練馬一家5人殺害事件

1983年（昭和58年）6月27日、東京都練馬区大泉学園町で、不動産競売を巡るトラブルに端を発する凄惨な事件が発生しました。不動産鑑定士の男Aが、当時住居を占有していた一家5人を殺害し、さらに犯行隠蔽のために遺体を損壊するという、社会に大きな衝撃を与えた事件です。この事件は、後のバブル期に多発する不動産関連トラブルの先駆けとも評されています。事件を担当した捜査関係者からは、その陰惨な雰囲気や異常性が特筆されましたが、同日に発生した別の著名人の自殺事件の陰に隠れ、一家5人が犠牲になった重大性に比して、一般社会での認知度は必ずしも高くありませんでした。

加害者の背景と犯行に至る経緯

加害者である男A（逮捕当時48歳）は、秋田の資産家一族の出身で、地元の顔役だった父親の強い影響下で育ちました。父親は凶暴な性格で暴力団との関係もあり、幼少期のAは父親に逆らえない環境にありました。大学卒業後、一度は会社員となるも事故で退職。その後、過去の実弟に対する殺人未遂事件で服役するという経験を経ています。出所後は東京で一から出直し、苦労の末に不動産鑑定士の資格を取得。鑑定事務所を設立し、堅実な仕事ぶりで信用を得て生活は安定し、事務所を拡張するまでになりました。

しかし、1982年頃になると、不動産鑑定業務の労苦に対する収入への不安や、病気で入院した妻の苦労を目の当たりにしたことから、まとまった利益を得るための不動産取引を思い立ちます。父からの遺産を元手に、その最初の取引として選んだのが、後に事件現場となる被害者一家の居住する土地家屋でした。この物件は、被害者男性の義父が所有していましたが、経営難から競売にかけられていました。Aは競売でこの物件を落札し、多額の借入金（約1億4500万円）を抱えることになります。融資の返済期限は、転売先との契約に基づく物件引渡期日と同じ1983年6月30日でした。

Aは物件の居住者である被害者一家に対し、立ち退きを求め交渉を開始します。当初は任意での明け渡しを期待していましたが、一家は弁護士を立てて交渉を引き延ばし、Aにとっては不誠実とも取れる態度を取ります。借入金利子の負担（月約100万円）がAを追い詰め、転売契約の履行が危ぶまれる事態となりました。追い詰められたAは、家族に相談することもなく一人で悩みを深め、「なんとしても6月30日までに明け渡しを完了しなければ全財産を失う」という切迫した危機感を抱くようになります。

計画的な犯行準備

追い詰められたAは、話し合いによる解決を断念し、一家を実力で立ち退かせることを決意します。そして、その方法は一家全員を殺害し、遺体を隠匿することで「一家が退去したように偽装する」という極めて残虐なものへとエスカレートしていきました。これにより、物件を無事に転売先に引き渡し、問題を解決できると考えたのです。

犯行を決意したAは、周到な準備を進めます。実行資金を調達し、以下のような様々な道具類を都内各地で買い集めました。

殺害用具：まさかり、玄能
死体解体用具：電動肉挽機、鋸、骨すき包丁、手術用手袋、植木ばさみ
犯行用衣類：スポーツウェア、ジョギングシューズ
運搬・投棄用具：重耐用ビニール、ナップザック、登山用具

また、死体解体や一時的な隠匿場所として、現場から離れた杉並区内にマンションの一室を偽名で借り上げました。遺体を運搬するための自動車も購入し、ペーパードライバーだったため運転練習まで行っています。訴訟を取り下げ、任意交渉に見せかけながらも、内心では犯行の機会をうかがっていました。転売先には立ち退き交渉が順調だと嘘をつき、一方でテレビドラマを参考に遺体損壊による完全犯罪を計画するなど、その準備は詳細に及びましたが、遺体投棄場所の地図を用意していないなど、計画の杜撰さも垣間見えました。

凄惨な犯行と死体損壊

1983年 6月27日朝、Aは妻に交渉に行くと告げて家を出た後、着替えて準備を整え、被害者一家宅へ向かいました。付近を下見し、在宅状況を確認したAは、三女が帰宅したのを見て実行を決意。約15時頃、勝手口から出てきた被害者男性の妻と立ち退きについて話しますが、妻の反応に激高し、用意していた玄能で妻を撲殺します。続いて、泣き叫ぶ1歳の次男も玄能で撲殺。応接間にいた小学校1年生の三女も絞殺しました。一度は哀れみを感じたものの、殺害を決行しています。

3人の遺体を風呂場に運び込み、血液を拭き取るなどの隠蔽工作を行った後、帰宅した小学校3年生の次女を電気掃除機のコードで絞殺しました。さらに夜になって帰宅した被害者男性に対し、約30分間立ち退かないことへの怒りをぶつけた後、みぞおちに当て身を加えて抵抗力を奪い、まさかりで斬殺しました。こうして、留守だった長女を除く一家5人を次々と殺害したAは、遺体から着衣を剥がして洗濯するなど、殺害の痕跡を隠そうとしました。

しかし、遺体の解体作業中に夜になったため、物音による発覚を恐れて解体を翌朝に延期。冷蔵庫の食料を口にしながら、遺体解体の手順を考えつつ朝を待ちました。翌28日早朝、Aは準備しておいた道具類を屋内へ運び込み、凄惨な死体損壊を実行します。被害者男性の遺体をまさかりや鋸、骨すき包丁、植木ばさみなどを用いて切断し、内臓は電動肉挽機でミンチ状にしてトイレに流すなどしました。妻と次男の遺体も一部損壊しています。身元特定を困難にするため、顔や指紋をわからなくすることも計画していました。

事件の発覚と逮捕

事件発覚のきっかけは、被害者男性の妻の母親からの電話でした。連絡が取れないことを不審に思った母親が近隣住民に様子を見に行くよう依頼。訪れた住民が家の中にAがいるのを目撃します。Aは「彼らは引っ越した」と嘘をついて対応しますが、様子がおかしいことを知った親族が石神井警察署に通報。署員が被害者宅を訪れた際、逃走しようとしたAを職務質問したところ、Aは「この家の家族5人を殺した」と自供しました。署員が室内に踏み込むと、風呂場などで切り刻まれ、血まみれになった一家5人の遺体を発見。Aは殺人容疑で緊急逮捕されました。

逮捕後の取り調べに対し、Aは淡々と犯行の様子を供述。「自分の事業が破産するのが怖かった」「すっきりした」と語る一方で、子供を殺害したことへの気が咎める様子や、家族を苦しめたことを問い詰められ涙を流す一幕もありました。捜査本部は事前に準備された凶器などから、計画性の高い犯行とみて捜査を推進。鑑定結果などから、Aの犯行時の精神状態は緊迫していたものの、責任能力を著しく損なうものではないと判断されました。

刑事裁判と死刑の確定

東京地方検察庁は1983年7月19日、Aを殺人罪と死体損壊罪で起訴しました。第一審では、Aは起訴事実を全面的に認め謝罪しましたが、弁護側は犯行時の心神喪失または心神耗弱を主張し、責任能力が争点となりました。精神鑑定が実施され、Aに精神病的な状態は認められず、刑事責任能力は相当程度存在すると判断されます。検察側はAの極めて自己中心的で冷酷残虐な犯行を指弾し、死刑を求刑。弁護側は改めて心神耗弱などを主張し、競売制度の複雑さがAを追い詰めた側面もあったとして情状酌量を求めました。

1985年12月20日、東京地裁は検察の求刑通りAに死刑判決を言い渡しました。判決では、被害者側の落ち度も否定できないとしつつも、それが死をもって償うほどのものではないこと、動機が自己中心的であること、犯行に人間性が全く見られない残忍さがあること、遺族の処罰感情、社会への影響などを重く見て、極刑以外に選択肢はないと結論づけました。A側は控訴しましたが、東京高裁も1990年1月23日に第一審判決を支持し控訴を棄却。Aは上告しましたが、最高裁も1996年11月14日に上告を棄却し、Aの死刑が確定しました。

死刑執行と事件後

死刑囚となったAは東京拘置所に収監されました。死刑廃止団体メンバーとの面会などもあったようですが、後に一切の外部連絡を断ちます。同じ拘置所にいた他の死刑囚からは、凄惨な犯行とは裏腹に物静かで腰の低い人物だったという印象が語られています。しかし、その態度は死刑執行回避のためだったのではないかとも推測されています。再審請求なども行われず、Aは2001年 12月27日に死刑を執行されました（66歳没）。

この事件で一家でただ一人難を逃れたのは、事件当日、林間学校で留守にしていた長女（当時10歳）でした。当初は交通事故と聞かされますが、後に親族から真相を知らされ、深い悲しみと衝撃を受けます。長女は父方の伯父夫婦に引き取られ、転校。全国から激励の手紙が寄せられました。ストレスから白髪になるなどの影響を受けながらも、伯父夫婦の愛情を受けて成長し、後に結婚して家庭を持ちました。

事件現場となった物件は、その後も権利関係を巡る複雑なトラブルが発生し、別の不動産業者による詐欺未遂騒動なども報じられました。この事件は、その異常性と悲劇性から、宮部みゆき氏の小説『理由』や野沢尚氏の小説『深紅』、吉野朔実氏の漫画『記憶の技法』など、多くのフィクション作品の題材や着想源となっています。

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