ベネウェントゥムの戦い

紀元前275年、現在のイタリア南部、ベネヴェント市にあたるベネウェントゥムの地で、エペイロス王ピュロスが率いるギリシア連合軍と、台頭著しい共和政ローマ軍が雌雄を決する戦いを繰り広げました。これは、ギリシア勢力がイタリア半島への影響力拡大を目指したピュロス戦争の最終盤にあたる決定的な戦闘であり、その結果はイタリア半島の歴史における覇権の所在を明確に示すこととなりました。

ピュロスは、ローマとの過去の戦い（ヘラクレア、アスクルム）で辛勝を収めた後、シケリア島からの救援要請に応じ、半島の一部に守備隊を残して島へ渡り、カルタゴ勢力との戦いに臨みました。彼はシケリアの大部分をその手中に収めましたが、占領地での強権的な統治は現地ギリシア人の反発を招き、最終的には島からの追放を余儀なくされます。イタリア本土へ戻ったピュロスは、ここでローマとの戦いを終結させ、故国エペイロスへの帰還を決意します。

紀元前275年、ローマは当時の執政官マニウス・クリウス・デンタトゥスの指揮下、歩兵約1万7千、騎兵約1千2百の兵力を率いて南下し、ベネウェントゥム近郊、当時はマルウェントゥムと呼ばれた地に堅固な陣地を構えました。一方、ピュロス軍は歩兵約2万（その多くはイタリア現地の同盟勢力）、騎兵約3千、そして戦象20頭という構成で、ローマ軍が布陣するマルウェントゥム目指して進軍しました。

ピュロスは偵察部隊の情報に基づき、ローマ軍陣地の位置を把握すると、夜陰に乗じて奇襲を仕掛けることを決断します。しかし、ローマ軍陣地へ到達するまでに予想外の時間を要し、攻撃開始時には既に夜が明け始めていました。さらに、ローマ軍は事前にピュロス軍の夜襲計画を察知しており、到着したピュロス軍を待ち構えていました。この夜明けの奇襲は失敗に終わり、迎撃を受けたピュロス軍は貴重な戦象の半数を失うという痛手を受けます。

夜襲失敗の翌日、ローマ軍は積極的な攻勢に転じます。最初の攻撃は、ピュロスの卓越した指揮と、エペイロス軍の堅固な重装歩兵部隊（ファランクス）の抵抗に阻まれ、成功しませんでした。しかし、ローマ軍は第二波の攻撃で、おそらく火矢などを用いた巧妙な戦術により、ピュロス軍の戦象部隊を混乱させることに成功しました。戦象が自軍の中を駆け回ることで、ピュロス軍の隊列、特に主力のファランクスは動揺し、後退を余儀なくされます。この決定的な局面が戦いの流れをローマ側に引き寄せました。なお、この戦場となった場所は、戦いの勝利を記念して「悪しき風」を意味するマルウェントゥムから、「良き風」を意味するベネウェントゥムへと改称されることになります。

ベネウェントゥムでの敗北、特に夜襲失敗と戦象の損失は、地の利もないピュロスにとって大きな打撃となりました。これ以上の戦闘継続は困難と判断したピュロスは、残存兵力である歩兵約8千、騎兵約5百を率いてイタリア半島を離れ、故国エペイロスへと帰還しました。

ピュロスの撤退後、ローマはマグナ・グラエキアのギリシア都市に対する攻勢を本格化させます。紀元前272年には、かつてピュロスと傭兵契約を結んでいた主要都市タレントゥム（タラス）を降伏させ、紀元前270年にはマグナ・グラエキアで最後までローマに抵抗を続けたレギウム（レギオン）を陥落させました。これにより、ローマはイタリア半島の統一をほぼ達成することになります。

ベネウェントゥムの戦いにおいて、ローマ軍は古代ギリシアでも屈指の名将として知られるピュロスに対し、直接的な包囲殲滅のような完全勝利こそ得られませんでしたが、戦闘ごとに大きな損害を与え続け（いわゆる「ピュロスの勝利」）、その軍を消耗戦に追い込むことに成功しました。そしてこの戦いでの撤退は、ローマが地中海世界において強大な勢力として台頭したことを内外に知らしめる結果となりました。

また、この戦いは、アレクサンドロス大王以来、無敵とされたマケドニア式の密集重装歩兵陣（ファランクス）に対し、より柔軟性と機動性に富むローマ軍団が最終的に優位に立つことを予見させるものでした。以後もヘレニズム諸国とローマは対立を深めますが、ピュロス以上にローマを苦しめるヘレニズム世界出身の将軍は現れませんでした。ベネウェントゥムの戦いは、まさに時代がヘレニズム世界からローマへと移行する転換点の一つだったと言えるでしょう。

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