後手番一手損角換わり

後手番一手損角換わり：一手損の妙手

後手番一手損角換わりは、将棋の角換わりにおける独特な戦法です。後手は通常、△8五歩から始まる角換わり序盤を省略し、早期に角交換を行います。これにより後手は一手損するものの、新たな戦略的可能性を開きます。

戦法の骨子

この戦法の核心は、後手が△8五歩を保留することで生まれる柔軟性です。8五の歩が8四に待機することで、桂馬を8五に跳ねる選択肢が生まれます。これは攻撃の幅を広げるだけでなく、7三の桂頭を敵の攻撃から守りやすくなるという防御的な効果も併せ持ちます。この一手損によって、後手は従来の角換わりでは考えられなかった多様な作戦展開が可能になるのです。

歴史と発展

この戦法は淡路仁茂によって考案されました。その斬新さから、阿部隆は淡路に「先生、やめたほうが良いですよ」と忠告した逸話が残っています。しかし、青野照市は淡路の棋譜を高く評価し、順位戦A級などでも採用するようになりました。青野は、角換わりにおいて飛車先を突かない方が作戦の幅が広がる点を指摘し、序盤早々に敢えて一手損するこの戦法は、現役のプロ棋士にとっても抵抗があったと述べています。

南口繁一や小堀清一らが矢倉戦回避のために用いていたとされる手法を進化させたもので、飛車先を保留する戦略としては前例のないものでした。2004年頃からプロ棋士の間で広く採用されるようになり、2007年には「現役棋士が選ぶ衝撃の新手・新戦法ベスト10」で第3位にランクインするなど、大きな注目を集めました。

瀬川晶司は、プロで流行する以前、アマチュア強豪の藤井真司にこの戦法で敗れた経験から、その先見性を高く評価しています。2005年の名人戦（森内俊之対羽生善治）では2局で採用され（結果は1勝1敗）、淡路はこれを機に升田幸三賞を受賞しました。

興味深いことに、2008年度の日本将棋連盟公式棋戦では、統計開始以来初めて後手の勝率が先手を上回りました（.503 - .497）。青野照市はこの結果に、後手番一手損角換わりが大きく貢献したと考えています。これは、従来の先手有利とされていた将棋界における大きな転換点となりました。


主な展開例

一手損角換わりに対して、先手は様々な戦法を用いて対応します。代表的な展開例として、腰掛け銀、棒銀、早繰り銀、ポンポン桂などが挙げられます。

腰掛け銀: 角換わり腰掛け銀と類似していますが、後手の飛車先の歩が8四にあるため、△8五桂からの反撃など、後手の選択肢が広がります。当初は先手有利と見られていた局面も、後手の研究が進み、先手にとって容易ではない展開となっています。

棒銀: 先手は後手の一手損を咎めるため、早い勝負を仕掛ける傾向があります。しかし、先手棒銀は従来の角換わりでも勝率が低く、一手損角換わりに対しても決定的な対策とはなっていません。むしろ、後手は△8四歩の形を生かし、攻撃の筋を消すなど、独自の利点を活かすことができます。

早繰り銀: 後手の一手損を咎める急戦策として、一時期流行しました。当初は後手が1筋の端歩を受けずに駒組みを進めるのが主流でしたが、先手は▲1五歩と端を突き越す手段を用いるようになり、現在は後手が△8五歩と保留していた歩を伸ばすなど、より複雑な展開となっています。

ポンポン桂: 急戦策の一つとして、ポンポン桂も考えられます。後手は桂ポンを警戒して慎重な駒組みを行うため、先手は独特の工夫が必要です。


結論

後手番一手損角換わりは、一手損という一見不利な状況から、新たな戦術的可能性を生み出した画期的な戦法です。その登場は、将棋界における先手有利という従来の常識を揺るがし、後手の勝率向上に貢献しました。現在も進化を続け、将棋の戦術に多様性をもたらし続けている重要な戦法と言えるでしょう。


参考文献

* 青野照市 (2009). 後手番一手損角換わり戦法. 創元社.

もう一度検索