歯車車

歯車車（はぐるましゃ）

歯車車は、かつて信越本線の横川 - 軽井沢間、通称「碓氷峠（うすいとうげ）」で使用されていた特殊な事業用貨車です。この区間は急勾配であり、アプト式と呼ばれる特殊な鉄道システムが採用されていました。

概要

1896年（明治29年）、信越本線の輸送力増強に伴い、機関車のブレーキ力だけでは十分でなくなったため、それを補う目的で歯車車が開発されました。これらは二軸有蓋車を改造したり、新たに製造することで、ラックレール区間専用の緩急車として使用されました。1909年（明治42年）までに、3形式15両が製造されています。

歯車車の特徴は、既存の車軸に加えて、ラックレールと噛み合う小歯車（ピニオン）を設置したことです。これにより、急勾配でも安定した制動力を得ることができました。ブレーキ装置は、通常の車輪に作用する手ブレーキ、歯車軸に設けられた円筒に作用するドラムブレーキ、そして非常用のバンドブレーキの三重構造となっていました。

車内には、粘着力を増すための死重が積まれ、ブレーキ装置を冷却するための散水用水タンクも設置されていました。歯車車は主に機関車のすぐ後ろに連結され、峠を下る際には必ず制動手が乗務し、ブレーキ操作を行いました。

当初、これらの車両は「ピブ」と呼ばれていましたが、1911年（明治44年）の鉄道院車両称号規程制定時に「ピフ」という記号に変更されました。この「ピ」は、英語で歯車を意味する「ピニオン (pinion)」に由来します。

その後、多客期には旅客を乗せるために、側面に窓と扉が設けられ、車内には座席が設置されました。屋根には油灯入れが追加され、照明も確保されました。横軽区間の電化により、電気機関車が牽引するようになると、暖房用の蒸気供給源が失われたため、1921年（大正10年）から1922年（大正11年）にかけて、7両の歯車車の空きスペースに蒸気供給用のボイラーが設置されました。

1928年（昭和3年）に実施された車両称号規程改正時には、記号が「ピ」に改められ、2形式に統合されました。しかし、暖房用ボイラーを搭載した車両とそうでない車両の区別はされませんでした。

やがて、空気ブレーキなどの貫通ブレーキを備えた車両が増えたため、歯車車の必要性は薄れていきました。1931年（昭和6年）10月15日、歯車車の使用は停止され、ボイラーを搭載していない車両は廃車となりました。暖房用ボイラーを搭載していた車両は、歯車装置を撤去し、暖房車として再利用されることになりました。さらに翌年の1932年（昭和7年）には、3軸から2軸に改造されました。1937年（昭和12年）には、仙山線の作並 - 山寺間が開業したことに伴い、2両が作並機関区に転属しています。

戦後、車齢60年を超えた歯車車由来の暖房車は老朽化が目立つようになり、1958年（昭和33年）にヌ200形に置き換えられ、すべて廃車となりました。

形式

歯車車としては、合計で15両が存在しました。以下に、各形式の概要を説明します。

鉄道作業局ピブ1形→鉄道院ピフ140形→鉄道省ピ1形

1896年（明治28年）、鉄道作業局新橋工場で4両が製造され、その後2両が追加されました。種車は、トレビシック略図のBH形有蓋車です。1902年（明治35年）の改番によりピブ1形（ピブ1 - ピブ6）となり、1911年（明治44年）の改番ではピフ140形（ピフ140 - ピフ145）となりました。1921年（大正10年）から翌年にかけて、5両（ピフ140 - ピフ142, ピフ144, ピフ145）に暖房用ボイラーが設置されました。1928年（昭和3年）の改番では番号順にピ1形（ピ1 - ピ6）とされましたが、ボイラー非搭載車との区別はされませんでした。

1931年（昭和6年）の歯車車運用停止後は、ボイラー搭載車は歯車装置を撤去して客車のヌ9050形（ヌ9050 - ヌ9054）に改造され、非搭載のピ4は1932年（昭和7年）12月8日に廃車となりました。暖房車となった5両についても、1932年（昭和7年）12月に大宮工場で二軸車に改造され、ヌ6000形（ヌ6000 - ヌ6004）に改称されました。1953年（昭和28年）の改番では、ヌ600形（ヌ600 - ヌ604）となりましたが、老朽化のため、1958年（昭和33年）5月30日付けで全車廃車となりました。

鉄道作業局ピブ2形→鉄道院ピフ146形→鉄道省ピ1形

1898年（明治31年）度に、鉄道作業局新橋工場で5両が新製された歯車車で、1902年（明治35年）の改番ではピブ2形（ピブ7 - ピブ11）とされました。形態は、ピブ1形とほぼ同様でした。1911年（明治44年）の改番では、ピフ146形（ピフ146 - ピフ150）となり、1921年（大正10年）から1922年（大正11年）にかけてピフ146, ピフ147の2両は車内に暖房用ボイラーを設置しました。1928年（昭和3年）の改番では、ピフ140形とともにピ1形に統合され、ピ7 - ピ11となりました。

以後の変遷は他のピ1形と同様で、1931年（昭和6年）の歯車車連結廃止に際しては、ボイラーを搭載するピ7, ピ8の2両は暖房車に改造されてヌ9050形（ヌ9055, 9056）となり、残りの3両（ピ9 - ピ11）は1932年（昭和7年）12月8日に廃車となりました。その後、1932年（昭和7年）12月に大宮工場での二軸車化によってヌ6000形（ヌ6005, ヌ6006）となり、1947年（昭和22年）2月にヌ6006が廃車され、残ったヌ6005は1953年にヌ600形（ヌ605）に改称され、他の車両と同じく1958年（昭和33年）5月30日付で廃車となりました。

鉄道作業局ピブ3形→鉄道院ピフ151形→鉄道省ピ30形

1909年（明治42年）度に、鉄道作業局長野工場で4両が改造製作されたものです。種車は、ワ11形（ワ584, ワ590, ワ628, ワ629）で、車内には当初から座席や窓、油灯入れが装備されていました。1902年の改番ではピブ3形（ピブ12 - ピブ15）となり、1911年（明治44年）の改番ではピフ151形（ピフ151 - ピフ154）とされました。本形式には暖房用ボイラーの搭載は行われず、1928年（昭和3年）の改番ではピ30形（ピ30 - ピ33）に改められました。

1931年（昭和6年）の歯車車連結廃止後の1932年（昭和7年）12月8日に全車廃車となりました。

参考文献

貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
吉岡心平「RM LIBRARY 9 3軸貨車の誕生と終焉（戦後編）」2000年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 4-87366-198-6
* 岡田誠一「RM LIBRARY 44 国鉄暖房車のすべて」2003年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 4-87366-334-2

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