塵埃を踏み歩くもの

『塵埃を踏み歩くもの』（じんあいをふみあるくもの、英語原題：The Treader of the Dust）は、アメリカの怪奇小説家クラーク・アシュトン・スミスによって書かれた短編ホラー作品です。この物語は、著名なパルプ雑誌『ウィアード・テールズ』の1935年8月号に初めて掲載されました。発表当時のスミス自身は、この作品を自身の創造したゾティークやアヴェロワーニュといった幻想的な世界、あるいはハワードやラブクラフトのクトゥルフ神話とは切り離された、独立した一つの物語として構想していました。

しかし時を経て、スミス作品の研究者であり作家でもあるリン・カーターが、本作に登場する魔道書『カルナマゴスの遺言』を、クトゥルフ神話における重要な文献である『エイボンの書』と結びつける設定を加えました。これにより、『カルナマゴスの遺言』が古代の魔術師の墓から『エイボンの書』と共に発見されたとされ、『塵埃を踏み歩くもの』は後付けながらクトゥルフ神話大系の一部として位置づけられることになります。この関連付け以降、物語の中心をなす神性クアキル・ウッタウスと魔道書『カルナマゴスの遺言』は、クトゥルフ神話を題材としたテーブルトークRPGなど、様々な二次創作や関連メディアでも扱われるようになりました。

国内のクトゥルフ神話研究家である東雅夫氏は、その著書『クトゥルー神話事典』において、この作品が「オリジナルの魔道書『カルナマゴスの遺言』と魔物クアキル・ウッタウスの妖異が描かれる」ものであると解説しており、物語の主題が邪悪な神性とそれを巡る禁断の知識にあることを的確に示しています。

あらすじ

物語は、遠い過去に生きた邪悪な賢者カルナマゴスが、クアキル・ウッタウスと呼ばれる特定の神性を召喚するための秘術を、一冊の書物に書き記したという伝説から幕を開けます。この書物こそが、『カルナマゴスの遺言』と呼ばれるものです。

時代は下り、現代パートの主人公であるジョン・シバスチャンは、オカルト研究に没頭する人物です。彼の周囲では最近、常軌を逸した怪現象が頻発していました。身の回りの家具や蔵書、果ては建物そのものまでが、まるで数百年、数千年の時が凝縮されたかのように急速に老朽化し、塵となって崩壊していくのです。シバスチャン自身も、原因不明の疲労感や肉体の衰えを感じ、漠然とした死の恐怖に駆られます。耐えきれなくなった彼は、衝動的に家を飛び出し、三日三晩を外で過ごします。

三日後、ようやく錯乱から立ち直り、一連の出来事は精神的な疲弊による錯覚だったのかもしれないと考えたシバスチャンは帰宅を決意します。家に戻った彼は、まず使用人のティマーズの姿が見当たらないことに気づきます。そして自身の書斎へと足を踏み入れたシバスチャンは、そこで目を疑う光景を目にします。書斎のあらゆる物が、まるで数世紀分の埃が降り積もったかのように厚く覆われているのです。さらに、机の上には、彼が過去に入手し、その危険な内容を知って厳重に保管していたはずの古書『カルナマゴスの遺言』が、不気味にも開かれた状態で置かれていました。シバスチャンは瞬時に全ての状況を理解します。古代ギリシア語を読むことができた使用人ティマーズが、禁断の書物を読み、恐るべき神クアキル・ウッタウスを召喚してしまったのだと。

絶望的な真実を悟ったシバスチャンは、その場から逃げ出そうと試みますが、既に彼の体は、周囲の物と同様に急速な崩壊に見舞われていました。その肉体は見る見るうちに脆くなり、抵抗する間もなく崩れ落ち、一塊の塵埃へと変わってしまいます。そして、その変わり果てた姿の上に、ついにこの世ならぬ存在であるクアキル・ウッタウスが姿を現します。神性は、ジョン・シバスチャンの成れの果てである塵埃の上を、ゆっくりと、しかし確実に足跡を残しながら歩み去っていくのでした。

主な登場人物

ジョン・シバスチャン: 本作の主人公。オカルトの深淵を探求する研究家。
ティマーズ: シバスチャンに長年仕える老齢の使用人。古代言語の読解能力がありました。
カルナマゴス: 遠い昔に生きていたとされる邪悪な賢者。『カルナマゴスの遺言』の記述者とされています。

用語

Quachil Uttaus (クアキル・ウッタウス / クァチル・ウタウス): 物語の中心となる恐ろしい神性。その姿は幼児のミイラに似ていると言われ、最大の能力はあらゆる物質や生物の時間を強制的に進め、急速に老朽化させて塵に変えることです。このおぞましい力ゆえに「塵埃を踏み歩くもの」の異名で呼ばれます。余談ですが、作家ジョセフ・ペイン・ブレナンの作品に登場する神Ka-Rath（カ＝レト / カ＝ラース）は、クアキル・ウッタウスと外見や能力が酷似していると指摘されることがあります。
* カルナマゴスの遺言 / カルナマゴスの誓約: 古代ギリシア語で記されているとされる、クアキル・ウッタウスの召喚法を含む禁断の魔道書。原本は失われたとされていますが、かつて二冊の写本が存在しました。そのうち一冊は異端審問によって焼却処分され、最後の貴重な一冊が主人公シバスチャンの手に渡りました。スミスのゾティークシリーズの一編『クセートゥラ』にも、この書物の名前が登場します。

収録

日本語訳は、東京創元社から刊行されている創元推理文庫『アヴェロワーニュ妖魅浪漫譚』（大瀧啓裕訳）に収められています。

この作品は、スミス独特の退廃的でグロテスクな筆致が光る一編であり、抗いがたい時間の流れと崩壊の恐怖を描き出すことで、読者に深い印象を残します。元々の独立した魅力に加え、後のクトゥルフ神話への組み込みによって、より広く知られることとなりました。

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