黒船 (山田耕筰)

オペラ『黒船』について

山田耕筰作曲のオペラ『黒船』は、幕末の動乱期に翻弄された芸姑「唐人お吉」を主人公とした作品です。『夜明け』という別名でも知られています。当初はアメリカでの初演が予定されていましたが、紆余曲折を経て日本で初演されました。日本人が作曲した最初の3幕物オペラ、あるいはグランド・オペラと評価されています。

作曲の経緯

1920年代後半、アメリカ人ジャーナリストのパーシー・ノエルから、幕末の日米関係を題材とした英語のオペラ台本を受け取った山田耕筰は、シカゴ・シビック・オペラでの世界初演を目指し作曲を開始しました。1929年には序景が完成しましたが、シカゴでの初演は実現せず、作品は一時的に放置されました。その後、1940年の皇紀2600年奉祝事業として初演の見通しが立ったため、山田自身が台本を日本語訳し、一部修正を加えて作曲を再開、1940年に全曲が完成しました。初演時には序景はカットされました。

「日本人が作曲した最初のオペラ」と紹介されることがありますが、これは正確ではありません。山田耕筰は『黒船』以前に『堕ちたる天女』や『あやめ』といった1幕物のオペラを作曲しており、また、山田の作品以前にも小規模なオペラがいくつか上演されています。したがって、『黒船』は「日本人が作曲した最初の3幕物オペラ」あるいは「日本人が初めて作曲したグランド・オペラ」と表現するのがより適切です。

初演

序景のみの初演: 1931年、レニングラード（現サンクトペテルブルク）にて、作曲者自身の指揮によるコンサート形式で行われました。
第1幕から第3幕までの初演: 1940年11月25日、『夜明け』のタイトルで、作曲者の指揮・演出、お吉役：辻輝子、吉田役：伊藤武雄、領事役：藤原義江らにより上演されました。ダブルキャスト制で、お姐さん役は杉村春子が担当しました。杉村が選ばれたのは、元オペラ歌手志望で新劇で活躍していた彼女の日本語での歌唱が、山田の理想に合致したためです。
完全版初演: 2008年2月22日、新国立劇場において、若杉弘指揮、栗山昌良演出、お吉役：釜洞祐子、吉田役：星野淳、領事役：村上敏明らにより、序景を含む完全版が初演されました。こちらもダブルキャスト制でした。

登場人物

お吉（ソプラノ）: 下田で評判の美人で、歌の名手。
お松（メゾソプラノまたはソプラノ）: 人気の芸者。
姐さん（メゾソプラノ）: お吉の養母であり相談相手。
吉田（バリトン）: 浪人。尊王攘夷派であり、お吉の恋人。領事暗殺を命じる。
領事（テノール）: アメリカの駐日総領事。お吉と恋に落ちる。
伊佐新次郎（バリトン）: 支配組頭。
書記官（テノール）: 領事の部下で遊び人。
町奉行（バス）: 下田奉行。
その他、盆唄・舟唄の独唱者、浪人、漁師、幕吏、火の番、下田の人々（合唱）が登場します。

領事と書記官は外国人という設定ですが、日本語で歌います。ただし、初登場シーンでは日本語がたどたどしく、次第に上達していくという演出がなされています。2008年2月の公演では、二人の会話や領事の独白に英語が混じる演出が加えられました。

楽器編成

標準的な三管編成のオーケストラに、ハープ、チェレスタが加わります。舞台上には、三味線や太鼓などのバンダが置かれます。浪人たちが登場する場面では、尺八が用いられます。

作品の概要

序景

アメリカでの初演を想定して、当時の日本の文化や情景をアメリカ人に理解させるために設けられた部分です。山田耕筰自身は「可視的序曲」と呼んでいます。盆唄の独唱に合わせて盆踊りが始まり、熱狂的な雰囲気から静寂へと移り変わり、パントマイムで吉田とお吉の恋仲や浪人たちの様子が描かれます。その後、下田が火事や地震に見舞われる様子が描かれ、第1幕へと続きます。

第1幕

1856年8月、下田の茶屋「伊勢善」が舞台です。アメリカとの開港条約締結により、函館と下田が開港されたことを受け、伊佐と町奉行は不安を抱えています。芸者のお松が呼ばれ、酒宴を盛り上げます。そこへ深編笠をかぶった浪人たちが現れて騒然となりますが、何も起こりません。お吉の歌声が聞こえてくると、一同は色めき立ち、お吉はアリア「不思議やあら不思議やな」を歌い上げます。そこに吉田が現れて奉行らに詰め寄りますが、幕府の使者が現れて外国人に危害を加える者を磔刑に処すというお触れを伝えます。吉田は立ち去ります。お吉が茶屋のそばを歩いていると、上陸したばかりの領事が現れます。領事はアリア「おお、うるわしの日本よ」を歌い、お吉に奉行所への道を尋ねます。お吉は領事に好感を抱きますが、吉田が現れて短剣を仕込んだ白扇で領事を暗殺するよう強要し、お吉はそれを受け入れます。

第2幕

1857年春、茶屋「伊勢善」の大広間が舞台です。浪人たちは、お吉が領事をなかなか暗殺しないことに苛立ち、芸者を呼んでどんちゃん騒ぎをしています。吉田はお吉を呼び出して暗殺を促し、立ち去ります。お吉の心は揺れ動き、姐さんに相談しますが、結論は出ません。そこに領事と書記官が現れます。書記官はお松と親密な関係にあるようです。外交交渉がうまくいかない領事は、お吉の姿を見てアリア「君の目に幸の日の望みあらば」を歌います。領事とお吉が浜へ出かけた隙に、伊佐と奉行は、書記官と共に、お吉を領事の妾にして交渉に役立てようと企てます。お吉が戻ってくると、奉行はお吉に命令を下しますが、お吉は荘厳なアリア「この朝、黄金の光彩りし」を歌い、断ります。怒った奉行はお吉を投獄します。

第3幕

第1場: 領事館のある玉泉寺が舞台です。領事は交渉が進展せず絶望し、自殺を図りますが、そこへお吉が現れます。実は書記官と奉行が共謀し、領事の尽力によるものとしてお吉を出獄させ、玉泉寺に送り込んだのです。お吉は領事に仕える決意を姐さんに伝えますが、吉田からの「任務を忘れるな」という紙つぶてで心が揺れます。そこへ黒船が来たという知らせが届き、領事とお吉は弁天島へ向かいます。

第2場: 弁天島が舞台です。舟唄の独唱で幕を開けます。吉田たちは、お吉に対する怒りを爆発させ、二人とも殺すことを決めます。そこへ、お吉と領事が二人きりで現れます。お吉は領事を刺そうとしますが、激しい暴風雨が二人を襲います。領事はお吉を救うため荒波の中を泳ぎ、小舟を取ってきます。

第3場: 玉泉寺が舞台です。「南無阿弥陀仏」という読経の合唱で始まります。領事が一人でいると、お吉がやってきて、領事を殺そうとしたことを告白し、詫びます。領事は驚くことなくお吉を受け入れ、二人の間に愛が芽生えます。奉行が現れて交渉の大進展を告げ、領事とお吉の愛の二重唱が始まりますが、犬の吠え声と共に吉田が登場し、二人を斬ろうとします。しかし、天皇の「外国人を襲ってはならない」という勅命が下り、吉田は自らの行いを恥じて切腹します。領事は吉田の忠誠心を称賛し、彼の流した血によって日米の将来が約束されたと歌い、幕を閉じます。

脚注

参考文献: 完全版初演の際の公演プログラムにおける片山杜秀による解説、その他
外部リンク: 日本楽劇協会 - ウェイバックマシン、『黒船』あらすじ、『黒船』校訂日誌、新国立劇場

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