ブルーノ・クライスキー

ブルーノ・クライスキー（Bruno Kreisky、1911年 1月22日 - 1990年 7月29日）は、オーストリアの卓越した政治家。社会民主主義政党であるオーストリア社会党（現在のオーストリア社会民主党）の党首として長年にわたり指導的な役割を果たし、1970年から1983年までオーストリア史上初のユダヤ人首相として政権を率い、同国の戦後史に大きな足跡を残した。

生い立ちと初期の活動

クライスキーはウィーンで、モラヴィアからの移民を祖父に持つ衣類製造業者の家庭に生まれた。早くから政治に関心を持ち、15歳でオーストリア社会民主労働党の青年組織に加わった。ウィーン大学で法律を学びながら、積極的に政治活動を展開した。

反ファシズム運動と亡命

1934年の「2月内乱」を経て、エンゲルベルト・ドルフースによる独裁政権が社会民主労働党を非合法化した後、クライスキーは非合法活動となった反ファシズム運動に身を投じた。1935年1月には国家反逆罪で逮捕され有罪判決を受けたが、1936年6月に釈放される。1938年3月にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、クライスキーは同年9月にスウェーデンへの亡命を余儀なくされた。第二次世界大戦中、彼はストックホルムの協同組合協会に勤務（1939年 - 1946年）し、この地で北欧型の社会福祉制度や中立外交のあり方について深く学んだ。亡命中に、後にドイツ連邦首相となるヴィリー・ブラントと知り合ったことは特筆されるべき出来事であり、両者は後の社会民主主義政権をほぼ同時期に率いることになる。1942年にはヴェアラ・フースと結婚している。

戦後政界への復帰

終戦後の1946年5月、クライスキーはオーストリアに帰国した。しかし間もなく駐スウェーデン・オーストリア公使館員に任命され、再びストックホルムで北欧諸国との関係改善に努めることになった。1951年に本国に戻ると、テオドール・ケルナー大統領の首席補佐官および政治顧問に抜擢された。1953年には外務次官に就任。この任期中の1955年、彼はオーストリア国家条約の調印交渉に重要な役割を果たし、連合国四カ国による占領統治の終結と、永世中立国としてのオーストリアの独立回復に貢献した。

国会議員・外務大臣として

1956年、社会民主労働党の後身である社会党から国民議会議員に選出され、ブルーノ・ピッターマン、フェリックス・スラヴィク、フランツ・オレーアらと共に党代表に選任されるなど、党中央指導部における主要メンバーの一人となった。1959年7月には、ユリウス・ラーブ首相が率いる連立政権において外務大臣に任命された。外相として、欧州自由貿易連合（EFTA）の創設に主導的な役割を担い、イタリアとの間の南チロル帰属問題の解決を後押ししたほか、「第三世界のマーシャル・プラン」と呼ばれる発展途上国への援助構想を提案するなど、精力的な外交を展開した。

オーストリア首相時代

1966年の総選挙でヨセフ・クラウス率いるオーストリア国民党（ÖVP）が議会で単独過半数を獲得したため、クライスキーは外相を辞任した。1967年2月、彼は社会党党首に選出される。1970年4月の選挙で社会党は議席を大きく伸ばし、クライスキーはオーストリア社会党から初めて首相に就任した。これはまた、オーストリア史上初めてのユダヤ人による組閣でもあった。その後も1971年10月の総選挙で社会党は絶対多数を獲得し、1975年、1979年の選挙でも勝利を収めるなど、クライスキーは長期にわたる政権運営を可能にした。

クライスキー内閣は、親密な盟友であったクリスチャン・ブローダ法務大臣と共に、保守的なカトリックの伝統が根強いオーストリアにおいて、革新的な自由主義改革路線を推し進めた。家族法や刑務所制度の改正、人工妊娠中絶や同性愛の合法化はその代表例である。一方で、伝統的なカトリック教会と社会主義勢力との間の融和にも努め、当時のウィーン大司教フランツ・ケーニヒと協力関係を築いた。社会政策としては、兵役期間の短縮（9ヶ月から6ヶ月へ）、労働者の権利や福利厚生の拡充、週労働40時間制の導入、男女機会均等を保障する法整備などが実施された。また、国内のスロベニア系、クロアチア系といった少数民族に対する言論の自由も保障した。エネルギー政策では、1974年のオイルショックを受けて石油依存度低減のため原子力発電計画を推進したが、1978年の国民投票で否決され、実現には至らなかった。

外交面においては、積極的な中立外交を展開し、国際社会から注目を集めた。「南北問題」として知られる発展途上国と先進国との間の対話促進に積極的に関わり、ヴィリー・ブラントやオロフ・パルメといった欧州の社会民主主義指導者と共に、世界の平和と発展に貢献しようとした。オーストリア国家条約により欧州連合への加盟は不可能であったが、欧州統合自体は支持した。オーストリアを東西冷戦における橋渡し役として位置づけ、ウィーンを米ソ間の戦略兵器制限交渉（SALT）の初期の開催地とするなど、独自の存在感を示した。また、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長の就任を後押しし、ウィーン国際センター（国連ウィーン事務局）の建設・誘致計画を推進するなど、国際機関の本部機能誘致にも尽力した。

ユダヤ人・中東問題への姿勢

自身のユダヤ人という出自を持ちながらも、ユダヤ人の国家建設運動であるシオニズムには批判的な立場を取った。彼はエジプトのアンワル・サダトやリビアのムアンマル・カダフィといったアラブ世界の指導者と友好的な関係を築き、1980年にはパレスチナ解放機構（PLО）を承認するなど、アラブ側との関係を深めた。自身の出自と社会主義者としての立場を活かし、イスラエルとアラブ諸国間の紛争解決に向けた仲介役を試みたが、その姿勢は多くのユダヤ人やイスラエル国民から「裏切り者」と見なされ、強い反発を招いた。特に、当時のイスラエル首相ゴルダ・メイアとの間には激しい対立があったことは有名で、かつて「ゴルダ・メイアがヨーロッパで脅迫できない唯一の政治家」と自らを評したこともある。結局、彼の仲介努力は目立った成果を上げるには至らなかった。

また、クライスキーは、同じく著名なオーストリアのユダヤ人であり、元ナチス党員や戦争犯罪人の追及で知られるサイモン・ヴィーゼンタールとの間にも緊張した関係があった。1970年、ヴィーゼンタールがクライスキー内閣の閣僚4人に元ナチス党員としての過去があると主張した際、クライスキーはヴィーゼンタールを「オーストリアが反ユダヤ的であると世界に吹聴するためだけに生きている。他に彼が何をしたというのだ？」と激しく批判した。これに対し、ヴィーゼンタールは「クライスキーはナチズムとユダヤ主義に対して神経症的な関係性を持っている」と反論するなど、激しい言葉の応酬が繰り広げられた。こうした個人的な確執にもかかわらず、1970年代を通じてオーストリアは、ソ連からイスラエルや西ヨーロッパへ向かうユダヤ人の重要な通過点として機能した。

人物像と晩年

弁舌の才に長け、メディアへの登場時も自然体であったクライスキーは、鋭い知性と即座の機転で保守党の対立候補を圧倒し、テレビ討論で国民の心をつかんだ。準備された原稿に頼らず、その場での機知を活かした発言は、常に聴衆を魅了した。

1981年に70歳を迎える頃には、長期政権による自己満足や、国際問題への過度な関心に対する有権者の反発も生じていた。1983年4月の選挙で社会党は議会での絶対多数を失った。クライスキーは少数派政権の樹立を拒否し、後任に教育大臣のフレート・ジノヴァツを指名して政界を引退した。その後健康を損ない、1984年には緊急の腎臓移植手術を受けた。晩年は社会党の名誉会長として、党の運営や方向性について時に厳しい発言を行うこともあった。1990年 7月29日、ウィーンで死去した。

後世の評価

ブルーノ・クライスキーの首相在任期間は、現在でも様々な議論の対象となっている。かつての支持者の多くは、クライスキーを最後の偉大な社会主義者と捉え、国民生活水準の飛躍的な向上、福祉国家体制の確立、教育機会の均等化など、彼の施策がもたらした豊かな時代を懐かしむ声が多い。これらの成果は、未来への希望と楽観主義に満ちた時代を象徴していると見なされている。

その一方で、保守派からは、彼の積極的な財政出動政策、特に歳出拡大による赤字財政運営に対する批判が根強い。1979年の選挙戦で語った「人々が職を失うのを見るよりは、国が借金を抱える方がまだましだ」という言葉は、その政策思想を端的に表しているが、彼らの多くは、その後のオーストリアが直面する経済的な困難の責任の一端はクライスキーにあると考えている。

ブルーノ・クライスキー財団

1976年には、彼の65歳の誕生日を記念してブルーノ・クライスキー財団が設立された。この財団は、人権擁護における顕著な功績を称えるため、2年ごとに人権分野で多大な貢献をした個人や団体にブルーノ・クライスキー人権賞を授与している。

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