火星の計時

火星には、地球のような統一された公式な計時標準は確立されていません。しかし、惑星探査や科学研究、そして将来的な居住を見据え、様々なカレンダーや計時システムが提案され、用途に応じて利用されています。特に科学分野では、火星の季節や時期を示す指標として、北半球の春分点からの太陽経度（Ls）が広く用いられており、1955年4月11日の春分点以降の火星の年に番号を付けて使用することも一般的になりつつあります。

火星は地球と似た約25度の自転軸の傾きと、ほぼ同じ自転周期を持つため、地球と同様に春夏秋冬の季節が存在します。しかし、火星の軌道が地球よりも歪んでいる（離心率が大きい）ため、季節の継続期間には大きなばらつきがあります。また、火星の1日や1年の長さは地球とは異なります。

火星の1日：Sol

火星における1太陽日の平均的な長さは、地球時間で24時間39分35.244秒（約88,775秒）です。これは地球の1太陽日（24時間）よりも約39.5分、つまり約2.75%長くなっています。

惑星科学者によって、火星の1太陽日を指す言葉として「Sol（ソル）」という用語が使用されています。この言葉は、地球の「日（day）」との混同を避ける目的で、1976年のNASAバイキング計画において採用されました。

Solを地球の時間の単位に類似させて分割する場合、Solの1/24を「火星時」、さらにその1/60を「火星分」、火星分の1/60を「火星秒」と定義できます。これらの単位は、地球の同じ名前の単位より約2.75%長くなります。

火星における太陽日を連続して数えるシステムとして、「火星日（Mars Sol Date, MSD）」が提案されています。MSDは、特定の基準日から経過したSolの総数を示すもので、天文学者カール・オットー・ランプランドの誕生日である1873年12月29日を基準日としています。これは、地球上の天文学者がユリウス日を用いて日付を連続的に数えるのと同様の考え方です。MSDは、地球のユリウス日（国際原子時などに基づく）から計算することが可能です。

探査ミッションにおける計時と時刻

火星に着陸した探査機ミッションでは、通常、着陸地点の現地太陽時に合わせた24時間制の「火星時計」が使用されます。この火星時計における時、分、秒は、地球のそれよりも約2.75%長くなるように調整されています。この方式により、既存の計時ツールやソフトウェアを比較的容易に適用できるという利点があります。例えば、火星時計で正午が12:00となる時刻は、地球時間では真夜中から約12時間20分後となります。

マーズ・パスファインダー以降の多くのミッションでは、運用チーム自身が火星の現地時間に合わせて生活する「火星時間」体制をとっています。これは、探査機の太陽光パネルによる発電や観測の都合上、火星の昼間に活動を集中させるためです。地球の1日と火星の1日の長さの違いから、チームのスケジュールは毎日地球時間で約40分ずつ遅れていくことになります。

近年、火星研究者の間では、火星の現地時間をSolを均等に24分割した単位として定義することについて合意が形成されつつあります。現地太陽時は、特に太陽光を利用する探査機にとって、活動計画を立てる上で極めて重要です。

地球と同様に、火星上でも、日時計が示す時間と機械的な時計が示す均一な時間の間には差が生じます。これは均時差（Equation of Time）と呼ばれ、火星の軌道離心率が大きいため、地球よりもその変動幅が大きくなります。火星では、均時差によって太陽時が火星時計よりも最大で50分遅れたり、40分進んだりすることがあります（地球では±14分～16分程度）。

火星には基準となる本初子午線が設定されています。これは、テラメリディアニ地域にある「エアリー0」というクレーターの中心を通ると定義されています。この本初子午線は、1830年にヴィルヘルム・ベーアとヨハン・ハインリッヒ・メドラーによって初めて提案され、後にジョヴァンニ・スキアパレッリによってサイナス・メリディアニの一部として命名されました。この取り決めはすぐに天文学界で受け入れられ、火星は地球よりも半世紀早く、世界的に認められた本初子午線を持つことになりました。

ただし、火星には、地球のように本初子午線を基準とした標準的なタイムゾーンは設定されていません。これまでの各探査機ミッションは、個別に着陸地点の現地太陽時を活動の基準として使用してきました。

将来の火星探査や居住を見据え、標準的な時刻系として「調整火星時間（Coordinated Mars Time, MTC）」または「火星調整時間」が提案されています。これは地球のUT1（世界時）に相当する概念で、火星の本初子午線における平均太陽時として定義されます。MTCという名称は地球のUTC（協定世界時）を連想させますが、UTCがうるう秒によって調整されるのに対し、MTCにこのような調整は含まれないため、UT1に類似しています。MTCはまた「エアリー平均時（Airy Mean Time, AMT）」とも呼ばれます。

しかし、MTCまたはAMTは、本初子午線の基準点であるエアリー0クレーターの正確な位置にまだ不確定要素が残っているため、現在のところ実際のミッションで正式な計時標準としては採用されていません。エアリー0の位置の不確実性は、AMTを現地時間ほど正確に実現できない理由の一つです。

火星における位置特定には、近年では火星の中心を基準とした平面中心座標系が最も広く使用されており、経度は東経0°から360°で表されます。これに対し、かつて使用された惑星座標系では、経度を西経0°から360°で測定していました。

火星の1年と季節の長さ

火星が太陽の周りを一周するのにかかる時間は、恒星年として約686.98地球太陽日、つまり約1.88地球年（668.5991 Sol）です。

火星の軌道は地球よりも離心率が大きいため、季節の継続期間に大きな差があります。季節を分点から至点、あるいはその逆で定義すると、北半球の春／南半球の秋（太陽経度Ls 0°から90°）が最も長く約194 Sol続きます。一方、北半球の秋／南半球の春（Ls 180°から270°）が最も短く、約142 Solしか続きません。

暦の上では恒星年ではなく太陽年が使用されます。火星の自転軸の歳差運動により、太陽年は恒星年よりわずかに短くなります。火星の歳差運動の周期は約93,000火星年（175,000地球年）と、地球よりかなり長いです。太陽年の長さは、測定を開始する分点や至点によってわずかに異なりますが、概ね668.59 Sol程度です。

フィクションにおける火星の時間

古くから、火星を舞台にしたフィクション作品では、火星独自の計時システムが様々に想像されてきました。パーシー・グレッグの小説『アクロス・ザ・ゾディアック』（1880年）では12進法に基づいたSolの分割が、エドガー・ライス・バローズの『火星の女神』（1913年）ではSolをzodes, xats, talsに分ける描写が登場します。ロバート・A・ハインラインの『レッド・プラネット』（1949年）やキム・スタンリー・ロビンソンの『火星三部作』（1992-1996年）、あるいは日本の漫画・アニメ作品『ARIA』（2001-2002年）など、多くの作品で地球とは異なる、例えば24ヶ月からなる火星の暦が描かれています。特にロビンソンの『火星三部作』では、深夜に約39.5分間時計が止まる「タイムスリップ」という設定が、火星独自の時間の感覚やアイデンティティを象徴的に表現しています。アンディ・ウィアーの小説『火星の人』（2011年）では、主人公が火星で過ごした日数を「Sol」としてカウントし、物語の進行を示す重要な要素として用いられました。

これらの科学的検討やフィクションにおける描写は、火星における時間と暦という概念が、単なる天文学的な計算だけでなく、人類が異星に適応し、新たな社会を築く上で不可欠な要素であることを示唆しています。

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