伊場仙

株式会社伊場仙

東京都中央区日本橋小舟町に所在する株式会社伊場仙は、団扇（うちわ）や扇子（せんす）の製造販売を主業とする老舗企業です。その歴史は非常に古く、公称では天正18年（1590年）の創業とされています。これは徳川家康が江戸に入府した年と重なりますが、詳しい創業経緯は不明な点も多いようです。創業者とされる伊場屋勘左衛門は、三河国（現在の愛知県）から徳川家に仕える父と共に移り住み、後に江戸で事業を興したと伝えられています。

江戸時代における多様な事業

伊場仙は、江戸時代を通じて、現在の本業である団扇や扇子の製造販売に加え、浮世絵の出版を手がける「地本問屋（じほんどいや）」、そして「団扇問屋」を兼ねていました。江戸幕府の御用達も務め、江戸城にも出入りしていたとされます。創業当初は和紙や竹などの素材を扱っていましたが、元禄13年（1700年頃）には、これらの素材を用いて独自の団扇、いわゆる「江戸団扇」や「東団扇」を手がけるようになり、製品に付加価値をつけることに成功しました。

当時の伊場仙の所在地である日本橋堀江町は、東堀留川に隣接し、上方など各地から物資が集まる商業の中心地でした。江戸後期には多くの団扇屋がこの地域に集まり、河岸地は「団扇河岸」と俗称されるほど賑わいを見せました。寛政4年（1792年）には、伊場屋仙三郎が団扇問屋を開業したとも伝えられています。

江戸時代後期に「団扇絵（うちわえ）」が流行すると、伊場仙は浮世絵の版元としてその名をさらに高めました。文政年間から明治にかけて存在した「仙三郎店（団扇堂、団仙堂）」や、文化文政から幕末にかけての「久兵衛店（錦政堂）」を通じて、歌川国芳、歌川豊国、歌川広重など、当時の著名な歌川派の絵師たちを積極的に起用しました。これにより、伊場仙は幕末の団扇絵市場において大きな影響力を持つとともに、一枚摺りの浮世絵出版も数多く手がけました。伊場仙が手掛けた浮世絵作品には、以下のような著名なものがあります。

歌川広重『東海道張交図会』
歌川国芳『猫の当字』
歌川国芳『源頼光公館土蜘作妖怪図』
歌川広重・3代歌川豊国・歌川国芳『東海道五十三対』（他社との合版）

屋号が現在の「伊場仙」となったのは、10代目の時代とされています。長い歴史の中では、度重なる災害も経験しました。明暦3年（1657年）の明暦の大火では店舗が被災し、安政2年（1855年）の安政江戸地震では後継者を失うという困難にも見舞われましたが、その都度、事業を立て直し、伝統を継承してきました。

近代以降の展開と現在

明治時代に入り、浮世絵版画の需要が衰退すると、13代目の吉田直吉は時代の変化に対応するため、暦表の事業に進出し、これを準主力商品としました。大正12年（1923年）の関東大震災では再び店舗を焼失しましたが、驚くべきことにその3日後には渋谷町の自宅で営業を再開したといいます。昭和9年（1934年）には株式会社へと組織変更を行い、事業基盤を強化しました。昭和20年（1945年）の東京大空襲では自宅は被害を受けたものの店舗は無事だった経験から、以降は職住分離の方針を徹底しています。

14代目の吉田誠男は、家業に従事した後、赤字が続いていたカレンダー事業からの撤退を決断し、本業である団扇・扇子の事業に集中する道を選びました。これにより、現代における伊場仙の事業の核が明確になりました。

平成4年（1992年）には現在の本社ビルが竣工しました。このビルは、上階をオフィスや会議室として賃貸する事業も行っており、会社の安定的な経営の一翼を担っています。そして、平成24年（2012年）5月には、ビル1階に「伊場仙浮世絵ミュージアム」が開館しました。ここでは、伊場仙がかつて出版した貴重な浮世絵作品や、吉田家に代々伝わる雛人形などが展示されており、江戸時代から続く同社の歴史と日本の文化を一般に伝える場となっています。

伊場仙は、創業から四世紀以上にわたり、伝統的な団扇・扇子の製造販売を通じて日本の夏を彩り、文化を支え続けています。同時に、江戸時代には浮世絵の版元として、当時の庶民文化や芸術の普及に貢献しました。困難を乗り越え、時代に合わせて事業を変化させながらも、核となる伝統を守り続けるその歩みは、日本橋の地で今も続いています。

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