アドルフ・ブッシュ

ヴァイオリニスト・作曲家 アドルフ・ブッシュ

アドルフ・ブッシュ（Adolf Busch, 1891年8月8日 - 1952年6月9日）は、20世紀を代表するドイツ出身のヴァイオリニストであり、作曲家、室内楽奏者、教育者としても多岐にわたる活動を行った音楽家です。

音楽家への道

1891年、ドイツ帝国ヴェストファーレン地方のジーゲンに生を受けたブッシュは、早くも3歳で工芸家具職人でありながらアマチュアのヴァイオリニストであった父から音楽の手ほどきを受け、6歳で初めて聴衆の前で演奏を披露しました。1902年から1908年にかけてはケルン音楽院で専門的な教育を受け、ヴィリー・ヘスにヴァイオリンを、フリッツ・シュタインバッハに指揮を、ブラム・エルデリングに作曲を学びました。学生時代にはヴァイオリニストよりも作曲家を志向しており、卒業時には自身の作品である『オーケストラのためのセレナード』を指揮したほどです。生涯にわたって、交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタなど約180曲の作品を残しており、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のために自作のカデンツァも作曲しています。

ケルンでの学びを終えた後はボンへ移り、フーゴー・グリュッターに作曲を師事しました。後にブッシュはグリュッターの娘フリーダと結婚しています。また、1907年からは作曲家マックス・レーガーとの緊密な交流が始まりました。レーガーの室内楽作品の普及に尽力し、レーガーのヴァイオリン協奏曲を暗譜で演奏した際には、レーガーから深く認められました。レーガーが1916年に亡くなるまで、ブッシュは彼のヴァイオリン曲や室内楽作品の試演やリサイタルにおいて重要な演奏パートナーを務めました。二人は20歳近い年齢差がありましたが、楽曲解釈については熱い議論を交わすこともあったといいます。

国際的なキャリアの確立

18歳で正規の音楽教育を修了したブッシュは、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏してソリストとしての活動を開始しました。1912年にはウィーン楽友協会管弦楽団のコンサートマスターを5年間務め、同時にソリストや室内楽奏者としても精力的に演奏を行いました。当時「将来有望な新人」として注目され、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターといった著名な指揮者とも共演しています。

同年にはイギリスでのデビューも果たし、その演奏は高く評価されました。「第一級の奏者となる」と称賛され、「スタイルの純粋さとフレージングの際立った美しさは、フリッツ・クライスラーを除けば類を見ない」とまで評されました。1918年には、かつてヨーゼフ・ヨアヒムやアンリ・マルトーが務めたベルリン高等音楽院の主任教授という、音楽界における最高の名誉とされる要職に就任しましたが、先行者たちと同様に、この地で世界的なヴァイオリニストを育成することは難しかったと伝えられています。後の著名なヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインは、ブッシュが後にバーゼルへ移った際の弟子です。

アンサンブル活動の充実

1919年、ブッシュはスイスのバーゼルにて自身の名を冠したブッシュ弦楽四重奏団を結成しました。彼自身が第1ヴァイオリンを務め、カール・ライツ（後にゲスタ・アンドレアソン）、エミール・ボーンケ（後にパウル・ドクトール）、パウル・グリュンマーといった名手たちが初期のメンバーに名を連ねました。この四重奏団は特にベートーヴェンやブラームスの作品解釈で高く評価され、「ドイツの弦楽四重奏団は、ヨアヒム四重奏団からブッシュ四重奏団に至り最高のレベルに達した」と評されるほどでした。日本でも人気が高く、彼らが演奏したブラームスの『ラズモフスキー第1番』の復刻盤は短期間に数千枚を売り上げました。ウィーン・フィルのオットー・シュトラッサーも、ヨアヒム四重奏団やアルノルト・ロゼ四重奏団と並んで、「偉大な弦楽四重奏団」の一つとしてブッシュ四重奏団を挙げています。チェリストのグリュンマーは、ブラームスの二重協奏曲でブッシュとソリストとして共演することもあったものの、1930年に四重奏団を脱退しました。

この頃、ブッシュは音楽事務所ヴォルフ＝ザックスに所属し、精力的に活動を展開しました。1922年にはピアニストのルドルフ・ゼルキンと出会い、優れたデュオを結成します。さらに、ブッシュの弟でチェロ奏者のヘルマン・ブッシュも加わり、トリオとしても活動し、高い評価を得ました。ゼルキンは後にブッシュの娘イレーネと結婚し、家族ぐるみでの音楽活動が展開されました。

ナチズムとの確執と亡命

ブッシュは1927年にバーゼルへ移り住み、教育活動にも力を入れ、ユーディ・メニューインらを指導しました。また、1931年にはアルトゥーロ・トスカニーニ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックとの共演でアメリカデビューを果たし、成功を収めました。ブッシュはトスカニーニを深く尊敬しており、1920年にミラノで彼の妥協なきリハーサルに立ち会ったことで、自身の練習量を増やしたと伝えられています。トスカニーニもブッシュの演奏に感銘を受け、ニューヨーク・フィルの海外ツアーにソリストとして招いたほか、バッハの解釈についてブッシュに教えを請うたといいます。

国際的に活躍する中で、1933年にドイツで権力を握ったナチスは、非ユダヤ人でありながら世界的な人気を誇っていたブッシュに対し、ドイツへの帰還を強く求めました。しかし、ナチスの政策に強く反発していたブッシュは、度重なる招請を全て拒否し、第二次世界大戦後までドイツでの演奏活動を一切行いませんでした。

室内管弦楽団と慈善活動

1935年にはフィレンツェ五月音楽祭のために、イギリスでブッシュ室内管弦楽団を組織し、バッハの『ブランデンブルク協奏曲』などを演奏しました。このアンサンブルには、ブッシュ弦楽四重奏団のメンバーに加え、娘でヴァイオリン奏者のイレーネ、娘婿でピアニストのルドルフ・ゼルキン、弟でチェリストのヘルマン・ブッシュ、そしてマルセル・モイーズ（フルート）、イヴリン・ロスウェル（オーボエ）、オーブリー・ブレイン（ホルン）といった当時を代表する著名な音楽家たちが多数参加しました。この室内管弦楽団はその後も活動を続け、ブッシュがアメリカに渡ってからは、ヘルマン・ブッシュやルドルフ・ゼルキンらの協力を得て、より大きな編成へと発展しました。このブッシュ室内管弦楽団が、後のマールボロ音楽祭管弦楽団へと繋がっていきます。

同時期には、弟ヘルマン、娘婿ゼルキンと共にトリオを結成し、質の高い室内楽を披露しました。また、1939年にはヤッシャ・ハイフェッツら著名な音楽家たちとともに、チャタム・スクエア音楽学校のための慈善事業として「子どもたちのオーケストラ」を結成し、トスカニーニの指揮のもとで演奏会を行うなど、社会貢献活動にも熱心でした。

渡米と晩年

ナチスの台頭によってドイツでの活動の場を失ったブッシュは、1940年にアメリカ合衆国へ渡りました。アメリカでもブッシュ弦楽四重奏団としての活動を継続し、ルドルフ・ゼルキンとのデュオも高い評価を得ました。また、編成を変えながらもブッシュ室内管弦楽団としての活動も続け、バッハやモーツァルトなどの作品演奏でその芸術性を発揮しました。

1952年6月9日、バーモント州ギルフォードにて死去しました。

レパートリーとレコーディング

ブッシュの主要なレパートリーは、ベートーヴェン、ブラームス、バッハ、モーツァルトといったドイツ系・オーストリア系の作曲家の作品に集中していました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は生涯で203回、ブラームスのヴァイオリン協奏曲は144回、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番は70回、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番は58回演奏した記録が残っています。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータには深い洞察を持ち、1919年と1931年にはその注釈版を出版しています。1930年代以降は積極的にレコーディングを行い、得意とするドイツ系作品を中心に録音を残しました。イタリア作品など、他の国の作品は自身が編曲したアンコールピース程度にとどまります。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番、管弦楽組曲、シューベルトの『大幻想曲』全曲は、彼による世界初録音として歴史に刻まれています。

家族と音楽

ブッシュは音楽家の家系に生まれ育ち、自身も音楽一家を築きました。父はアマチュアながらヴァイオリンを弾き、オーケストラを組織していました。8人兄弟の多くが芸術分野に進み、兄のフリッツ・ブッシュは著名な指揮者として、弟のヘルマン・ブッシュは優れたチェロ奏者として活躍し、妹の一人は俳優となりました。アドルフ自身も、娘のイレーネをヴァイオリン奏者とし、その娘婿ルドルフ・ゼルキンも世界的なピアニストとなるなど、家族と共に音楽活動を行う機会に恵まれました。

評価と後世への影響

ヴァイオリニストとして、ブッシュはヨーゼフ・ヨアヒムから続く古典的なドイツ楽派の伝統を受け継ぐ存在と評されています。ナタン・ミルスタインは「パガニーニの奇想曲を輝かしく演奏する一方で、ベートーヴェンの協奏曲を深く表現できる優れたヴァイオリニストだった」と語っています。ルドルフ・ゼルキンとのデュオも伝説的な評価を得ています。晩年には心臓疾患の影響もあり、演奏技術に以前のような輝きが見られなくなったことを指摘する声もありましたが（ゲオルグ・ショルティは「盛りを過ぎた」と評し、ミルスタインも言及しています）、技術的な衰えがあってもなお、「聴衆一人ひとりと非常に個人的な触れ合いを生む」芸術性を持っていたと評されています。ピアニストのクラウディオ・アラウは、アメリカに移住したことで正当な評価を得られなかった才能の一人としてブッシュの名を挙げています。

ブッシュ弦楽四重奏団は、ドイツの四重奏の歴史における頂点の一つと見なされており、その解釈は今日でも高く評価されています。ブッシュ室内管弦楽団のバッハ演奏も重要であり、後世の演奏家にも影響を与えました。

教育者としても、ユーディ・メニューイン（ヴァイオリン）やヤッシャ・ホーレンシュタイン（指揮）らがブッシュに師事しています。カルロ・マリア・ジュリーニも若い頃にオーケストラ団員としてブッシュと共演しており、その経験が自身の音楽に影響を与えたと語っています。このように、アドルフ・ブッシュは、自身の演奏、作曲、そして教育活動を通じて、20世紀の音楽史に確かな足跡を残しました。

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