桐一葉

坪内逍遥作歌舞伎『桐一葉』：シェイクスピアと伝統の融合

『桐一葉』は、近代日本文学の巨匠、坪内逍遥が1894年から1895年にかけて『早稲田文学』に連載し、1904年に東京座で初演された歌舞伎作品です。6幕16場からなる大作で、関ヶ原の戦い後の豊臣家の混乱を背景に、忠臣片桐且元の葛藤と苦悩を描いています。

逍遥は既に『小説神髄』や『当世書生気質』で近代文学に多大な貢献をしていましたが、『桐一葉』においては、日本の近代劇の創造にも挑戦しました。既存の古典歌舞伎や、形式にばかり囚われた活歴物とは一線を画す、新しい歌舞伎を目指したのです。1893年の論文『我が邦の史劇』でその思想を表明し、『桐一葉』はその実践例となりました。

逍遥自身は、後年『実演用桐一葉』の序文で、本作の創作動機を「平民的な、不作法な、凡人澤山、風情澤山の丸本式、草雙紙式を發揚し、厳格な、窮屈な外國の審美論に對しては、無主義の、放埒な、いわば不卽不離の國劇式を、暗に擁護しやうといふ主張と抱負とが内心にあつて…」と述べています。これは、古典と活歴物の長所を取り入れ、短所を排し、時代考証とドラマ性を両立させ、シェイクスピア作品のような深みとユーモアを備えた作品を創作したいという意欲の表れです。

物語の原案は当初弟子に依頼しましたが、逍遥自身の高い理想に沿うものではなかったため、自ら書き直して完成させました。さらに、当初は読本形式だったものを、実際に上演可能な歌舞伎風の脚本に書き直すという徹底ぶりです。その結果、伝統的な歌舞伎の形式に、現代的な筋書きと心理描写を深く織り込んだ、高いドラマ性を備えた作品が誕生しました。これは「新歌舞伎」と呼ばれる一連の作品の先駆けとなり、歌舞伎史に大きな足跡を残しました。

現在上演されているのは、主に1915年（大正6年）に帝国劇場で上演された『実演用桐一葉』の脚本に基づいています。また、1905年（明治38年）に大阪角座で初演された『沓手鳥孤城落月』は、『桐一葉』の続編として知られています。

あらすじ

物語は関ヶ原の戦い後の大坂を舞台に展開します。豊臣家の忠臣である片桐且元は、豊臣家を滅ぼそうとする徳川家康の圧力に苦悩します。家康は方広寺の鐘銘の文字を理由に、豊臣秀頼の大和郡山への国替え、江戸への毎年参勤、そして高台院の人質としての江戸下向を要求。これを拒否すれば大坂を攻め滅ぼすと脅迫します。

豊臣家臣団は憤慨し、徳川家との交渉役を務める且元への不信感が広がります。且元は不忠者として中傷され、失脚の危機に瀕します。

物語は、大坂城内の陰謀、且元の家族や周囲の人々の葛藤、そして且元の揺るぎない忠義と苦渋の決断などが、複雑に絡み合いながら進んでいきます。特に、淀君の狂気と、且元と木村重成との友情に焦点が当てられ、歴史の転換期における人間のドラマが深く描かれています。

名優たちと『桐一葉』

『桐一葉』は、多くの名優によって演じられ、それぞれの解釈と表現で作品の魅力を高めてきました。五代目中村歌右衛門の淀君、十一代目片岡仁左衛門の片桐且元などは、特に有名な当たり役として知られています。歌右衛門の淀君は、精神病院で患者を観察するほどの徹底した役作りで、ヒステリックで狂気に染まる淀君像を完成させました。また、仁左衛門の且元も、その深い演技力で多くの観客を魅了しました。

他にも、十五代目市村羽左衛門や三代目市川壽海の木村重成、六代目尾上菊五郎や七代目尾上梅幸の銀之丞なども、後世に語り継がれる名演を残しています。

文学性豊かな『桐一葉』

逍遥が書き上げた台詞は、それまでの歌舞伎の科白とは異なり、難解ながらも芸術性が高いと評価されています。「長柄堤」の且元と重成の悲痛な台詞、淀君の深い悲しみを表現した長台詞などは、特に有名です。これらの台詞は、近代的な心理描写と伝統的な美文調が見事に融合し、作品全体の格調を高めています。

内田魯庵は、『桐一葉』を歌舞伎界に近代の風を吹き込んだ革命的な作品と絶賛しました。それまで閉鎖的だった歌舞伎界に、外部からの新しい作品が次々と生まれるきっかけを作ったのです。

『桐一葉』はシェイクスピア作品の影響も強く受けており、登場人物の性格や場面構成に、シェイクスピア劇との類似点が見られます。しかし、同時に、近松門左衛門などの伝統歌舞伎の要素も取り入れており、東西の戯曲家の影響が絶妙なバランスで融合している点も、この作品の魅力と言えるでしょう。

もう一度検索