大崎熊雄

大崎 熊雄

大崎 熊雄（おおさき くまお、1884年 - 1939年4月25日）は、日本の将棋棋士であり、後に贈九段の段位を贈られた人物です。高知県高知市の出身で、本名は熊吉。

青年期には幕末の志士、坂本龍馬に深く傾倒し、政治家を志した時期もあったとされています。しかし、その後の人生は将棋、そして棋界の発展に捧げられることとなります。

彼の運命は、日露戦争への従軍によって大きく変わります。旅順攻囲戦に参加し、特に奉天会戦での激戦中に負傷。この時の傷が原因で、右腕の自由を失うという重い代償を負いました。戦地から帰還した後、将棋の世界へと足を踏み入れます。当初は十三世名人関根金次郎の門弟でしたが、後に井上義雄八段の門下に移っています。実力を磨き、1917年には七段に昇段しました。

棋士としての活動に加え、大崎はジャーナリストとしても類稀な才能を発揮します。『国民新聞』や『時事新報』といった大手新聞の将棋欄を担当する一方、その卓越した交渉力を駆使し、全国各地の十数社に及ぶ地方新聞の将棋記事を請け負っていたと伝わります。その強引とも言える手腕は、新聞社側から「大崎には太刀打ちできない」と悲鳴が上がるほどであったと言われています。しかし、彼の行動原理の中心にあったのは、常に「将棋界全体の発展のために」という強い信念であり、これが彼の説得の際の常套句でもありました。また、観戦記者の育成にも力を注ぎ、菅谷北斗星や倉島竹二郎といった筆者を世に出しています。

将棋界における有力者の一人となった大崎は、自ら「将棋研究会」を組織し、将棋界の二大勢力であった関根金次郎の東京将棋倶楽部、土居市太郎の将棋同盟社と並び立つ存在として、時に競合しながらも棋界を牽引しました。小野五平名人の死去に伴い関根が名人位を襲位した後、分裂状態にあった棋界の統一の機運が高まります。1924年、将棋研究会を含む三派の合同が実現し、現在の日本将棋連盟の前身となる組織が誕生しました。この歴史的な統合において、大崎の政治的な手腕が極めて重要な役割を果たしたと評価されています。この功績が認められ、木見金治郎、金易二郎、花田長太郎らと共に八段に昇段しました。皮肉にも、この直後に関西で坂田三吉が独断で名人を名乗ることになりますが、これは自身より下位と見ていた大崎らの八段昇段に対する不満が一因であったとも推測されています。

将棋界全体の統制を強化しようとする動きの中で、当時若手の実力者であった木村義雄が、実力者が個別に担当していた地方新聞の将棋欄を連盟の下に一本化しようという案を推進した際、大崎はこれに猛烈に反発し、木村に直接抗議しました。しかし、木村が「将棋界のため」という、かつての大崎自身の言葉を用いて説得したことで、大崎は最終的に納得。その後は一転してこの改革に率先して協力したと伝えられています。

1935年、関根名人が勇退と実力制名人制度の導入を宣言。これを受けて開催された1936年の第1期名人決定大棋戦に出場しますが、持病による体調不良から途中棄権を余儀なくされました。この棋戦では、対局予定日であった二・二六事件の発生により、その日の対局が中止となる出来事がありました。大崎は高血圧という病を抱えながらも、「将棋指しは盤に向かうのが本分」として、あくまで対局の継続を強く主張したといいます。一方で、一部の将校が軍人勅諭に反して高橋是清ら重臣を殺害したことに対しては、激しい義憤から涙を流したと伝わっており、彼の将棋への情熱と同時に、国家に対する強い憂いを示しています。

1939年に逝去。当時の将棋大成会によって会葬が行われました。戦後、将棋界への長年の功績を称えられ、1964年11月3日、日本将棋連盟によって神田辰之助と共に九段位を追贈されています。

人物像については、倉島竹二郎の著書によると、毀誉褒貶相半ばする人物であったとされます。しかし、政治的な駆け引きや物事を大局的に捉える視点においては、他の追随を許さない傑出した能力を備えていたことは衆目の一致するところでした。居住していた市川では、町の要人である町長や警察署長さえ彼に一目置き、さらには裏社会の有力者である暴力団の親分からも敬意を払われる存在であったという逸話も残っています。よく知られたエピソードとして、1923年の関東大震災発生時、金易二郎と対局中であった彼は、全く動じず泰然自若とした態度を見せ、周囲から「さすが大崎」と絶賛されました。しかし、本人は後に「実際は腰が抜けて動けなかっただけだ」と述懐しており、豪胆に見える反面、人間味あふれる一面も持ち合わせていたことがうかがえます。

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