稲畑汀子

稲畑 汀子

（いなはた ていこ、1931年1月8日 - 2022年2月27日）は、神奈川県に生を受けた日本の俳人です。近代俳句の巨匠である高浜虚子を祖父に、俳人の高浜年尾を父に持つ、俳句界の名門に連なる存在でした。『ホトトギス』名誉主宰や日本伝統俳句協会名誉会長などの要職を歴任し、伝統俳句の継承と普及に生涯を捧げました。

生涯

神奈川県横浜市に、高浜年尾と喜美夫妻の次女として誕生。幼少期を鎌倉で過ごした後、1935年には兵庫県芦屋市へと居を移しました。小学校の頃から、祖父の虚子、そして父の年尾から俳句の基礎を学び始めます。小林聖心女子学院高校を卒業し、同校の英語専攻科に進んだものの、病のため中途での退学を余儀なくされました。

学業を断念した後は、俳句の道に専心。祖父や父の吟行に同行し、日本各地を巡りながら俳句の感性を磨きました。1956年、24歳の時に稲畑勝太郎氏の孫にあたる稲畑順三氏と結婚し、やがて二男一女の母となります。俳句活動と並行して、家庭も築き上げました。

1965年には俳句結社『ホトトギス』の同人に名を連ね、1977年からは雑詠の選者を務めるなど、結社活動においても中心的な役割を担うようになります。1979年には父である高浜年尾氏が逝去。これに伴い、『ホトトギス』の主宰という重責を引き継ぎました。翌1980年には夫の順三氏も亡くなるという悲運に見舞われますが、俳句への情熱は衰えることなく活動を続けました。

1982年からは朝日俳壇の選者としても多くの俳句に触れ、「善意を持っての選句」を選に臨む姿勢として掲げました。主宰として、また一俳人として、国内外での吟行を重ね、諸外国との俳句を通じた文化交流や親善にも尽力しました。日本伝統俳句協会の設立を主導し、1987年にはその会長に就任。伝統俳句の振興に貢献しました。

1994年にはNHK俳壇の講師・選者として広く一般に俳句の魅力を伝え（1996年まで）、同時期に芦屋市教育委員長にも就任。地域の文化・教育振興にも関わりました。2000年には芦屋市に虚子記念文学館を創設し、その理事長として祖父の功績を後世に伝える活動を展開しました。正岡子規国際俳句賞の選考委員を務めるなど、俳句界における様々な要職を歴任。

長年にわたり務めた『ホトトギス』主宰の座は、2013年10月に息子の稲畑廣太郎氏に託し、自身は名誉主宰に就任。その後も精力的に活動を続け、2019年には第70回NHK放送文化賞を受賞するなど、その功績は広く認められました。芦屋市民文化賞や兵庫県文化賞なども受賞しており、地域社会や文化への貢献も顕著です。2022年1月には日本伝統俳句協会名誉会長となりました。

2022年2月27日、心不全のため兵庫県芦屋市の自宅にて、91歳でその生涯を閉じました。

俳風と人物像

稲畑汀子の代表句には、「今日何も彼もなにもかも春らしく」「落椿とはとつぜんに華やげる」「初蝶を追ふまなざしに加はりぬ」「空といふ自由鶴舞ひやまざるは」などがあります。父である年尾氏は、汀子の句について、星野立子の「景三情七」に対し「景七情三」と評し、その客観写生に重きを置いた句風を指摘しました。

カトリック信仰に裏打ちされた明るさと謙虚さを持ち合わせた人柄が、その俳句にも反映されています。『ホトトギス』伝統の句風である「有季定型」「花鳥諷詠」「客観写生」を生涯にわたり堅持。特に「花鳥諷詠」については、単に自然の風物を詠むだけでなく、有季定型という形式を通じて、人事を含む森羅万象、すなわち「いのち」そのものを詠むことであると広く解釈し、日本情緒に限定されない普遍的な俳句の可能性を示しました。この解釈を巡っては、俳人の金子兜太氏と季語の本質について真っ向から議論を交わしたことが知られています。

率直で飾り気のない人柄から、新聞、雑誌、テレビといったメディアにも度々登場し、俳句の普及に努めました。国際俳句シンポジウムへの参加など、俳句の国際化に向けた活動にも積極的に関与。また、「人間も自然の一部である」という考えを抱き、自然保護のためのボランティア活動にも身を投じるなど、俳句以外の分野でもその行動力を示しました。

家族

夫の稲畑順三氏は、稲畑染料店（後の稲畑商店、現稲畑産業）の創業者である稲畑勝太郎氏の孫であり、稲畑商店会長を務めた稲畑二郎氏の三男にあたります。

息子の稲畑廣太郎氏もまた俳人であり、母から『ホトトギス』主宰の座を引き継いでいます。

主な著書

句集
『汀子句集』 （新樹社、1976年）
『汀子第二句集』 （永田書房、1985年）
『汀子第三句集』 （永田書房、1989年）
『障子明り』 （角川書店、1996年）
『さゆらぎ』 （朝日新聞社、2001年）
『花』 （角川SSコミュニケーションズ、2010年）
『月』 （角川書店、2012年）

選集
『稲畑汀子集 春光』 （三一書房、1986年）
『現代俳人文庫 稲畑汀子集』 （砂子屋書房、1994年）
『花神コレクション 稲畑汀子』 （花神社、1995年）

随筆など
『旅立 句文集』 （五月書房、1979年）
『自然と語りあうやさしい俳句』 （新樹社、1978年）
『星月夜』 （新樹社、1981年）
『汀子句評歳時記』 （永田書房、1984年）
『舞ひやまざるは』 （創元社、1984年）
『風の去来』 （創元社、1985年）
『俳句と親しむ』 （大阪書籍、1985年）
『女の心便り』 （海龍堂、1986年）
『ことばの春秋 俳句随想』 （永田書房、1988年）
『手土産の本』 （千原叡子共著、文化出版局、1993年）
『俳句入門 初級から中級へ』 （PHP研究所、1998年）
『俳句十二か月 自然とともに生きる俳句』 （日本放送出版協会、2000年）
『花鳥存問』 （角川書店、2000年）
『TEIKO 蛭田有一フォトインタビュー集』 （求龍堂、2003年）
『虚子百句』 （富士見書房、2006年）

編著
『ホトトギス新歳時記』 （三省堂、1986年）
『ホトトギス季寄せ』 （三省堂、1987年）
『高浜年尾の世界』 （梅里書房、1990年）
『よみものホトトギス百年史』 （花神社、1996年）
『俳句表現の方法』 （角川書店、1997年）
『三省堂ホトトギス俳句季題便覧』 （三省堂、1999年）
『ホトトギス 虚子と100人の名句集』 （三省堂、2004年）
『ホトトギス俳句季題辞典』 （三省堂、2008年）
『ホトトギスの俳人101』 （新書館、2010年）

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