メルセデス・ベンツ・300SLR

メルセデス・ベンツ 300SLR：伝説のレーシングカー

1955年、スポーツカー世界選手権の戦場に、圧倒的な速さと華麗な走りで観客を魅了したマシンが存在しました。それが、メルセデス・ベンツ300SLRです。本記事では、この伝説的なレーシングカーの開発背景、技術的特徴、そして輝かしいレース戦績について、詳しく解説します。

開発の背景

300SLRは、1954年のF1世界選手権を席巻したメルセデス・ベンツW196をベースに開発されました。競技種目の違いを反映した仕様変更は加えられていますが、シャーシ、ブレーキ、サスペンションといった基本構造はW196と共通しています。車名にある「300」は3リッターエンジンを示し、「SLR」はドイツ語で「Sport Leicht Rennwagen（スポーツ・軽量・レーシングカー）」を意味します。

市販スポーツカーである300SLと混同されがちですが、両車には全く関連性がありません。300SLの宣伝効果を狙って、類似した名称が採用されたと言われています。実際、300SLのプロトタイプは「W194」、量産型は「W198」であるのに対し、F1マシンW196の派生型である300SLRは「W196S」という型式番号が付けられています。

メルセデス・ベンツのワークスチーム専用車として、オープンタイプ9台（うち1台は欠番）、クーペタイプ2台が製作されました。オープンタイプは開発・練習用とレース用で役割が分けられていました。クーペタイプはレースには出場せず、主に移動や練習に使用されました。

技術的特徴

シャーシ

20～25mm径の鋼管を組み合わせたスペースフレーム構造のシャーシは、W196と共通の設計思想を受け継ぎながらも、2座席化、ホイールベース延長、燃料タンクの大型化、オイルタンクの移設などの変更が施されました。サスペンションは前後独立懸架式で、トーションバー・スプリングとリアスイングアクスルの一点支持が特徴です。

インボード式ドラムブレーキには大型の冷却フィンが装着されましたが、長距離レースではブレーキフェードが懸念されました。そのため、ドライバーがコクピットからプランジャーを操作し、ブレーキ内部にオイルを注入することでロックを解除する安全装置が備え付けられていました。

エンジン

W196と同様に、直列4気筒エンジンを2基並べた直列8気筒エンジンを搭載。右に60度傾けて搭載する手法、ボッシュ製燃料直噴システム、デスモドロミック式バルブ開閉機構など、革新的な技術が採用されています。エンジンの傾斜によりトランスミッションとプロペラシャフトが左側にオフセットされ、ドライバーはフロアトンネルを跨いで着座する独特のレイアウトとなっています。

排気量はF1仕様の2.5リッターから3リッター（2,979cc）に拡大され、シリンダーブロックにはレーシングエンジンとして初めてアルミ合金が採用されました。最高出力は310PS/7,500rpmと、高回転型の特性を持つ一方で、中低速域での扱いやすさも重視された設計となっています。また、F1車両とは異なり、市販ガソリンにも対応できる設計が施されていることも特筆すべき点です。5段ギアボックスは2速以上がシンクロメッシュで、ディファレンシャルギアと一体化して配置されています。

ボディ

当初はクーペタイプが予定されていましたが、ドライバーからの要望により、オープンタイプに変更されました。軽量マグネシウム合金製のボディは、W196の高速サーキット仕様と似たフォルムを持ち、ボディサイドには排熱用のエアスクープが設けられています。ドライバーのみの乗車時にはサイドシートをトノカバーで覆い、ナビゲーターが同乗する場合は幅広のウィンドスクリーンが装備されました。

クーペタイプは、スペースフレーム構造に基づいてガルウィングドアを採用しています。このクーペは、メキシコのカレラ・パナメリカーナ・メヒコ出場用として製作されましたが、大会中止によりレースには出場せず、移動や練習用として使用されました。また、1956年シーズン用の開発車両も存在していましたが、ワークス活動休止により実戦投入されませんでした。

エアブレーキ

ル・マン24時間レースのサルテ・サーキットにあるミュルサンヌコーナーへの急減速地点に対応するため、エアブレーキが搭載されました。ドライバーがダッシュボードのレバーを操作すると、ヘッドレストと一体のリアデッキが跳ね上がり、エアブレーキとして機能します。ギアボックスと連動して2速にシフトダウンすると自動的にエアブレーキが閉じ、仰角も2段階に調整可能という、高度な機構が採用されていました。

レース戦績

メルセデス・ベンツは1954年からF1と並行してスポーツカー世界選手権への参戦を計画していましたが、F1のスケジュールにより遅れが生じました。

300SLRのデビュー戦は1955年4月のミッレミリアでした。スターリング・モス/デニス・ジェンキンソン組が優勝を飾り、平均速度157.7km/hという驚異的な記録を樹立しました。この記録は1957年の大会終了まで破られることはありませんでした。

6月のル・マン24時間レースでは、大規模な事故が発生し、メルセデス・ベンツはレースから撤退を余儀なくされました。しかし、9月のツーリストトロフィーと10月のタルガ・フローリオでは優勝を果たし、見事マニュファクチャラーズ選手権を制覇しました。

300SLRは、出場した6レース中5勝という圧倒的な成績を残しました。しかし、メルセデス・ベンツが1956年シーズンからのレース活動撤退を発表したため、300SLRの活躍はわずか1シーズンで幕を閉じました。

名称の復刻

300SLRのデザインや技術的特徴は、後世のモデルにも受け継がれています。2000年代に開発されたメルセデス・ベンツ SLRマクラーレンは、跳ね上げ式ドア、サイドエグゾースト、エアブレーキなど、300SLRへのオマージュが数多く盛り込まれています。また、タグ・ホイヤーはメルセデス・ベンツとのコラボレーションにより、「カレラ 300 SLR 1887 クロノグラフ」を限定発売しました。

史上最高額の落札

2022年5月、メルセデス・ベンツ博物館で開催されたオークションで、2台のみ製造された300SLRウーレンハウトクーペが、1億3500万ユーロ（約180億円）という驚異的な価格で落札されました。これは、自動車オークション史上最高額の落札記録です。

まとめ

メルセデス・ベンツ300SLRは、その圧倒的な性能と美しいデザイン、そして数々の伝説的なレース戦績から、今もなお多くの自動車ファンを魅了する名車です。その歴史と技術的革新は、現代の自動車開発にも大きな影響を与え続けています。

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