山椒魚 (漫画)

つげ義春『山椒魚』：下水道の奥底で蠢く自我の独白

つげ義春の短編漫画『山椒魚』は、1967年に「ガロ」に発表された作品で、下水道に棲み着いた一匹の山椒魚の独白という形で物語が展開されます。作者自身も語るように、井伏鱒二の同名小説とは全く異なる意図を持って描かれた本作は、つげ作品において初めて自我と内面の問題が色濃く反映された作品として位置づけられます。

物語は、「俺がどうしてこんな処に棲むようになったのかわからないんだ」という山椒魚のモノローグから始まります。濁った水のために過去の記憶を失った山椒魚は、自身の置かれた状況、過去、そして未来について思索を深めていきます。当初は、犬や猫の死骸が流れ込む下水道の環境に嫌悪感を抱いていた山椒魚ですが、次第にヌルヌルとした汚水に快感を覚え、体質も変化し、体も巨大化していきます。そして、いつしか下水道を自分の住処として認識し、誰にも邪魔されない自由を謳歌するようになるのです。

日々、上流から流れ着く見慣れない物体を観察することが、山椒魚の日課となります。ある日、山椒魚の前に正体不明の物体が流れ着きます。それは人間の胎児でした。山椒魚は3日間も悩みますが、結局その正体を理解することができず、腹を立てて頭突きを食らわせます。そして、「明日はどんなものが流れてくるのか それを思うと俺は愉しくてしようがないんだ」という言葉で物語は幕を閉じます。

この作品が発表された頃、つげ義春は純文学を読み始めた時期であり、サルトルやカミュなどの実存主義哲学に触れていたことが、作風に影響を与えたと考えられます。権藤晋によれば、当時のつげは柳田国男の文庫本や実存主義哲学書などを読み耽っていたといいます。

『山椒魚』発表後、つげ義春は『李さん一家』、『峠の犬』、『海辺の叙景』、『紅い花』、『西部田村事件』、『長八の宿』、『二岐渓谷』、『オンドル小屋』、『ほんやら洞のべんさん』など、数々の問題作や代表作を立て続けに発表し、6月には『ねじ式』を発表します。権藤晋は、『ねじ式』よりもむしろこの時期に描かれた『山椒魚』や『李さん一家』の方が衝撃的だったと述懐しています。

つげ義春自身も、当時心の中に漠然とした不安や焦燥感があり、それを言葉で表現することの難しさを感じていたと語っています。また、椎名麟三や梅崎春生などの作家の作品を読み始めたのもこの時期であり、彼らの作品から影響を受けた可能性も指摘されています。

『山椒魚』は、下水道という閉鎖された空間を舞台に、自我の孤独と不安、そして外界との接触を渇望する心理を描いた作品です。山椒魚の独白は、読者自身の内面を深く見つめ直すきっかけを与えてくれます。単なるユーモラスな寓話としてだけでなく、人間の存在意義や社会との関わり方について考えさせられる、奥深い作品と言えるでしょう。

もう一度検索