北上夜曲

『北上夜曲』（きたかみやきょく）は、1941年に世に出た日本の叙情歌です。「北上川の初恋」という別名でも知られています。

この楽曲は、まだ学生だった二人の若者によって生み出されました。作詞を手掛けたのは、当時岩手県立水沢農学校で学んでいた菊地規氏（1923年～1989年）で、1940年12月のことです。そして、その歌詞を受け取り曲をつけたのが、翌1941年2月、旧制八戸中学校の生徒だった安藤睦夫氏（1924年～2007年）でした。二人は同じ下宿生活を送る仲間であり、共に岩手県出身でした。作曲に没頭した安藤氏は、試験勉強がおろそかになり、留年の危機に直面したというエピソードも残されています。

当初、菊地氏がつけた仮の曲名は「北上川のささやき」でした。しかし、当時流行していた「蘇州夜曲」にあやかり、最終的に「北上夜曲」と改められました。

誕生後の広がりと戦後のヒット

楽曲が誕生した後、作詞・作曲を手掛けた二人は教師の道へと進みました。彼らが教える子供たちへ口伝えで歌が広まり、戦時中も岩手県内でひっそりと歌い継がれていきました。

戦後、歌声喫茶がブームとなる中、1955年頃から1956年にかけて、新宿の歌声喫茶や酒場で、この曲が作者不詳の愛唱歌として「北上川の初恋」の題名で歌われ始めます。

正式な録音第一号は、1961年1月22日にサンキョー・レコードからソノシートとして発売されたものです。その後、日本グラモフォンから高城丈二氏が歌唱したレコードが登場しました。

同年、週刊誌『サンデー毎日』の1961年2月12日号が、この曲を作者不明の愛唱歌として紹介したことが、大きな転機となります。この記事に対し、作曲者である安藤氏が歌詞の一部に誤りがあることを指摘する投書を送り、名乗りを上げたのです。

これを機に、楽曲は一躍注目を集め、同年に複数のレコード会社から競作で発売されることとなりました。参加したのは、ダークダックス（キングレコード）、多摩幸子氏＆和田弘とマヒナスターズ（ビクター）、菅原都々子氏（テイチク）といった人気歌手たちです。さらに、東芝からは歌声喫茶での実況を収めたLPも発売されました。当時、日本の歌謡界を席巻していたリバイバルブームに乗って、『北上夜曲』は記録的なヒット曲となります。特に売上を伸ばしたのはダークダックス盤と多摩幸子氏＆和田弘とマヒナスターズ盤で、最もヒットしたのはダークダックス盤だったとされています。

著作権争いと正式認定

楽曲がヒットしている最中、当時大学生だった女性作曲家が、自身の作品であると主張し、その証拠を日本音楽著作権協会に提出しました。しかし、協会は安藤氏の作曲時期がより早いことなどを考慮し、1961年4月20日、安藤睦夫氏を正式な作曲者として認定しました。

映画化とその後の展開

『北上夜曲』の人気は映画界にも波及し、同年に複数の映画が製作されました。日活『北上夜曲』（5月21日公開）、大映『北上川の初恋』（5月24日公開）、新東宝『北上川悲歌』（5月31日公開）などです。ダークダックス盤は川地民夫氏、松原智恵子氏出演の日活映画の主題歌に、菅原都々子氏盤は新東宝映画の主題歌として使用されました。

記録的なヒットという点では、2023年現在において、多摩幸子氏＆和田弘とマヒナスターズ盤が最も売上を記録しています。1970年には、その売上が200万枚を突破したとされています。

公共の場での利用としては、1982年の東北新幹線開業時から1991年まで、北上駅到着時の車内チャイムに『ふるさとチャイム』としてこの曲が採用されていました。

また、曲ゆかりの地には歌碑が建立されています。1974年には北上市が歌碑を建立し、1982年に展勝地レストハウスへ移設されました。さらに、1987年10月10日から2011年まで、「北上夜曲歌唱コンクール全国大会」が開催され、多くの人々に歌い継がれる機会となりました。

「発祥の地」に関する議論

『北上夜曲』の歌詞に描かれている情景は、作詞者の菊地規氏が青春時代を過ごした岩手県奥州市（旧江刺郡田原村、水沢町など）周辺の北上川流域が主なモチーフであると考えられています。菊地氏は、実家があった奥州市江刺田原の原体地区から、北上川にかかる小谷木橋を渡って水沢農学校に通学しており、一時期は北上川河畔の下宿に住んでいたこともあります。こうした背景から、奥州市江刺や水沢にかけての北上川沿いの風景や、当時の青春の情熱が歌詞に色濃く反映されていると推測されます。

一方で、楽曲名に含まれる「北上」という単語が、岩手県北上川流域の都市である北上市の市名と同じであること、さらに北上市に展勝地の歌碑が建立されたり、新幹線の駅チャイムに採用されたり、歌唱コンクールが開催されたりした経緯から、「北上市が北上夜曲の発祥の地である」と広く認識されている傾向が見られます。しかし、北上市という市名は1954年4月の昭和の大合併によって誕生したものであり、菊地氏が作詞した1940年12月よりも後のことです。

歌詞のモチーフとなった奥州市内には、この歌の「発祥の地」として位置付けられた歌碑（詩碑）が二カ所に建立されています。一つは桜木橋の江刺側、もう一つは小谷木橋（現在の新小谷木橋）近くの北上川河川敷内（水沢リバーサイドゴルフ場隣接地）にあります。

このように、『北上夜曲』は学生によって生み出され、多くの困難を乗り越え、戦後の日本で一大ブームを巻き起こし、今なお岩手県の情景と共に人々の心に響く愛唱歌として親しまれています。

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