富嶽三十六景

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」：富士と芸術の融合

葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、江戸時代後期、天保2年から5年（1831年から1834年）にかけて版行された、全46図からなる木版画の風景画集です。富士山を様々な角度、季節、時間帯から描いたこの作品は、北斎の代表作として広く知られ、日本のみならず世界中の人々を魅了し続けています。

当初は36図のシリーズとして企画されましたが、予想を上回る人気により、さらに10図が追加されることとなりました。追加された10図は「裏富士」と呼ばれ、富士山を背後から捉えた、独特の構図の作品群です。これらの作品は、西村屋与八（永寿堂）から出版されました。

出版と人気:

「冨嶽三十六景」の出版は、当時の版画界に大きな影響を与えました。この作品集の大成功によって、それまで役者絵や美人画が中心であった版画の世界に、風景画が新たなジャンルとして確立されることになったのです。同時期に出版された歌川広重の「東海道五十三次」と競い合うようにして制作されたことも、両者の作品に刺激と競争意識をもたらし、結果として双方の作品の高みへと繋がりました。

版元の工夫と出版順:

「冨嶽三十六景」の各作品は、北斎の落款の違いによって5つのグループに分類できます。落款の違いは、版画の制作時期を示唆しており、それらを分析することで、作品が制作された順番を推測することができます。「北斎改為一筆」が最も早く、「前北斎為一筆」（墨摺）が最も遅いものと推測されています。このうち、最後のグループの10図が「裏富士」にあたります。

画材と技法：ベロ藍の導入

「冨嶽三十六景」の特徴の一つとして、ベロ藍（プルシアンブルー）の使用が挙げられます。ベロ藍は、当時輸入された新しい化学染料であり、鮮やかな青色を表現するために用いられました。特に「裏富士」の10図は、主版に墨摺りを用い、他の作品群は藍摺りを主版に用いており、この違いからも制作時期や画材への意識の変化がうかがえます。天保の改革による奢侈禁止令の影響から、錦絵の色数が制限された背景も、ベロ藍単色摺りの流行に繋がったと考えられます。

影響と源流：河村岷雪『百富士』との関連

「冨嶽三十六景」は、河村岷雪の『百富士』（1767年）からの影響を受けているという指摘があります。『百富士』の構図や全体構成が、「冨嶽三十六景」のいくつかの作品に反映されていると考えられています。例えば、「深川万年橋下」は『百富士　橋下』、「常州牛堀」は『百富士　牛堀常洲』から影響を受けた可能性が指摘されています。また『百富士』の副題が「裏不二」「東海道」など、『三十六景』の画題と共通している点も興味深い点です。

世界への影響：ジャポニスムと現代への継承

19世紀後半、ヨーロッパで起こったジャポニスムの潮流において、「冨嶽三十六景」は大きな影響を与えました。特に「神奈川沖浪裏」は、そのダイナミックな構図と色彩で多くの芸術家に感銘を与え、ヴュイヤールなどの作品にも見ることができます。また、アンリ・リヴィエールは本作に触発され『エッフェル塔三十六景』を描いたという逸話も残っています。

現代においても、「神奈川沖浪裏」は、Googleのロゴや日本のパスポートのデザインなどに採用され、日本を代表する芸術作品として広く認知されています。2024年には、千円札の裏面に「神奈川沖浪裏」が印刷されることも決定しています。

「冨嶽三十六景」は、単なる風景画集としてだけでなく、時代背景や芸術的影響、そして現代社会への継承までを考慮すると、その奥深さを改めて認識させられる、まさに不朽の名作と言えるでしょう。

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