自己心理学

自己心理学は、ハインツ・コフートによって創始された精神分析の理論です。これは、人の「自己」の発達と機能に焦点を当て、特に自己愛の役割を重視します。自己心理学は、自我心理学から発展し、アメリカを中心に大きな影響力を持つ学派となりました。

概要

自己心理学では、人が健全な「自己」を確立することが重要だと考えます。この健全な自己は、幼少期の親（主に母親）からの適切な反応によって形成される「野心」「才能・技能」「理想」という三つの要素によって支えられています。これを「三部構成自己」と呼びます。これらの要素が円滑に機能することで、人は創造的な活動を行うことができます。逆に、これらの要素が損なわれると、精神的な問題が生じると考えられています。

自己心理学では、患者の「自己」の病理を理解するために、この三部構成自己の視点を用います。自己の特定の部分が損傷している場合、患者は「自己対象転移」と呼ばれる特殊な欲求を示すと考えられています。治療者は、この転移に適切に対応し、共感を通じて患者の自己の損傷部分や病理を探求します。

歴史

自己心理学は、コフートが自己愛性パーソナリティ障害の患者を分析する中で、自己愛に関する独自の考察を発見したことから始まりました。1950年代には、神経症と精神病の中間的な状態を示す人々が観察されるようになり、コフートはこれらの患者に特有の転移が見られることに気づきました。この発見が、自己愛に関する理論へと発展しました。

コフートは、1971年に『自己の分析』という著書で、自己愛に関する理論を提唱し、その後も「自己」に関する考察を深めました。1978年には自己心理学総会が開催され、コフートの理論を支持する学派が「自己心理学」と呼ばれるようになりました。現代では、自己心理学は自我心理学に代わる新たな精神分析学派として、特にアメリカで発展しています。

古典的精神分析との違い

自己心理学は、自我心理学や対象関係論とは異なり、自我、イド、超自我といった心的構造論や、リビドーや攻撃性といった欲動理論を重視しません。代わりに、自己に関する以下の様な理論を用いています。

1. 患者それ自体を尊重し、患者の「自己」を通して精神病理を捉えます。
2. 科学的心理学として、経験的な観察を重視します。理論が先行するのではなく、臨床での観察が中心となります。
3. 患者と分析家は切り離せない存在として捉え、分析家の中立性を重視しません。患者と分析家を一つのユニットとして考えます。
4. 共感という技法を用い、患者の自己を把握すると同時に、患者に対して肯定的に接します。
5. 自己の障害だけでなく、自己の健康的な部分にも焦点を当てます。

自己心理学では、神経症、精神病、パーソナリティ障害などを自己の障害として捉え、「自己」がどのように壊れているのか、どのような欲求を持っているのかを探求します。

自己対象転移

自己愛性パーソナリティ障害の患者に見られる特殊な転移であり、通常の感情転移とは異なります。自己心理学では、転移は自己の損傷部分を回復させ、自己を形成するために自然に発生するものとして捉えられます。特に自己が損傷している場合に生じやすく、自己愛性パーソナリティ障害の患者だけでなく、一般の人にも見られます。

代表的な自己対象転移としては、以下のものがあります。

鏡転移（鏡自己対象転移）: 自分の能力や存在を認め、褒めてもらいたいという欲求。
理想化転移（理想化自己対象転移）: 落ち着きや安心感を与えてくれる、理想的な親のような存在を求める欲求。
双子転移（双子自己対象転移）: 自分と似た他人との一体感や共感を求める欲求。
融合転移（融合自己対象転移）: 自己と他者が融合したような、境界のない一体感を求める欲求。

これらの自己対象転移は、自己の欠損や混乱を埋める役割を果たします。自己対象からの適切な反応があることで、患者の自己の中にある野心や理想が育まれ、自己が確立されると考えられています。

留意点

自己心理学は共感を重視するため、来談者中心療法との類似性を指摘されることがあります。しかし、自己心理学は単に共感によって患者を支持するだけでなく、自己対象転移を通して患者の歴史を分析し、抑圧された感情を探求する精神分析的なアプローチを取ります。

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