幻化網タントラ

幻化網タントラ（Māyājāla Tantra）

『幻化網タントラ』は、仏教、特に後期密教において重要な位置を占める聖典の一つです。サンスクリット語では「Māyājāla Tantra（マーヤージャーラ・タントラ）」と呼ばれます。

概要

このタントラの特色として、経典に説かれる曼荼羅をはじめとする様々な曼荼羅やタンカにおいて、男尊が四面四臂、女尊が一面四臂のヤブユムの姿で表される『大幻化金剛』（Mahāmāyā：マハーマーヤー）を本尊（イダム）として祀ることが挙げられます。

新訳と旧訳

チベットには、『幻化網タントラ』のテキストとして新訳と旧訳の二種類が存在します。

新訳: サキャ派とカギュ派が主要な五タントラの一つとして依拠しています。金剛薩埵のヤブユムを主尊とし、「父タントラ」に分類されます。
旧訳: ニンマ派が伝承しています。三面六臂の大日如来を主尊とし、如来の五智以前の『根本智』を説き、それを『黒憤怒空行母』（トゥマ・ナクモ）とすることから「母タントラ」に分類されます。

松長有慶の研究によれば、曼荼羅の構成から見て、旧訳は『秘密集会タントラ』よりも後に成立したと推測され、新訳の方が旧訳よりも成立が早いと考えられています。また、旧訳に説かれる弥勒菩薩や地蔵菩薩といった八菩薩は、『秘密集会タントラ』には見られず、『秘密集会タントラ』聖者流の曼荼羅に見出されます。

田中公明は、『理趣経』の発展史から曼荼羅を解明し、新訳のテキストを旧訳のテキストよりも先行する『金剛薩埵のタントラ』のテキストであると考察しています。

チベット大蔵経には新訳の『幻化網タントラ』が収められています。ゲルク派は『幻化網タントラ』の代わりに『ヴァジュラバイラヴァ』（金剛怖畏）のタントラを主要な五タントラに入れています。

新訳を伝承するサキャ派とカギュ派、旧訳を伝承するニンマ派は、共にインドの大成就者ククラージャ（チベット名；ククリパ）に始まるとされています。ニンマ派では、新訳や先行経典を含め、『秘密蔵タントラ』を主本とする『ギュントゥル・タワ』（幻化網）経典群として扱います。

新訳の詳細

『幻化網タントラ』は無上瑜伽タントラに属し、父タントラに分類されます。後期密教に特有の十忿怒尊を描く最古層のタントラであり、「瑜伽タントラ」である『真実摂経』（初会金剛頂経）から、「無上瑜伽タントラ」の嚆矢である『秘密集会タントラ』への、すなわち「中期密教」から「後期密教」へと至る過程の中間的・過渡的・橋渡し的なタントラと見なされています。

ただし、このタントラを「瑜伽タントラ」とするか「無上瑜伽タントラ」とするか、また成立時期を『秘密集会タントラ』の前とするか後とするか、その位置付けについては異論や論争が存在します。

原典となる資料は、チベット訳と漢訳のテキストのみが現存し、サンスクリットの原本は未だ発見されていません。チベット訳としては、チベット大蔵経にリンチェン・サンポ訳『幻化網なるタントラ王』(Māyājāla-mahātantrarāja)（東北：№466）が収録されています。漢訳には宋代の法賢による『仏説瑜伽大教王経』（大正蔵：№890）、または『仏説幻化網大瑜伽教十忿怒明王観想儀軌経』（大正蔵：№891）があります。

旧訳の詳細

チベット大蔵経には、『幻化網タントラ』の旧訳とされる『金剛薩埵幻化網秘密一切鏡タントラ』(Vajrasattva māyājāla-guhyasarvâdarśa-tantra)（東北833）が収められています。

秘密蔵タントラとの関連

チベット仏教ニンマ派では、マハーヨーガの「タントラ部」として幻化網の『十八部大タントラ』（tantra chen po bcu brgyad）というタントラ経典群が伝承されており、この中心となるのが『秘密蔵タントラ』（Guhyagarbhatantra）です。秘密蔵タントラは内容的に幻化網タントラと密接な関係にあり、ニンマ派のマハーヨーガで最も重視されるタントラであり、幻化網（ギュントゥルタワ）タントラ群の中心に位置づけられています。

秘密蔵タントラはマハーヨーガに属しますが、アティヨーガ（ゾクチェン）にも関連しており、幻網タントラ群の本尊瑜伽や究竟次第系の瞑想技法がゾクチェンの初期の源泉の一つであった可能性も指摘されています。

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