掘したミノア文明固有の言語を記していると考えましたが、その解読には至らず、困難さから研究を諦めてしまいます。

しかし、その後の研究によって、線文字Bの謎は解き明かされます。1953年、建築家でありながら言語学にも造詣が深かったマイケル・ヴェントリスは、古典学者ジョン・チャドウィックとの共同研究を通じて、線文字Bで書かれた粘土板が、ミノア語ではなく、古代ギリシア語の最も古い形態であるミケーネ・ギリシャ語を記していることを突き止めました。この線文字Bの解読は、ミケーネ文明がギリシア語を話す人々によって築かれた文明であることを決定的に証明し、それまで闇に包まれていた青銅器時代のギリシア世界の様相を知る上で、計り知れない貢献をしました。ピロスで発見された粘土板には、当時の社会構造、経済、行政、宗教に関する詳細な記録が含まれており、ミケーネ文明の研究における第一級の資料となっています。

ペロポネソス戦争の舞台

ピロスは、紀元前5世紀後半にアテナイとスパルタの間で繰り広げられたペロポネソス戦争においても、重要な戦略拠点となりました。特に戦争初期の紀元前425年には、このピロス近郊で有名な戦闘が発生しています。アテナイ軍はペロポネソス半島西岸のピロスに砦を築き、周辺地域、特にスパルタに支配されていたメッセニアのヘイロータイ（農奴）の離反や逃亡を促そうとしました。

これに対し、スパルタ軍はピロスの砦を奪還すべく、近くのスファクテリア島に精鋭部隊を上陸させました。しかし、アテナイ海軍は巧みな戦術でスパルタの海上からの支援を断ち、スファクテリア島に上陸したスパルタ部隊を孤立させることに成功しました。補給を絶たれ、増援も期待できなくなったスパルタ部隊は、最終的にアテナイ軍に投降しました。この出来事は、無敵を誇ったスパルタの市民兵が多数捕虜となるという、当時のギリシア世界に大きな衝撃を与えた事件であり、ペロポネソス戦争の展開に少なからぬ影響を与えました。歴史家トゥキディデスはこのピロスとスファクテリア島を巡る戦いを詳細に記録しており、古代ギリシアの軍事史における重要な事例として今日に伝えられています。

結び

このように、ピロスはミケーネ文明の栄華、線文字Bの解読という言語学上の偉業、そしてペロポネソス戦争という古代ギリシアの歴史を揺るがした出来事の舞台となるなど、多層的な歴史を持つ地です。その豊富な歴史遺産は、今日でも多くの研究者や歴史愛好家にとって魅力的な場所となっています。

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