桜姫東文章

『桜姫東文章』とは

『桜姫東文章』（さくらひめあずまぶんしょう）は、江戸時代後期に活躍した劇作家、四代目鶴屋南北らによって作られた歌舞伎の演目です。清玄桜姫物および隅田川物の一つに数えられます。文化14年（1817年）3月に江戸の河原崎座で初演されました。全七幕九場からなる大作で、複雑に入り組んだ人間関係と、因果応報のドラマが展開されます。

あらすじ

物語は、修行僧清玄が稚児白菊丸と心中を図るも生き残る場面から始まります。それから17年後、舞台は吉田家の息女、桜姫に移ります。桜姫は生まれつき左手が開かないという障害を持っていましたが、その美貌は人々を魅了していました。しかし、父と弟が殺害され、家宝の「都鳥の一巻」が盗まれるという不幸に見舞われます。

悲しみに暮れた桜姫は、出家を決意し新清水（鎌倉の長谷寺）を訪れます。そこで偶然居合わせた高僧清玄坊は、姫を憐れみ念仏を唱えると、姫の左手が開き、中から「清玄」と書かれた香箱が現れます。清玄は17年前の出来事を思い出し、香箱が白菊丸の形見であることから、桜姫が死んだ恋人の生まれ変わりであることに気づき、愕然とします。

一方、都鳥の一巻を狙う悪五郎は、桜姫の手が開いたことを知り、仲間の釣鐘権助に縁組を申し込む艶書を送ります。出家の準備をしていた桜姫のもとに、権助が艶書を持って現れます。権助は落とし噺で姫たちを笑わせますが、二の腕の釣鐘の刺青を見せてしまいます。実は、桜姫は一年前、屋敷に忍び込んだ男に強姦されており、その男こそ権助だったのです。その証拠が、権助の二の腕の刺青でした。桜姫もまた、その快感が忘れられず、二の腕に同じ刺青を彫っていました。

二人は愛を確かめ合いますが、僧の残月に見咎められ、権助は逃走します。悪五郎も現れ、騒ぎとなります。香箱から相手が清玄と決めつけられますが、清玄は弁明せず、女犯の罪を認めます。追放された桜姫と清玄は、互いの境遇を悲しみます。桜姫は権助との間にできた子を抱え、今後の不安を語ります。清玄は因果の恐ろしさを感じ、姫の力になることを誓い、夫婦になろうと迫ります。そこへ悪五郎が現れ、桜姫を拉致しようとします。吉田家の忠臣である粟津七郎と桜姫の弟松若が悪五郎と争ううちに、悪五郎が天下の悪党、忍の惣太と関係があることが明らかになります。

桜姫への思いを断ち切れない清玄は、雨の中、赤子を抱いて桜姫を探します。零落した桜姫もまた、さまよい出てきます。二人は火を焚いて近づきますが、雨で火が消え、互いを認識できないまま別れてしまいます。桜姫に恋焦がれるあまり病に倒れた清玄は、残月と長浦が同棲する庵室に身を横たえます。そこへ、お十が死んだ子の回向にやってきます。残月に嫉妬する長浦。二人が争う音に桜姫の子が泣き、皆赤子の養育に頭を抱えますが、お十が侠気を見せて赤子を引き取ります。残月と長浦は清玄を殺そうと毒を飲ませますが、墓掘りをしていた権助がやってきます。人買いに連れてこられた桜姫と再会した権助は、桜姫を連れて小塚原の女郎屋に出かけます。桜姫が留守番をしていると、雷の衝撃で清玄が蘇生します。しかし顔は焼けただれた醜い姿でした。清玄は真実を話し、桜姫とともに死のうとします。争ううちに、清玄は自ら喉を突いて死にます。帰ってきた権助の顔もまた、清玄と同じように焼けただれていたのです。

権助は大家となり、裕福な暮らしを送っていました。故あって自分の不義の子とは知らずに赤子を預かります。小塚原の女郎屋で「風鈴お姫」として人気者であった桜姫が戻ってきます。権助は、寄合に出かけ、桜姫が一人になると、清玄の亡霊が現れ、清玄と権助が兄弟であること、赤子が稲瀬川で生き別れた子であることを告げます。権助は酔った勢いで、自分が盗賊、忍の惣太であり、吉田家当主を殺害し、都鳥の一巻を奪ったこと、梅若丸をも殺害したことを白状します。桜姫は仇の血を引く赤子を殺し、寝込んだ権助も殺害します。

物語は、三社祭でにぎわう浅草寺雷門前で、桜姫が父と梅若丸の仇を討ち、都鳥の一巻を取り返す場面で大団円を迎えます。

作品の解説

『桜姫東文章』は、謡曲『隅田川』の世界や「清玄桜姫物」の世界、さらに江ノ島の「児ヶ淵伝説」を巧みに織り交ぜて描かれたお家騒動物です。初演時、河原崎座はまだ若手の七代目市川團十郎と、立女形の五代目岩井半四郎しか主力スターがおらず、苦境に立たされていました。しかし、作者の南北はその悪条件を逆手にとり、この二人にスポットを当てる構成にしたことで、前作よりも充実した作品となり、大評判を博しました。

早替わりや濡れ場、怪談に殺し場など、南北得意の退廃的な場面が連続しますが、中でも桜姫が切見世女郎にまで身を落とし、お姫様の言葉遣いと伝法な言葉遣いを混ぜて話す場面は、この作品の大きな見どころです。この場面は、初演の約10年前に品川で起こった、京都の公家出身と偽る遊女の事件がヒントになったと言われています。また、天明3年（1783年）に上演された『寿万歳曽我』で、吉田家の息女花子姫が夜鷹となって柳橋に現れる場面も、本作の着想に影響を与えた可能性があります。

初演後、長らく再演されることはありませんでしたが、昭和2年（1927年）に初代中村吉右衛門が復活上演し、戦後も六代目中村歌右衛門、四代目中村雀右衛門、五代目坂東玉三郎らによってたびたび演じられる人気演目となっています。

初演時の主な配役

桜姫のち風鈴お姫：五代目岩井半四郎
自休のちに清玄、釣鐘権助実は忍ぶの惣太：七代目市川團十郎
白菊丸：岩井松之助（のち七代目岩井半四郎）
葛飾のお十：五代目瀬川菊之丞
入間悪五郎：四代目大谷鬼次
残月：二代目大谷馬十
局長浦：二代目総領甚六

初演時の構成

発端：江の島児が淵の場
序幕：新清水の場・桜谷草庵の場
二幕目：稲瀬川の場
三幕目：押上植木屋の場・郡治兵衛内の場（初演以降、この三幕目は上演されたことがない）
四幕目：三囲堤の場
五幕目：岩淵庵室の場
六幕目：山の宿町の場（このあと返し幕で三社祭の場となるが、場面は雷門ではなかった）

※この後、さらに大切として五節句の所作事が演じられた。

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