エンリル

エンリル：メソポタミア神話の最高神

エンリル（シュメール語：𒀭𒂗𒆤、アッカド語：DEllil）は、古代メソポタミア神話において、ニップルの守護神として崇拝された重要な神です。彼はシュメール・アッカドにおける事実上の最高権力者であり、その象徴は数字の50と怪鳥アンズーでした。ヌナムニルという別名も持ちますが、一般には「エンリル」の名で知られています。

エンリルという名前は、シュメール語で「主人」を意味するENと「風」を意味するLILから構成され、その名の通り嵐や強大な力を象徴します。特に北風と結び付けられることがあり、「荒れ狂う嵐」や「野生の雄牛」といった異名も持っていました。至高神としての地位から、アッカド語では「主人」を意味する「ベール」とも呼ばれ、後の至高神たちもこの称号を受け継ぎました。

畏怖の対象としてのエンリル

エンリルは非常に畏れ多い神であり、その姿はもちろんのこと、身から発する光輝「メラム」さえも神々が見ることはできませんでした。彼を直接目撃した者は少なく、風や大気といった具体的な表現が難しい神格であったため、明確な図像は確認されていません。しかし、一般的には人間と同じ姿で描かれ、角の生えた冠を被り、壮麗な衣をまとい、神々の運命を記した天命の粘土板「トゥプシマティ」を持った髭の男性として描写されます。

短慮で激情的な性格

エンリルの性格は短慮で激情家であり、人間だけでなく神々の間でもしばしば問題を起こしました。慈悲や哀れみといった感情を持つことは少なく、個人的な欲求から破壊的な行為を引き起こすことがありました。都市の滅亡、洪水、疫病など、人類にとってのネガティブな出来事の多くが、最高責任者であるエンリルの意図によって引き起こされたとされています。

しかし、これらの破壊的な側面は、エンリルの神格を考慮すると必然的なものでもあります。嵐や風は、破壊をもたらす一方で恵みの雨を降らせ、季節の移り変わりを知らせるなど、世界秩序を維持する上で重要な役割を果たしています。

神殿「エクル」と聖所「キウル」

エンリルの主な信仰地域であり、守護都市でもあったニップルには、彼自身が建造した神殿「エクル」がありました。神殿の外にはジグラットと呼ばれる聖塔「エドゥルアンキ」が建てられ、これはエンリルに大地の神としての属性を与え、「偉大な山（クルガル）」と呼ばれました。神殿内には「キウル」と呼ばれる聖所があり、その一角である「ウブシュウキンナ」は神々の会議の場としても利用されました。

エンリルの出自と創世神話

エンリルの出自に関する記録は、時代や地域によって異なりますが、人類創造や天地開闢といった創世神話にまで遡る古い歴史を持っています。一般的な説では、エンリルは天空神アヌと地母神キから生まれ、天と地を分かち世界を創造したとされています。また、アヌからキを奪い、地上の支配者となった後、神々の労働を肩代わりさせるためにキと交わり、人間を生み出したとも伝えられています。この流れは、原初の天空神アヌから、農耕に不可欠な雨をもたらす「嵐」と「風」の神であるエンリルへと信仰が移行していったことを示しています。

エンリルの系譜

エンリルの系譜については、説話によって違いがあります。配偶神には穀物神ニンリル、アシュナン、豊穣神ニントゥがおり、子供には月神シン（ナンナ）、冥界の男神ネルガル、治癒神メスラムタエア、医術神ニンアズ、冥界の宰相ナムタルなどがいます。また、降雨を司る男神イシュクル（アダド）、金星の女神イナンナ（イシュタル）、戦の神ザババもエンリルの子とする説もあります。兄弟姉妹についても複数の神がいたと考えられています。

神としての地位

シュメール・アッカドの神々の頂点に立つのはアヌですが、アヌは早い段階で「暇な神」となり、実権を握ったのはエンリルとエアでした。エンリルは、嵐、大気、大地、秩序、創造、王権など多くの役割と神格を持ち、神話では神々の指導者や代表者として描かれています。エンリルが事実上の最高神となった理由については諸説ありますが、各都市国家の主権が移行したことが大きな要因と考えられています。

秩序と王権を司る神

エンリルは、神々の会議が開催される聖所「ウブシュウキンナ」を所有しており、そこで決定された事項は天命の粘土板「トゥプシマティ」に書き込まれ、エンリルが執行しました。この秩序とは、「メ」と呼ばれる「神の掟」や「規範」を指し、神話世界の根底に位置するものでした。エンリルは、シュメール統治の最高神として王権を授与する役割も担っており、彼から任命を受けることで、各都市の王や統治者はその正当性を示しました。

エンリルの神話

エンリルは、絶対的な権力者として秩序と王権を体現する一方で、神話の中では裁かれる立場になったり、冷酷で残忍な人物として描かれることが多いです。

エンリルと鶴嘴

天と地が分かれた後、エンリルは殺した二柱の神の血を用いて人間を創造し、彼らに労働をさせるために「つるはし」を与えました。

エンリルとニンリル

この神話は、エンリルが若い女神ニンリルを強姦し、その結果として月神シンが誕生するという物語です。エンリルは罪を問われ天界を追放されますが、ニンリルは彼を追って冥界へ旅立ちます。エンリルは冥界で姿を変え、ニンリルと何度も交わり、ネルガル、ニンアズ、エンビルルの3柱の神を誕生させます。この物語は、エンリルの若さと、嵐を司る破壊的な神格を示すものとして解釈されます。

ギルガメシュ叙事詩

『ギルガメシュ叙事詩』では、エンリルは理不尽な決定でギルガメシュの親友エンキドゥを死に至らしめます。また、彼はフンババを派遣するなど、人間に対して厳しい態度を示しています。

大洪水伝説

大洪水伝説では、エンリルは人類の騒がしさに怒り、大洪水を起こして人類を一掃しようとします。しかし、弟のエアがそれを阻止し、人類の一部が生き残ります。この物語は、エンリルの破壊的な側面と、エアの慈悲深い側面を対比的に描いています。

エンリルの影響

エンリルは、古代メソポタミアにおいて、非常に重要な神であり、その影響力は広範囲に及んでいました。彼の名前は、軍神ニヌルタの破壊力を例える際にも用いられ、異民族の侵入を神罰として説明する際にも引き合いに出されました。また、天文学史料「ムル・アピン」では、星の配置を3つの神に分類し、その一つとして「エンリルの道」が設けられました。

エンリルは、短慮な行動や過酷な一面を持つ一方で、神々の中でも重要な役割を担い、その地位が揺らぐことはありませんでした。マルドゥクが最高神となった時代においても、エンリルは神々の指導者として君臨し続け、古代メソポタミアの人々の信仰において重要な位置を占めていたのです。

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