プリンキパトゥス

プリンキパトゥス（元首政）：共和政ローマから帝政ローマへの移行

共和政ローマは、小規模な都市国家や都市国家連合としては機能していましたが、地中海世界の大部分を支配する巨大国家となると、その限界が露呈しました。元老院や執政官といった共和政時代の制度では、広大な帝国を統治するには力不足だったのです。元老院議員は私利私欲に走り、市民集会は首都ローマの市民のみに限定され、属州民は政治から排除されていました。巨大国家の運営には、全国民参加型の民主主義は現実的ではなく、また、実現可能であったとしても、利害関係の複雑化を招き、かえって運営を困難にしたでしょう。

こうした状況下で、君主制への移行は必然的な流れでした。もう一つの要因として、パトロネジ（patronage）の問題があります。貴族（パトロヌス）と平民（クリエンテス）の相互扶助関係は、都市国家時代には貴族のノブレス・オブリージュを支えるものでしたが、巨大国家になると、貴族は身内を優先し、大局的な国家運営がおろそかになっていました。そのため、複雑なパトロネジ関係を、単一の中心人物によるシンプルな上下関係に整理する必要があったのです。

しかし、王政を廃止したローマにおいて、君主制はタブーとされていました。カエサルは終身独裁官に就任しましたが、共和政の伝統を守ろうとする勢力によって暗殺されました。その後、オクタウィアヌスは紀元前27年に「アウグストゥス」の称号を受け、最初の皇帝となりました。しかし、アウグストゥスは共和政の伝統を維持する立場をとり続け、実質的な皇帝でありながら、建前上は共和政の守護者として振る舞いました。この体制が、後世「プリンキパトゥス（元首政）」と呼ばれるものです。

プリンキパトゥスの権力構造

アウグストゥスは「プリンケプス（第一人者）」の地位にもありました。最高権力者であることを示唆するような振る舞いを避け、直接の職権を伴わない「プリンケプス」という称号は、彼にとって格好の隠れ蓑となりました。アウグストゥスの権力は、執政官、上級プロコンスル（属州総督）、護民官の権限を一身に集約することで構成されていました。これらの権限は、合法的な統治の根拠であり、特に執政官と上級プロコンスル権限は、事実上全ローマ軍の統帥権を意味していました。さらに、アウグストゥスは内乱の勝者としての圧倒的な権威、そして最高神祇官としての宗教的権威も有していました。

アウグストゥスが得た主要な称号と権限は、以下の通りです。

「プリンケプス」：元老院と市民における第一人者
「執政官のインペリウム」：ローマの行政権とイタリア半島における軍指揮権
「上級属州総督のインペリウム」：皇帝属州の行政権と元老院属州への影響力、属州軍の指揮権
「護民官職権」：身体の不可侵権、元老院への議案提出権、民会召集権、拒否権
「カエサル」：ユリウス氏族の称号
「アウグストゥス」：尊称
「インペラトル」：個人名として使用
「最高神祇官」
* 「国家の父」

ユリウス＝クラウディウス朝と帝政ローマの展開

アウグストゥスから5代にわたるユリウス＝クラウディウス朝では、血縁による皇帝の世襲が行われました。しかし、ローマの主権者は依然として「元老院とローマの市民（SPQR）」であり、皇帝は元老院の承認を得て統治するという形式は維持されていました。この形式は、帝政が続くにつれて形骸化していきましたが、王政アレルギーの強いローマにおいて、帝政を樹立するには必要だったのです。ネロのように元老院の承認を取り消された皇帝は、自殺に追い込まれました。

その後、内乱を経てフラウィウス朝、五賢帝時代へと続きます。五賢帝時代は、有能な人物が後継者に選ばれ、元老院の承認を得て帝位を継承した時代とされています。ただし、五賢帝の多くは血縁関係があり、五賢帝時代の終焉は、マルクス・アウレリウスの暴君コンモドゥスによるものだと言えるでしょう。

軍人皇帝時代と専制君主制

「3世紀の危機」と呼ばれる時代には、ローマ皇帝は軍事的才能が求められるようになりました。元老院は兵士が擁立した皇帝を追認するだけとなり、多くの皇帝が戦死、事故死、暗殺などで亡くなりました。235年から284年の約50年間で20人の皇帝が交代したこの時代が軍人皇帝時代です。

ディオクレティアヌスは軍人皇帝時代を収拾するため、改革を行いました。「アウグストゥス」は皇帝、「カエサル」は副帝を表す称号となり、ローマ帝国は建前と実質の両方で君主制へと移行しました。この体制を「専制君主制（ドミナートゥス）」と呼びますが、近年では、元首政に代わる専制君主制という明確な体制は存在しなかったとする見解も出てきています。

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