聖母子と聖ルカ、アレクサンドリアの聖カタリナ

『聖母子と聖ルカ、アレクサンドリアの聖カタリナ』は、盛期ルネサンスを代表するヴェネツィア派の巨匠、ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1560年頃に制作した油彩画です。この作品は、キリスト教絵画の伝統的な主題である聖会話を描いており、ティツィアーノのキャリアが最も充実していた時期に描かれた、彼の最後の聖会話としても知られています。

作品の詳細

この絵画には、聖母マリアが幼児のイエス・キリストを抱き、その傍らに聖ルカとアレクサンドリアの聖カタリナが描かれています。聖母マリアは画面右に座り、幼児キリストをしっかりと抱いています。幼児キリストは、跪いた聖カタリナに手を伸ばしています。聖カタリナは、拷問具である車輪に肘をつきながら、キリストに手を差し伸べています。画面左には、聖ルカとされる男性が立っていますが、この人物については聖パウロや聖ヨセフとする説もあり、議論が続いています。背景には、深い緑のカーテンと都市の風景が描かれ、上空には迫りくる雲が広がっています。

ティツィアーノは、登場人物たちの視線と身振りを巧みに構成することで、鑑賞者の視線を誘導しています。聖母マリアから幼児キリスト、そして聖カタリナへと視線が流れ、聖ルカは画面左の視線を誘導する役割を果たしています。また、ティツィアーノは色彩を用いて鑑賞者の視線を導き、幼児キリストの肌を明るく描くことで、自然に目を引くように工夫しています。背景の空も、ハイライトを伴う雲を通して、再びキリストに視線が戻るように構成されています。

制作過程と技法

X線撮影による分析では、特に聖カタリナの周囲で構図に多くの変更が加えられていたことが判明しています。聖カタリナの位置がわずかに上に移動していることや、聖ルカの袖が聖カタリナの頭部を通過していることから、聖ルカが先に描かれたことがわかります。また、画面左下隅には聖ルカのアトリビュートである牡牛が確認され、この人物が聖ルカであることが裏付けられています。当初、本作は「聖カタリナの神秘の結婚」として説明されてきましたが、幼児キリストが指輪を持っていないことから、当初は寄進者の肖像画を描く予定であった可能性も指摘されています。

ティツィアーノの筆致は、聖母子や空と背景に最も顕著に現れています。1550年代以降、ティツィアーノは助手の協力を得て作品を完成させていましたが、聖カタリナの仕上げはティツィアーノ自身が行ったのか、議論の余地があります。聖ルカとカーテンの配置はティツィアーノによるものと考えられますが、周辺部分は助手が担当した可能性が高いでしょう。

制作年代の考察

制作年代については、1540年から1560年まで幅広い議論がなされてきました。美術史家の中には1540年頃とする意見もありますが、1560年頃のティツィアーノの作品との類似性から、より後の年代とする説が有力です。近年では1540年代後半とする研究が多く、背景の風景や人物像の特徴から、ティツィアーノが1547年にローマから帰国してから1548年にアウクスブルクを訪れるまでの時期の作品であるとする説が支持されています。ただし、競売に際して行われた調査では、1560年頃の作品であるという合意が得られています。

保存状態と来歴

本作品は、部分的な摩耗や塗り直しはあるものの、損傷や徹底的な洗浄・修復をほとんど受けておらず、保存状態は良好です。作品は、パドヴァの貴族ドンディ・デッロロージョ家のために描かれたと考えられています。その後、イギリスの外交官リチャード・ウォーズリー卿によって購入されましたが、運搬中にフランスに拿捕され、紆余曲折を経てリュシアン・ボナパルトの手に渡りました。リュシアンは熱心な美術収集家で、ティツィアーノの作品を9点所有していました。

リュシアンの経済的困窮により、作品はロンドンの美術商ウィリアム・ブキャナンに送られましたが、主要作品の販売取り下げにより展覧会は不調に終わりました。その後、競売で最高額の750ギニーという高評価を得て、ジョン・リードやチャールズ・パスコー・グレンフェルなど、様々なコレクターの手に渡りました。最終的に、1956年にスイスのハインツ・キスターズに売却され、2011年にサザビーズの競売で当時のティツィアーノ作品の最高額である1,690万ドルで落札されました。

後世への影響と他のバージョン

バロック期の画家アンソニー・ヴァン・ダイクは、1620年代に本作品のスケッチを描いています。また、リュシアン・ボナパルトは、1812年と1822年にピエトロ・フォンターナによる本作品の版画を出版しました。ハンプトン・コート宮殿には、本作のヴァリアントとされる作品が存在します。この作品は、かつてティツィアーノの作品として購入されましたが、パルマ・イル・ジョーヴァネの作ではないかと考えられています。また、シオン・ハウスには、本作品の複製が存在します。

まとめ

『聖母子と聖ルカ、アレクサンドリアの聖カタリナ』は、ティツィアーノの卓越した技法と豊かな表現力が凝縮された傑作です。聖会話という伝統的な主題を、独自の解釈と構図で描き出し、後世の画家たちにも大きな影響を与えました。この作品は、ルネサンス絵画の美しさと深さを伝える、不朽の名作と言えるでしょう。

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