人間そっくり

安部公房が1966年に雑誌連載し、翌年単行本化された長編SF小説が『人間そっくり』です。社会風刺的なラジオ番組の脚本を手がける「ぼく」の日常が、突如現れた自称・火星人の男によって一変する物語。男の言動は狂人のように見えますが、その奇妙な論理に引きずり込まれるうちに、「ぼく」は自分がいる世界の現実性が疑わしくなり、何が真実で何が虚構なのか判別がつかなくなっていきます。

物語は、「ぼく」の家に火星人だと名乗る男が訪ねてくるところから始まります。男は「ぼく」の番組のファンだと語りますが、その振る舞いは常軌を逸しています。男の妻を名乗る女性からの電話で、男が精神病院を退院したばかりであることが示唆され、「ぼく」は妻が迎えに来るまでの短い時間、彼を刺激しないよう穏便に対応することを求められます。自称・火星人の突飛な話に調子を合わせながらも、時折見せる男の攻撃的な気配に「ぼく」は怯えます。

男は、なぜか「ぼく」のラジオ番組が打ち切り間近であることを知っており、「ぼく」に小説家への転身を勧めます。そして、「人間そっくり」と題された自身の小説原稿を示し、すでに「ぼく」の著作として出版社の売り込みを済ませていると主張します。この小説を利用して自身の「火星協会」を宣伝する目論見であり、「ぼく」のペンネームまで勝手に決めていました。「ぼく」がその話に少し興味を示すと、男は急に態度を変え、原稿を引っ込めて「あわてる乞食はもらいが少ない」と嘲笑し、「ぼく」の自尊心を傷つけます。

男の妻はなかなか現れず、「ぼく」の妻は、男が団地の上の階に住む保険外交員だったことを思い出します。妻は男の部屋を探しに行きますが、男はそれを察知し、自分の妻は狂人だと主張し、「ぼく」の妻もまた、冗談の「狂人保険」を手続きしようとした「狂人」だと言い放ちます。「ぼく」は男の詭弁に不快感を覚えつつも翻弄され、男の小説原稿「人間そっくり」を読む羽目になります。男は再び自身を火星連邦政府の使節だと名乗り、地球との貿易協定締結や、日本を火星連邦に加入させ、火星人そのものにするという使命を語り始めます。そして、「ぼく」に火星政府の代理人になってほしいと懇願します。

妻の帰りが遅いため、「ぼく」は男と共に彼の部屋へ向かいます。しかし、それは罠でした。部屋には「ぼく」の妻はおらず、男の妻と名乗る女性がいました。彼女との会話中に、「ぼく」はつい腹を立てて男を擁護するような発言をしてしまい、「ぼくが火星人でないという証拠はどこにもない」と主張するに至ります。この会話は陰で男によって録音されていました。男と女は「ぼく」を理解者だと歓喜し、突然「ぼく」に襲いかかり、精神病患者用の拘束衣を着せます。「ぼく」は慌てて火星の代理人を引き受けると譲歩しますが、男はそれを拒絶し、シャワーから出る緑色の煙を浴びせます。その瞬間、「ぼく」の記憶は途切れます。

次に気がついた時、「ぼく」は精神病院と思われる場所にいました。そこで毎日、医者や看護婦から「ここは地球か火星か」「君は人間か、火星人か」という同じ質問を受け続けます。「ぼく」は、もし質問している医者自身が「トポロジー神経症」の患者だったら、と疑念を抱き、問いに対して明確な答えを返すことができません。果たしてこの現実は、寓話が実話に敗北した結果なのか、それとも実話が寓話に飲み込まれた結果なのか、「ぼく」には分からなくなってしまうのです。

この作品は、1958年の短編小説『使者』や1959年のテレビドラマ『人間そっくり』を元に長編化されたものです。安部公房自身は、本作の主題について、人間が所属集団（家族から民族まで）に求める「帰属本能」に対する「意地の悪い解剖学的所見あるいは挑戦」であると述べています。また、トポロジー（位相幾何学）理論を単なる比喩ではなく、物語の主題を展開させるための重要な手法として取り入れたと解説しています。

批評家たちは本作の独特な構造や雰囲気に注目しています。福島正実は、会話と状況説明が中心でありながら状況が二転三転し、事実と妄想、人間と火星人の区別が曖昧化していく点を指摘しています。高野斗志美は、安部公房の作品に共通する「他者」や「関係」への関心が本作にも見られ、「関係の構造の逆転」という視点から読み解けるとしています。永野宏志は安部の「仮説の文学」という言葉を用い、現代における自己と環境のあり方を説明するモデルとして本作を位置づけています。

本作は、早川書房から単行本（1967年）、ハヤカワ文庫（1974年）、新潮文庫（1976年、改版1996年）として刊行されています。原型となった短編『使者』は『無関係な死』（新潮社、1964年）などに収録されています。テレビドラマ版は中日テレビで1959年に放送され、舞台版は劇団人間座によって1962年に上演されています。

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