予言の自己成就

「予言の自己成就（Self-fulfilling prophecy）」とは、人が心の中で抱く信念や期待が、その通りの結果を現実にもたらす現象を指します。これは、人々が無意識のうちに、あるいは意識的に、自らの期待に沿った言動をとることで、結果としてその期待が現実のものとなる傾向があるために起こります。

この現象は、より広範な概念であるポジティブフィードバックの一形態と位置づけられます。良い結果をもたらすこともあれば、望ましくない結果につながることもあります。特に、人や物事に特定のレッテルを貼るだけで、それに対する認識が変化し、自己成就的な予言を生み出すことがあります。そして、人との関わりの中で交わされる対人コミュニケーションは、こうした期待やレッテルが定着し、現象を促進する上で大きな役割を果たします。

学術的な起源と研究

予言の自己成就という現象に学術的な光を当てた初期の人物として、アメリカの社会学者ウィリアム・アイザック・トマスとドロシー・スウェイン・トマス夫妻が挙げられます。彼らは1928年に『トマスの公理（格言）』として知られる考え方を提唱しました。「もし人々が状況を現実であると定義するならば、それはその結果において現実となる」というこの言葉は、後の研究の基礎となりました。

トマス夫妻の研究を引き継いだ同じくアメリカの社会学者、ロバート・キング・マートンは、「予言の自己成就」という言葉を考案し、この概念を広く知らしめました。彼は「信念や期待は、それが事実であろうとなかろうと、望まれたり予想されたりする結果を引き起こすことがある」という考え方を深く掘り下げました。マートンは、好ましくない結果を招く自己成就的な予言の具体例として、銀行の取り付け騒ぎを取り上げています。ある銀行が破産寸前だという根拠のない噂が広まると、人々は預金を引き出そうと銀行に殺到します。銀行は全ての預金を現金で用意しているわけではないため、結果として預金の引き出しに対応できなくなり、本当に破産してしまうというものです。これはまさに、「崩壊するという予言そのものが、その予言の実現を引き起こした」事例だとマートンは分析しました。

哲学者カール・ポパーは、この現象をギリシャ神話になぞらえ「エディプス効果」と呼びました。

個人レベルでの影響

マートンが社会全体に焦点を当てたのに対し、この現象は個人レベルでも起こり得ます。なぜなら、人は他者からの期待に影響され、それに沿うような行動をとることが多いからです。この個人レベルでの影響は、『ピグマリオン効果』として知られ、心理学者のロバート・ローゼンタールとレノア・ジェイコブソンによる有名な実験によって裏付けられています。彼らの実験では、教師に対し、ランダムに選んだ特定の生徒たちが今後大きく伸びると伝えました。すると、教師から高い期待をかけられたこれらの生徒たちは、実際に学年末のテストで顕著な成績向上を見せたのです。高い期待を抱く教師は、生徒に多くの応答時間を与えたり、具体的で肯定的なフィードバックを増やしたりする傾向があり、こうした無意識の行動が生徒のモチベーションやパフォーマンスに影響を与えるとされています。

しかし、この効果は否定的に働くこともあります。例えば、失敗を過度に恐れる人は、その恐怖が結果として客観的な能力発揮を妨げ、実際に失敗を招くことがあります。また、女子学生が男性教員に対して性差別的な態度をとると予想した場合、それが実際に学業成績の低下につながる可能性も示唆されています。

社会現象への広範な応用

予言の自己成就は、教育現場以外にも様々な社会現象に影響を与えています。公教育の分野では、教師の生徒に対する期待が学業成績に大きく影響することが繰り返し示されています。

経済においては、マートンの銀行の取り付け騒ぎの例に加え、株式市場のパニック売りや投機バブルも、株価の下落または上昇に関する信念が大量の取引行動を引き起こし、その信念を現実化させる典型例です。技術予測であるムーアの法則も、予測そのものが研究開発を促進し、自己成就的に実現する側面があると考えられています。

また、社会的なラベリングや偏見も、予言の自己成就を生み出す温床となります。ホームレスや薬物依存者といった特定の社会集団に対して否定的なレッテルが貼られると、社会からの期待に沿うように、その集団の人々が実際にレッテル通りの行動をとる傾向が見られます。人種主義においても、これは深刻な問題です。例えば、黒人労働者が組合活動の経験がないと見なされ、労働組合のある企業に雇用されないことで、実際に組合活動に不慣れになり、労働組合から疎外されるという悪循環が生じます。心理学者のケネス・B・クラークによる黒人の子どもたちを対象とした人形実験や、教師のマイノリティ生徒に対する低い期待の研究は、学んだ劣等感が内面化され、自己成就的な結果を招くことを明らかにしました。

国家間の関係では、「戦争の不可避性」という考え方が、緊張を高め、結果として実際に戦争を引き起こす例（トゥキュディデスの罠など）が挙げられます。2003年のイラク侵攻も、イラクがテロリストの脅威をもたらすという根拠の薄い信念に基づいて行われましたが、その結果イラクがテロ組織の拠点となる皮肉な結果を招き、当初の懸念を自己成就させたとも言えます。

人間関係における側面

個人の予言は、人間関係にも影響を及ぼします。例えば、「拒絶されるのではないか」という不安が強い人は、その期待から他者との関わりの中で、相手からの拒絶を引き出すような言動をとってしまう可能性があります。特にロマンティックな関係において、この「拒絶感受性」が高い人は、パートナーの満足度や関係へのコミットメントを損なうような行動をとる傾向があることが研究で示されています。

関連する心理学の概念として、観察者期待効果、ホーソン効果、プラセボ効果、ノセボ効果、ステレオタイプ脅威など、様々な現象が挙げられます。

歴史と文学における描写

予言の自己成就は、古来より様々な物語や歴史の中で描かれてきました。特に、運命の不可避性を示すモチーフとして用いられることが多く、予言を避けようとする試みそのものが、かえって予言の実現を招くというアイロニーがしばしば強調されます。

ギリシャ神話では、オイディプスの物語がその典型です。「息子に殺される」という予言を恐れた父ライオス王が新生児の息子を捨てるも、オイディプスは救われ、後に知らずに実父を殺し、実母と結婚してしまいます。クロノスがゼウスに玉座を奪われる予言を恐れて子を飲み込むも、ゼウスは助け出され、結局クロノスを打倒する物語も同様です。

ローマ建国神話のロームルスとレムスも、伯父が甥に殺される予言を恐れて二人をテヴェレ川に捨てるも、救われた二人が成長して伯父を殺し、予言を成就させる例です。

中世アラビア文学の『千夜一夜物語』には、夢の中で宝の場所を告げられた男が、その夢を信じて旅をした結果、夢で示された通りの場所で宝を発見するという「自己成就夢」の物語があります。これは、予言が未来を予言するだけでなく、予言そのものが未来を実現させる原因となった例として、後の文学にも影響を与えています。

ヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』におけるクリシュナの物語では、カンサ王が姉の子に殺される予言を恐れて姉の子を次々と殺すも、隠れて育てられたクリシュナによって最終的に殺されるという形で予言が成就します。

10世紀のルーシの公爵ノヴゴロドのオレグに関する古い年代記では、馬が死の原因になると予言されたオレグが馬を遠ざけるも、後にその馬の頭蓋骨から現れた蛇に噛まれて死ぬという話が伝えられています。

ヨーロッパのおとぎ話にも、貧しい少年が裕福な少女と結婚するという予言を少女の父親が阻止しようとするも、その努力がかえって二人の結婚を招くという構造の物語（アールネ・トンプソン分類930型）が数多く見られます。

ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『マクベス』は、近代における有名な例です。魔女たちの予言（王になる、バンコーの子孫が王になる）に駆り立てられたマクベスが、予言を実現させようとして王や友人を殺害しますが、この行動が彼に対する反逆と最終的な破滅を招き、バンコーの子孫が王位につくという予言（バンコー自身の直接の子孫ではないが）の成就につながります。

現代の例

現代では、ニューエイジにおける「引き寄せの法則」が予言の自己成就の典型例として挙げられることがあります。「思考は現実化する」という考えに基づき、特定の思考に焦点を当てることで、それに沿った結果が引き寄せられるとされます。しかし、これには科学的な根拠はありません。

スポーツの世界でも、コーチやメディアからの期待が選手のパフォーマンスに影響を与えることが研究で示されています。

まとめ

予言の自己成就は、単なる心理現象に留まらず、個人の行動、対人関係、教育、経済、社会構造、そして歴史や文化、文学といった幅広い領域に深く根差した概念です。因果ループの一形態とも考えられ、予言そのものが原因となって結果を生み出すという複雑な側面も持ち合わせています。自らの信念や他者からの期待が、いかに現実を作り出す力を持つかを理解することは、自己認識や他者との関わりを考える上で重要な示唆を与えてくれます。

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