金炯旭

金 炯旭（キム・ヒョンウク）は、1925年に生まれ、1979年に失踪した大韓民国の軍人、政治家です。朴正煕大統領の側近として、第三共和国時代に強力な情報機関である中央情報部（KCIA）の部長を長期間務めました。

若年期と軍歴

日本統治下の黄海道信川郡で生まれた金炯旭は、1949年に陸軍士官学校第8期を卒業しました。朝鮮戦争では中隊長として戦場を経験。その後、1961年5月16日の軍事クーデターに、陸士同期の金鍾泌らとともに中心メンバーとして参加しました。クーデター成功後、国家再建最高会議の最高委員に就任し、内務や運営企画などの要職を歴任しました。

KCIA部長としての活動

1963年7月、金炯旭は第4代KCIA部長に就任します。同年10月には陸軍准将の階級で予備役へ編入され、情報機関のトップとして活動に専念しました。この時期、彼は慶熙大学校で政治経済を学び、大学院も修了しています。KCIA部長在任中、人民革命党事件（1964年）、東ベルリン事件（1967年）、統一革命党事件（1968年）といった、当時の政権にとって重要な「反国家」とされる事件の捜査を指揮しました。強力な権限を持つKCIAのトップとして、彼は朴正煕政権の維持に深く関与しました。

しかし、朴大統領が進めた3選改憲を巡る政治的な混乱の中で、1969年10月にKCIA部長を解任されることになります。

政界での挫折と亡命

KCIAを離れた後、金炯旭は1971年5月の第8代総選挙に全国区から出馬し、国会議員として当選を果たしました。しかし、1972年10月17日に朴正煕大統領が非常戒厳令を布告し、国会を解散、憲法の一部効力を停止した「十月維新」により、彼は議員職を剥奪されました。さらに、大統領が事実上任命する維新政友会の国会議員名簿からも1973年3月に除外され、政権の中枢から完全に排除されたことで、朴正煕大統領への強い反感を募らせます。同年4月、台湾を経由してアメリカ合衆国へ亡命しました。

亡命先での暴露活動

アメリカに渡った金炯旭は、朴正煕政権の不正行為を次々と暴露し始めました。特に、アメリカにおけるロビー活動を巡る「コリアゲート」事件や、海外で発生した金大中拉致事件における朴政権の関与について詳細を証言し、波紋を呼びました。これらの暴露は、朴政権にとって大きな打撃となりました。また、彼は亡命後も韓国の民主化運動に関心を持ち、関係団体に激励のメッセージを送るなどしています。自身の体験を基にした著書『権力と陰謀』も出版されています。

パリでの謎の失踪

1979年10月1日、金炯旭はアメリカのケネディ空港からエール・フランスのコンコルドに単独で搭乗し、パリへと向かいました。彼は数日間ホテルに滞在し、連日カジノに通っていたとされています。10月7日の夕方、カジノから東洋人らしき人物と一緒に出るところが最後に目撃されたのを境に、消息を絶ちました。

失踪後の法的な扱いと真相究明

金炯旭の失踪後、韓国では1982年に欠席裁判により反国家行為者処罰に関する特別措置法違反の罪で有罪判決と財産没収の処分が下されました。しかし、1991年に家庭法院は彼を「1984年10月8日に死亡したと見なす」という失踪宣告判決を出し、法的に死亡扱いとなりました。さらに1996年、反国家行為者処罰に関する特別措置法が違憲と判断されたことで、刑事裁判では無罪が宣告されました。遺族は没収された財産の返還を求め訴訟を起こしましたが、一部の不動産については所有権を取り戻すことが困難となりました。また、遺族間でも財産に関する訴訟が発生するなど、失踪後も様々な問題が続きました。

金炯旭失踪事件の真相については長らく不明でしたが、2005年にKCIAの後継機関である国家情報院の「過去事件真実究明を通じた発展委員会」がこの事件を調査対象としました。同年5月の中間報告で、委員会は金炯旭がKCIAの要員によって拉致・殺害されたと公式に認定しました。報告によれば、当時のKCIA部長金載圭の指示を受け、駐仏公使が計画し、フランスで研修中のKCIA要員が実行したとされています。実行犯は東ヨーロッパ出身の人物を雇い、金炯旭を殺害し、遺体を山中に遺棄したとされました。事件の全貌を知ると見られていた当時の関係者もいましたが、詳細は明らかにされないまま亡くなるなど、全てが解明されたわけではありません。一方で、事件への大統領警護室の関与を主張する声も一部の関係者から上がっており、異なる見方も存在します。

金炯旭の生涯と特異な最期は、韓国の近現代史、特に権力と情報機関のあり方を巡る複雑な側面を象徴する出来事として記憶されています。

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