暗黒舞踏

暗黒舞踏（あんこくぶとう）

土方巽（ひじかた たつみ）や大野一雄（おおの かずお）らを中心に、1960年代に日本で生まれた革新的な舞踊形式です。海外では「Butoh（ブトー）」として知られ、日本の伝統的な身体感覚と前衛芸術の精神を融合させた独自のスタイルが特徴です。この舞踊は、既存の価値観や舞踊規範への反逆とも言える試みであり、国内外の芸術界に大きな影響を与えてきました。

形成と歴史的展開

暗黒舞踏は、発生当初から他の前衛芸術グループとの活発な交流がありました。特に1960年代には、ハイレッド・センターといった舞台芸術を担う集団とのコラボレーションが盛んに行われました。1966年には「暗黒舞踏派解散公演」が行われ、名目上のグループは解散しましたが、土方巽らによる舞踊活動そのものはその後も途切れることなく続けられました。

その挑戦的な表現は、当時の日本の芸術界に強い衝撃を与えました。澁澤龍彦、瀧口修造、埴谷雄高、三島由紀夫といった名だたる作家や批評家たちがその魅力に惹きつけられた一方で、正統的な舞踊界からは異端視され、厳しい批判に晒されることもありました。「剃髪」「白塗り」「裸体」といった外見的な特徴や、既存のダンステクニックに依らない「情念の踊り」と見なされることもありました。

1970年代に入ると、暗黒舞踏の活動は欧州にも広がり始めます。カルロッタ池田や室伏鴻といった舞踏家たちが独自に活動を展開し、これが後の白桃房や大野一雄らの欧州公演のための土台となりました。こうして、欧州での暗黒舞踏への認知が進みました。

さらに1980年代には、山海塾（さんかいじゅく）が世界ツアーで大きな成功を収め、Butohは世界的に注目される存在となります。日本国内でも、テレビ番組『11PM』や様々な雑誌で山海塾や白虎社（びゃっこしゃ）などが紹介されるようになり、一般的な認知度が高まりました。興味深いのは、日本国内での暗黒舞踏の評価や認知度が、海外での成功を受けて高まるという、いわば「逆輸入」的な側面があったことです。近年でも、2022年に『暗黒舞踏の世界』というドキュメンタリー映画が上映されるなど、その関心は続いています。

思想と身体表現

暗黒舞踏の核心にある思想の一つは、既存の価値観における「美／醜」「西欧近代／土着・前近代」「形式／情念」といった対立項において、後者の領域に宿る、時に倒錯的とも映る美を追求することにあります。クラシックバレエなどが跳躍などのテクニックを駆使して「天上」や上昇志向を表現するのに対し、暗黒舞踏は床や地面への強い意識を持ち、低く屈んだ姿勢や蟹股（がにまた）といった身体表現によって「下界」や下降志向、あるいは大地との繋がりを志向します。

外見的なイメージとして強く定着しているのは、剃髪し、裸体の上から全身を白く塗るスタイルですが、白塗りは必ずしも必須の要素ではありません。暗黒舞踏の思想背景は多岐にわたります。日本人の身体性への深い探求、神楽・能・歌舞伎といった日本の伝統芸能や土着文化への回帰、そして西欧的な視点や価値観からの脱却といった様々な角度から語られます。

作品の着想源も多様で、身体的な探求や言葉だけでなく、絵画やオブジェといった視覚芸術からもインスピレーションを得ています。土方巽は特に、フランシス・ベーコンやアンリ・ミショーの絵画から多くの着想を得ていたと言われています。暗黒舞踏が探求した身体や表現の核心的な部分は、今日のコンテンポラリーダンスにも引き継がれています。

創始者の一人である土方巽は、その思想を象徴する言葉を残しています。

舞踏とは命がけで突っ立つ死体

また、舞踊における身体の重要性について、このように述べています。

ただ身体を使おうというわけにはいかないんですよ。身体には身体の命があるでしょ。心だって持っている

成立の背景と影響

暗黒舞踏の成立には、20世紀初頭のドイツで生まれた表現主義ダンスが大きな影響を与えたとされています。『マリー・ウィグマン舞踊学校』で表現主義ダンスを学んだ江口隆哉・宮操子夫妻が帰国後に設立した『江口・宮舞踊研究』に、後に大野一雄が入所します。独立して活動を開始した大野一雄に強く影響を受けた土方巽が、独自の発展を遂げさせ「暗黒舞踏」として確立しました。

また、土方巽は若い頃、前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の中心メンバーだった吉村益信（よしむら ますのぶ）の新宿百人町にあるアトリエ兼住居、通称「新宿ホワイトハウス」に頻繁に出入りしていたと伝えられており、この時期の交流も暗黒舞踏の形成に影響を与えたと考えられています。土方巽の舞踏技法については、三上賀代（みかみ かよ）が自身の稽古経験をもとに詳細に分析した研究書『器としての身體－土方巽暗黒舞踏技法へのアプローチ』を発表しており、理解を深める上で貴重な資料となっています。

暗黒舞踏の表現は、その後の舞踊界にも影響を与え続けています。勅使川原三郎（てしがわら さぶろう）や伊藤キム（いとう きむ）など、現代のコンテンポラリーダンサーの中にも、暗黒舞踏の要素を独自の形で消化・吸収し、自身の作品に取り入れている者が多く存在します。また、国内外に、舞踏第一世代から様式美を受け継いだ者や、第二世代の影響下にある舞踏家、団体が多数活躍しています。大駱駝艦（だいらくだかん）、山海塾、白虎社、偶成天（ぐうせいてん）などは、その代表的な団体です。

暗黒舞踏に関する記録は、映像作品や書籍としても数多く残されています。川崎市岡本太郎美術館や慶應義塾大学アートセンターが編集したCD-ROM付書籍、荒井美三雄監督によるDVD作品など、その活動や思想を記録した重要な資料が存在します。土方巽自身の著作である『犬の静脈に嫉妬することから』『病める舞姫』なども、その思想を直接知る手がかりとなります。

この舞踊形式は、コンテンポラリー・ダンスや前衛芸術といった広い文脈の中で語られ、金粉ショーやヌードといった身体表現、あるいは石井輝男監督の映画出演、細江英公の写真作品、じゃがたらや渋さ知らズといった音楽グループとの共演など、様々な分野との関わりを持ちながら、日本の芸術史において異彩を放ち続けています。

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