1944年の日本競馬

1944年（昭和19年）、日本競馬界は太平洋戦争の激化に伴い、未曽有の困難に直面しました。この年、競馬の開催が全面的に停止され、競馬の存続自体が危ぶまれる状況となりました。

年が明けるとすぐに、開催停止に対応するための様々な措置が講じられました。1月には、安田伊左衛門理事長が、競走馬の数を適正に保つための「整理馬淘汰検査」の実施を指示しました。これは、3歳から5歳の呼馬（指定された競走に出走できる馬）や抽籤馬の中から約1000頭を選定し、それ以外の過剰な馬を整理し、一定の保証を与えるというものでした。また、競馬開催停止に伴う人員削減も進められ、各競馬場長に対して希望退職者の募集が通知されました。日本競馬会を退職した職員には、転職資金が支給されるという支援策も実施されています。

競馬の代替として、能力検定競走の実施準備も進められました。1月には、その出走候補となる馬に対する種馬検査が日本各地の競馬場で行われ、多数の馬が合格して東京と京都の両競馬場に送られました。2月には農商省から「競馬停止に伴う臨時措置補助規則」が公布され、開催費用の国庫支給が定められるなど、能力検定競走の実施に向けた体制が整えられました。そして、能力検定競走の施行要領や規程が定められ、4月1日から施行されています。

戦争の影響は、競馬場の閉鎖という形でも現れました。3月には新潟競馬場、福島競馬場、小倉競馬場が閉鎖されました。横浜競馬場は既に売却されていましたが、代替地の確保は実現に至りませんでした。さらに、中山競馬場は陸軍軍医学校出張所に、函館競馬場は高射砲陣地にと、軍事目的に転用されていきました。

そのような状況下で、4月下旬から6月中旬にかけて、春季能力検定競走が東京と京都の競馬場で開催されました。週に2〜3日間、1日10競走が組まれ、合計35日間にわたって350回の競走が行われました。これらの競走を通じて、将来の競馬再開に必要な軽種馬資源を維持・選定する試みが行われました。この年の検定では、サラブレッド673頭、アラブ種502頭が合格しています。帝室御賞典（春）は京都で開催されヒロサクラが、東京優駿競走（日本ダービー）は東京で開催されカイソウがそれぞれ優勝しています。

夏になると、事態はさらに切迫しました。7月には東京競馬場が軍当局によって戦力増強部門に転用される計画が明らかになりました。これに対し、日本競馬会は京都競馬場での能力検定競走続行や、それが困難な場合の生産地での分散審査など、将来的な競馬再開のために必要最小限の軽種馬を確保するための緊急対策を決議しました。8月には東京競馬場の転用に伴う雇用整理などの対策が協議され、9月1日にはこの「軽種馬緊急対策」が閣議了解事項として決定されました。これにより、日本競馬会は競走馬を積極的に買い上げ、所有することとし、調教師や騎手、厩務員の一部を業務員として雇用する体制を整えました。選ばれた優良馬は、岩手県や北海道といった生産地へ疎開させられています。これらの措置により、競走馬を所有していた馬主は事実上存在しなくなりました。また、8月には小倉競馬場がB-29による爆撃を受け、競馬場も戦争の直接的な被害を受けるようになりました。

秋から年末にかけても、困難な状況は続きました。11月には、都市部での物資運搬に馬を活用するため、「輓馬機動隊」を編成する計画が進められました。能力検定競走では、12月に京都で行われた競走で、全騎手がコースを誤り競走不成立となる異例の事態が発生しています。また、皇室への配慮から、同年の秋季帝室御賞典は辞退されました。

この年、戦時下の厳しい状況にもかかわらず、後に競馬界で活躍する多くの騎手や調教師（郷原洋行、鈴木康弘、大久保洋吉ら）が誕生しています。また、後にクラシック戦線で活躍するトキツカゼなどの競走馬も生まれており、困難の中でも競馬の未来に繋がる生命が育まれていました。

1944年は、競馬開催が停止され、競馬場や資源が戦争に利用される一方で、将来の再開に備え、軽種馬の維持と管理、関係者の雇用確保といった必死の努力が続けられた、日本競馬界にとって試練の一年でした。

もう一度検索