三増峠の戦い

三増峠の戦い（みませとうげのたたかい）は、永禄12年（1569年）10月8日に、甲斐の戦国大名・武田信玄と相模の戦国大名・北条氏の間で行われた合戦です。この戦いは、武田氏による駿河侵攻とそれに続く小田原城包囲という一連の軍事行動の中で発生しました。ここでは、合戦に至るまでの経緯を含め、詳細に解説します。

合戦の背景

戦国時代の甲相同盟と武田氏の駿河侵攻

戦国時代、甲斐の武田氏と相模の北条氏は、領国を接する隣国同士として、当初は武田信虎と北条氏綱の時代から抗争を繰り返していました。しかし、河越夜戦と同時期に終結した河東一乱の講和において、武田晴信（後の信玄）が北条氏康と今川義元の代理である太原雪斎の間を取り持ったことがきっかけで、両者の関係は和解へと向かいます。その結果、甲相同盟が締結され、さらに今川義元との同盟を加えて、甲相駿三国同盟が成立しました。

三国同盟のもと、武田氏は信濃侵攻を、北条氏は北関東侵攻をそれぞれ進め、両者は越後の長尾景虎（後の上杉謙信）に対抗する目的で協調関係を築いていました。しかし、武田氏の信濃侵攻は川中島の戦いを契機に停滞し、武田氏は方針を転換します。永禄11年（1568年）12月、武田氏は同盟を破棄して駿河の今川領国へと侵攻を開始しました（駿河侵攻）。この武田氏の駿河侵攻は、甲相同盟の破綻を招き、北条氏は上杉氏と越相同盟を結び、武田氏に対抗する姿勢を鮮明にしました。

小田原城包囲

永禄12年（1569年）1月、北条氏政は駿河薩埵峠に着陣し、興津で武田勢と対峙しました。同年8月24日、武田信玄は2万の軍勢を率いて甲府を出立、碓氷峠から上野国を南下し、途中で後北条氏の拠点を攻撃。10月1日には犬越路を通り、北条氏康が守る小田原城を包囲しました。

当時の小田原城は、惣構えが未完成でしたが、上杉謙信が10万以上の兵力をもってしても落とせなかった堅城でした。そのため、武田軍は城攻めをせず、包囲して3度にわたって挑発しましたが、後北条氏は城から出ようとしませんでした。包囲開始から4日後の10月5日、武田軍は城下に火を放ち、軍勢を撤退させました。

三増峠での激戦

武田軍が甲斐に帰国しようとする中、後詰めの北条氏照・氏邦の軍勢2万が要衝である三増峠（現在の神奈川県相模原市緑区と愛甲郡愛川町にまたがる場所）に着陣し、武田軍を迎え撃つ構えを見せました。さらに北条氏政が2万余りを率いて氏照・氏邦の部隊と武田軍を挟撃する作戦を立てました。

10月8日、両軍は三増峠で本格的な戦闘を開始しました。緒戦では北条軍が優勢に進め、武田軍は損害を受け、浅利信種や浦野重秀らが討ち死にしました。しかし、山県昌景率いる別働隊が志田峠（三増峠南西約1km）から奇襲を仕掛けると、戦況は一変しました。北条軍は、津久井城の守備隊が武田軍別働隊に抑えられて救援に駆け付けられず、大きな被害を受けました。武田軍は、左翼大将の浅利信種を失いましたが、曽根昌世の指揮により、北条軍を押し戻すことに成功しました。最終的には、武田軍が勝利を収めました。

また、武田軍は、千葉氏の部隊に対して「かつて北条と互角に渡り合った衆が、なぜ北条の家臣として扱われることに不満はないのか」と呼びかけ、千葉氏の勢いを鈍らせたとも伝えられています。

合戦終盤には、小田原から追撃してきた氏政の本隊が荻野（現在の厚木市）まで迫っていましたが、自軍の敗戦を聞きつけて進軍を停止し、挟撃は実現しませんでした。もし氏政の部隊が到着していれば、武田軍は挟撃されて大敗していた可能性もありました。

勝利した武田軍は、反畑（現在の相模原市緑区）まで移動し、勝ち鬨をあげた後、甲斐に撤退しました。この戦いで、武田方では西上野の箕輪城代であった浅利信種が戦死し、その後の箕輪城代は内藤昌秀・昌月親子に交代しています。

自刃にまつわる伝説

三増峠の戦いでは、双方の軍の武士の自刃にまつわる伝説が残されています。

武田軍の武士の一部は、甲斐国に撤退する途中で、実際には蕎麦畑の白い花を海と見間違えて道を誤り、敵国に深く踏み込んでしまったと思い込み、その場で自刃したと伝えられています。この出来事から、村人は蕎麦を作らないという伝承が生まれました。

また、北条軍の落ち武者も、トウモロコシの収穫後の茎を武田軍の槍と見間違え、逃げる術がないと悟って自刃したと言われています。この地では、その落ち武者を供養するために、トウモロコシを作らないという伝承が残っています。

さらに、三増峠周辺では合戦の死者の怨霊伝説が語り継がれており、近隣のヤビツ峠では餓鬼憑きの伝説も残っています。

合戦の評価

三増峠の戦いは、高低差を大きく利用した山岳戦として知られています。従来、『甲陽軍鑑』に基づいた武田氏側の視点からの評価がされてきましたが、北条側の史料では損害は軽微であったとされています。北条氏照は戦後、この合戦に勝利したという書状を上杉家に送っています。また、この戦いで古河公方家の重臣である豊前山城守が戦死し、北条氏康から未亡人に宛てた書状が現存しています。

この戦いは、戦略的には、武田氏が後北条氏を西の今川氏救援に動けなくし、結果的に武田氏が駿河侵攻を大きく進める要因となりました。また、武田氏の主力軍が上野国方面を通って小田原まで南下したことで、上杉謙信は本拠地の越後に戻らざるを得なくなり、越中方面での動きも停滞しました。

歴史学者の柴辻俊六は、信玄の小田原攻撃について、越相同盟への揺さぶりと共に、関東の反北条勢力への示威活動であった可能性も指摘しています。実際、北条家と越相同盟を結んだばかりの上杉謙信は、武田軍を牽制するための信濃出兵を約束していましたが、それを果たしませんでした。これは、将軍義昭から武田氏との和睦を命じられていたことや、謙信自身の越中戦線の事情が影響したと考えられています。

この戦いは、2年後に北条家が上杉家と手を切り、武田家と再同盟する遠因になったとも考えられています。

参戦武将

武田軍：武田信玄、山県昌景、浅利信種、曽根昌世、小幡信貞、加藤景忠など
北条軍：北条氏政、北条氏照、北条氏邦、北条綱成など

脚注

（省略）

参考文献

『甲陽軍鑑』
柴辻俊六『信玄の戦略―組織、合戦、領国経営』（中央公論新社、2006年）
平山優『武田信玄』（吉川弘文館、2006年）

関連文献

「毛利庄長竹村三増峠」『大日本地誌大系』第40巻新編相模国風土記稿5巻之122村里部津久井縣巻之7、雄山閣、1932年

三増峠の戦い