井口氏

越中国礪波郡石黒荘井口郷（現在の富山県南砺市井口地域）に存在した武家。

出自を巡る論争

井口氏の出自については諸説あります。『源平盛衰記』には藤原北家魚名流利仁流の名族であると記され、この説は近世・近代の史書にも影響を与えました。しかし、『平家物語』に見られないことや、当時の状況との整合性の低さから、この記述は承久の乱以降に形成された可能性が高いと考えられています。『尊卑分脈』に石黒・井口氏に関する記述がないことも、この推測を補強します。

別の説として、井口氏は元々、小矢部川上流の石黒氏を宗家とする武士団の一員であり、太美氏らと同族であったとする見方があります。石黒氏の系図には藤原氏を称するものが多い中、『越中石黒系図』のみが古代の利波氏の後裔と記し、後に林氏の猶子となり藤原氏に改姓したという伝承を含みます。この系図には創作部分も多いですが、石黒氏を含む一族が利波氏出自で後に藤原氏を称したという所伝は蓋然性が高いと考えられています。

歴史

鎌倉時代の定着

鎌倉時代中期の『関東下知状』によれば、石黒荘は10郷から成る広大な荘園でした。このうち「大光寺郷」は後の井口郷にあたると推定されており、鎌倉時代以降、大光寺郷と直海郷は公家の鷹司家の荘園となります。おそらく大光寺郷の中心地であった井口に本拠を置いた在地領主が、鎌倉時代を通じて武士団として定着し、井口氏を称するようになったと考えられます。

南北朝時代の活動

南北朝時代に入ると、井口氏は武士団として活発に活動し、『太平記』にもしばしば登場します。建武2年（1335年）の中先代の乱に際しては、越中の武士団として名越時兼に呼応して挙兵しました。さらに同年、越中守護井上俊清に従い、国司中院定清を殺害する事件にも関与しています。

足利尊氏が室町幕府を開くと、越中守護に任じられた桃井直常が幕府の内紛で尊氏と対立します。康安2年（1362年）、越中で挙兵した桃井直常のもとには越中の武士たちが集まります。『太平記』には、桃井直常が井口ノ城に向かおうとして敗北した記述があり、井口城が桃井方の重要な拠点であったことが示唆されます。しかし、桃井方は幕府方に追い詰められ、応安2年（1369年）には礪波郡で激戦が繰り広げられ、桃井方の井口城などが攻め落とされました。桃井氏没落後、これに味方した井口氏の大半は没落したと推測されますが、庶流が家名を継いで存続したと考えられています。

室町時代（畠山氏期と五箇山支配）

桃井氏没落後の越中守護は畠山氏となります。これ以後、室町時代を通じて畠山家臣としての井口氏の活動が記録に見られます。明徳3年（1392年）には「井口彦五郎奉忠」が相国寺供養に畠山家臣として参列し、康正2年（1456年）には「井口美濃国忠」が高瀬荘地頭方の代官職を請け負った記録があります。

また、応永19年（1412年）の東寺造営棟別銭徴収記録に「なしとか（梨谷・利賀谷、五箇山地域）」が「いの口方」であったと記されており、五箇山地域が井口氏の支配下にあったことがわかります。この時の井口氏は幕府の御料所に関わる幕府奉公衆であり、畠山家臣とは別系統であったと推定されています。この五箇山支配は、後述の衰退期まで続いたと考えられます。

井口氏の衰退と終焉

室町時代後半、北陸地方では本願寺勢力の拡大に伴い一向一揆が頻発します。礪波郡でも文明13年（1481年）の一向一揆により福光石黒家が没落し、井波瑞泉寺などが荘園の押領を開始します。前述の井口美濃国忠の子孫と見られる井口美濃守は、天文6年（1537年）に高瀬荘の支配のため越中に入国しようとしますが、瑞泉寺に入国を拒否されました。これは、越中一向一揆勢力が荘園領主の代官を排除し、「惣国」支配を確立していく過程を示す出来事です。これにより、井口氏も代官としての地位を失い、以降、砺波地方での活動記録はほとんど見られなくなります。

戦国時代末期の天正10年（1582年）には、越中一向一揆と佐々成政の間で「窪城」（現在の井口城址と推定される）を巡る攻防がありました（窪城の戦い）。この戦いを最後に越中一向一揆は鎮圧され、井口氏に代表される中世的な在地支配は終わりを告げ、近世的な支配体制へと移行しました。武家としての井口氏の歴史は、この頃に終焉を迎えたと考えられます。

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