一ノ矢充

一ノ矢充（いちのや みつる、本名：松田哲博）は、1960年12月28日に鹿児島県徳之島町で生まれた元大相撲力士です。入門時は若松部屋に所属し、後には高砂部屋の一員となりました。突き押し、出し投げ、肩透かしを得意としていました。

彼の経歴で特筆すべき点は、国立大学から初めて角界入りした力士であるということです。琉球大学理学部物理学科で学んだ後、大学で自ら立ち上げた相撲部での活動を経て、大相撲への道を志しました。プロの世界に飛び込む際、身長が規定に満たなかったため新弟子検査合格に時間を要しましたが、最終的には当時の鏡山親方（元横綱柏戸）の温情により認められ、1983年11月場所で前相撲から初土俵を踏みました。

番付上の最高位は、1991年7月場所で記録した東三段目6枚目でした。関取には昇進しませんでしたが、1984年3月場所から2006年1月場所まで実に22年間にわたり序二段以上の地位を維持し続けるという稀有な記録を残しています。特に注目されたのは、その驚異的な現役期間の長さです。

1997年7月には現役力士の中で最年長となり、その後も記録を更新し続けました。2005年9月場所には、当時存命していた力士としては昭和以降の最年長記録を塗り替えています。40歳を過ぎてからも土俵に上がり、自身よりも大幅に若い力士との年齢差対決がたびたび話題となりました。例えば、2006年には当時現役最年少力士だった和木や鶴大輝との対戦で、29年以上の年齢差がある取組が組まれ、大きな注目を集めました。

相撲に対する彼の考え方もユニークでした。年齢に関する質問に対して、相撲を単なるスポーツではなく「武道」と位置づけ、「年齢に関係なく、筋肉のつけ方や使い方によって強くなる相撲の本質」を追求したいと語っていました。「年を取るのが楽しみ」「体が動く限り続けたい」という言葉は、彼の飽くなき探求心を表しています。また、「相撲の横綱にはなれないが、四股の横綱にはなれる」と語り、自身の鍛錬に深く向き合っていた姿勢がうかがえます。

2007年11月場所限りで引退を表明しました。現役最後の土俵は通算1001回目でした。引退時には現役最年長力士であり、2017年まで昭和以降の最高齢力士記録保持者でした。引退発表と同時に、翌年結婚することを公表。2008年に行われた結婚式では、妻となった方にも鋏を入れてもらう断髪式も行われました。

引退後も角界との関わりは続きました。長年、高砂部屋のマネージャーとして部屋の運営を支え、後進の指導にもあたっていました。2020年、師匠の停年に伴いマネージャー職を退いた後も、アドバイザーとして部屋をサポートしています。

また、一ノ矢氏は力士としては珍しく、精力的な著述活動を行っています。自身の経験や相撲の動きに基づいたトレーニング理論に関する著書を複数出版しており、特に股関節の動きや日本の伝統的な身体操作法（シコ、テッポウ、腰割りなど）を科学的に解説した内容は注目を集めました。関取経験がない力士が、自伝や角界の裏話といった内容以外で著作を刊行する例は極めて稀であり、その多才ぶりを示しています。

エピソードとして、元横綱朝青龍が新弟子時代から彼を慕い、「一ノ矢さん」と敬意を込めて呼んでいた話はよく知られています。朝青龍は一ノ矢氏を「彼ほど恐ろしい力士はいない」と評したと言われています。また、かつて同名の関取（一乃矢）や大関（一ノ矢藤太郎）が存在したことも、歴史的な繋がりを感じさせる出来事です。彼はまた、高齢力士の存在意義について、興行には「無駄」も必要であり、それを受け入れる懐の深さが相撲界にはあるべきだという持論を展開し、相撲界の多様性を認める姿勢を示しました。

一ノ矢充は、その学歴、長期にわたる現役生活、そして引退後の多角的な活動を通じて、大相撲におけるユニークな存在感を示しました。番付以上の影響力を持ち、相撲の新たな可能性を追求した彼の足跡は、多くの人々に記憶されています。

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