尊号一件

尊号一件：朝廷と幕府の対立、公家と勤皇家を巻き込んだ尊号を巡る紛争

尊号一件（そんごういっけん）は、江戸時代後期に朝廷と江戸幕府との間で発生した、閑院宮典仁親王への尊号贈与に関する紛議事件です。尊号事件とも呼ばれます。

事件の背景

第119代光格天皇は、後桃園天皇の養子として即位しました。実父である典仁親王は天皇より低い身分となり、天皇は父が臣下である摂関家を目上とすることに不満を抱いていました。

幕府が定めた禁中並公家諸法度は、天皇の父である親王の序列が摂関家よりも下であると定めていました。光格天皇は、典仁親王に太上天皇（上皇）の尊号を贈ることで、この状況を改善しようとしました。しかし、幕府にとって禁中並公家諸法度は初代将軍・徳川家康が定めた祖法であり、その改正は幕府の威厳を傷つけるものでした。

尊号を巡る朝幕の対立

1788年（天明8年）、公家の中山愛親らが幕府に尊号贈与を打診しました。老中・松平定信は、皇位についていない人物への皇号贈与は前例がないとして反対しました。朝廷は徳川時代以前の古例を持ち出し、朱子学を正当とする定信と対抗し、朝幕間の学問的論争に発展しました。

1791年（寛政3年）12月、天皇は公卿の「群議」を開き、大半の賛意を得て尊号宣下の強行を決定しました。

事件の収束

事態を憂慮した前関白・鷹司輔平は、定信に事の次第を告げ、尊号を断念させる代わりに典仁親王の待遇改善を求めました。定信は大政委任論を根拠に公家を処分し、勤皇家の高山彦九郎を処罰しました。

勤皇家である水戸徳川家が定信に賛成したことや、鷹司輔平らの説得を受け、天皇も尊号一件から手を引きました。定信は典仁親王に加増を行うことで、尊号の代償としました。

松平定信の思惑

定信は、寛政の改革によって幕藩体制の再建を進めていました。その思想的根幹である朱子学を保護し、大義名分や主君への忠義を重んじました。尊号一件は「忠」と「孝」の衝突であり、反朱子学的な動きを抑圧するために強硬策を採ったと考えられます。

また、同時期に11代将軍・徳川家斉が、実父の一橋治済に対して「大御所」の尊号を贈ろうとしました。定信は朝廷への尊号を拒否している手前、将軍に対しても同様に拒否せざるを得ませんでした。定信にとって治済は政敵であり、治済が大御所として権力を掌握することに危機感を抱いていました。しかし、これにより家斉の不興を買った定信は、後に失脚することとなります。

事件の影響

尊号一件については、中山愛親が江戸城で堂々と抗議したという伝説が生まれ、小説が密かに書かれました。定信が失脚すると、中山の伝説は定信失脚のきっかけと捉えられ、この風潮が強まりました。

定信の失脚後も尊号の件は認められませんでしたが、幕府は光格天皇の意向をほぼ認め、光格天皇と江戸幕府の関係は良好なものでした。

典仁親王は明治天皇の直接の祖先にあたり、1884年（明治17年）に慶光天皇の諡号と太上天皇の称号が贈られました。また中山愛親にも同年従一位が贈られました。

参考文献

* 田中暁龍「寛政期の尊号一件風説書の展開」『近世の公家社会と幕府』（吉川弘文館、2020年） ISBN 978-4-642-04331-1 P200-227.

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