澤木興道

澤木 興道（さわき こうどう）

明治末期から昭和にかけて、日本の禅宗界を牽引した曹洞宗の僧。道号は祖門（そもん）。特定の寺院に住まわず、常に各地を移動しながら修行と指導を続けたことから、「宿なし興道」の異名で広く知られる。彼は、一切の目的を持たずにひたすら坐る「只管打坐（しかんたざ）」こそが禅の核心であると説き、その生涯をもってこれを実践した。

多難な幼少期と出家への道

1880年（明治13年）、三重県津市に多田惣太郎、しげ夫妻の四男として生を受ける。幼名は才吉（さいきち）。家業は人力車部品の製造販売であった。しかし、幼くして母、次いで父を病で次々と亡くし、一家は離散。津市に住む父方の叔母の家に引き取られるが、ここでも叔父が急逝するという不幸に見舞われる。その後、一身田（地名）の提灯屋、沢木家の養子となった。

わずか8歳の頃、賭博開帳の場で見張り役をさせられた際に、目の前で人が急死する様を目の当たりにし、人生の無常を深く感じ取る。この経験が、後の彼の人生に大きな影響を与えたと言われる。10代後半になると、家出を繰り返すようになる。1896年（明治29年）には二度目の家出を決行し、福井県の永平寺を目指す。各地を転々としながら、翌年には熊本県天草郡の宗心寺に身を寄せ、同寺の小僧となる。そして1897年（明治30年）12月8日、宗心寺の沢田輿法（よほう）和尚のもとで出家し、「興道」の法名を授かった。

修行と遍歴、そして従軍

出家後も、さらなる修行を求め各地を旅する。兵庫県の圓通寺などに滞在し、但馬浜坂町の竜雲寺で行われた戒会（かいえ）で笛岡凌芸（りょううん）方丈と出会う。1900年（明治33年）からは笛岡に師事し、『学道用心集』や『永平清規』といった曹洞宗の重要な典籍の講義を、彼一人だけのために受けるという恵まれた機会を得た。しかし、その年の暮れには名古屋の歩兵第三十三聯隊に入営する。1903年（明治36年）に一度兵役を終えるが、翌年勃発した日露戦争のため再招集され、従軍。戦闘で重傷を負い一時帰郷するも、再び戦地へ送られる。1906年（明治39年）にようやく帰国を果たした。戦後、宗心寺に戻り、沢田禅興（ぜんこう）和尚のもとで伝法嗣法（でんぽうしほう）、すなわち法を嗣（つ）ぐ手続きを終える。その後、真宗高田派専門学校（現在の専修寺）で仏教他宗派の教えも学んだ。

「宿なし」の坐禅指導者として

1908年（明治41年）には奈良県の法隆寺勧学院に入り、佐伯定胤（さいき じょういん）に唯識（ゆいしき）を学ぶ。これ以降、彼は特定の寺院に定住することなく、全国各地の道場や寺院を渡り歩きながら坐禅指導を行うようになる。「移動僧堂」「宿無し興道」と呼ばれる所以である。1912年（明治45年）には曹洞宗の本山である永平寺の眼蔵会（げんぞうえ）に初めて参加。一時、松阪の養泉寺僧堂単頭（たんとう）を務めるが、各地での指導を続け、奈良県の正法寺で丘宗潭（おか そうたん）老師と出会い、師事する。丘老師の指示を受け、熊本の大慈寺僧堂講師となり、旧制第五高等学校（現在の熊本大学）の生徒にも坐禅を教えた。

1921年（大正10年）に丘老師が遷化すると、大慈寺を離れ、熊本市内に居を構え「大徹堂（だいてつどう）」と名づけて坐禅指導の中心とした。その後も請われるままに各地で参禅会を開き、多くの人々に坐禅の教えを広めた。

大学での教育と只管打坐の徹底

1935年（昭和10年）、澤木興道は曹洞宗の最高教育機関である駒澤大学の教授に就任する。さらに同年12月には、總持寺（総本山の一つ）の後堂（ごどう）という要職に就いた。大学では鎌田茂雄（かまた しげお）や酒井得元（さかい とくげん）といった後の仏教学者・禅僧となる学生たちに坐禅を指導。それまで選択科目だった坐禅を必修とするなど、厳格で徹底した坐禅教育を行った。彼は「何にもならんもののためにただ坐る」という言葉で、目的や利益を求めない純粋な坐禅、すなわち只管打坐の重要性を強調し、これを学生たちに説き、自ら範を示した。

晩年と遺産

大学での指導の傍ら、栃木県の大中寺に天暁禅苑（てんぎょうぜんえん）を開くなど、各地に坐禅道場を設立したり、責任者として指導に当たったりした。第二次世界大戦中には、東京に開設した至誠寮（しせいりょう）が強制疎開で撤去されるなど、困難も経験した。戦後も、大桐院（静岡）や妙説庵（京都）で指導にあたり、1949年（昭和24年）には京都の安泰寺（あんたいじ）に紫竹林（しちくりん）参禅道場を開設し、弟子の内山興正（うちやま こうしょう）とともに後進の育成に力を注いだ。

1963年（昭和38年）、駒澤大学教授を辞任。病を得た彼は、安泰寺に引退し、永きにわたる遍歴の旅を終える。そして1965年（昭和40年）12月21日未明、安泰寺にて85年の生涯を閉じた。彼の遺体は、医学研究のために京都大学に献体された。

澤木興道の教えと実践は、多くの弟子を通じて国内外に広がり、特にアメリカのスタンフォード大学にある曹洞禅センターにもその流れが伝えられている。駒澤大学の禅文化博物館には彼の木像が安置されており、大学図書館には彼の蔵書が澤木文庫として収蔵されている。彼の著作には『禅談』『坐禅の仕方と心得』などがあり、その多くは後に全集としてまとめられている。彼の人生は、まさに「宿なし」として只管打坐を体現し続けた、稀有な禅僧の生き様であったと言える。

もう一度検索