オ・ラパン・アジル

パリ、モンマルトルの伝説的なキャバレー「オ・ラパン・アジル」

パリ18区、モンマルトルの丘にひっそりと佇む「オ・ラパン・アジル」。その小さな扉の向こうには、19世紀から現代に至るまで、芸術家たちの魂が息づく空間が広がっています。ここは単なるキャバレーではなく、画家、詩人、音楽家たちが集い、創造性を刺激し合う、特別な場所なのです。

変遷

「オ・ラパン・アジル」の歴史は、1795年にモンロワ夫妻がこの土地を購入したことに始まります。当初は普通の家でしたが、やがて居酒屋へと姿を変え、19世紀中頃にはキャバレーとして知られるようになりました。1875年から1880年頃には、風刺画家アンドレ・ジルが描いた看板が評判を呼び、「ラパン・アジル（足の速いウサギ）」という愛称で親しまれるようになります。

1903年、フレデリック・ジェラール、通称「フレデ爺さん」が経営者となると、パブロ・ピカソ、マックス・ジャコブ、ジョルジュ・ブラックといったモンマルトルのボヘミアンたちが集まるようになります。特にモーリス・ユトリロは、この店の風景を何度も描きました。現在も店内の壁は、彼らの作品で埋め尽くされています。

1913年には取り壊しの危機に瀕しましたが、キャバレー「ル・シャ・ノワール」の歌手アリスティード・ブリュアンが買い取り、その後フレデ爺さんの息子ポールに譲渡されました。ブレーズ・サンドラール、アンドレ・サルモンなどの作家、リナ・ケティ、レオ・フェレ、ジョルジュ・ブラッサンス、エディット・ピアフなどの歌手もここを舞台に活躍しました。

「オ・ラパン・アジル」とは

「オ・ラパン・アジル」は、フランス語ではキャバレーに分類されますが、ショー中心の華やかなキャバレーではありません。日本語の「シャンソニエ」に近い存在ですが、食事は提供せず、アルコールと音楽を楽しむ場所です。パリの日本語新聞では、「かつて日本にあった歌声喫茶を思い出す」と紹介されています。

宿屋からキャバレーへ

18世紀末、パリ市への入市税を避けるため、モンマルトルには多くの酒場が集まりました。「オ・ラパン・アジル」もその一つとして誕生しました。1860年にモンマルトルがパリに併合されると、キャバレーが次々とオープンし、この店もボヘミアンや社会の周辺に生きる人々が集まる場所となりました。

「殺し屋のキャバレー」

かつて「オ・ラパン・アジル」は「盗人のたまり場」と呼ばれ、殺人犯の版画が飾られていたため、「殺し屋のキャバレー」とも呼ばれました。デビューしたクロード・ヌガロは、「ここでは死ねない」と語ったそうです。

ジルのウサギ

1875年から1880年頃、風刺画家アンドレ・ジルが描いた看板のウサギの絵は評判となり、キャバレー自体が「ラパン・アジル」と呼ばれるようになりました。

フレデ爺さんと芸術家たち

1903年、フレデ爺さんが経営者になると、ピカソなどの芸術家たちが集まるようになりました。フレデ爺さんは、ロバやサルなどの動物を飼っており、店は「ノアの方舟」のようだったと言われています。

店内では、詩を朗唱したり、酔って寝てしまったり、芸術論を戦わせたりと、様々な人々が混じり合っていました。しかし、暴力事件も起こり、フレデ爺さんの息子が店内で銃撃により亡くなるという悲劇もありました。

画家ロロ

1910年、作家ロラン・ドルジュレスは、フレデ爺さんのロバ「ロロ」に絵を描かせるといういたずらをしました。ロロの尻尾に絵具をつけて描かれた絵はアンデパンダン展に出展され、評判を呼びました。

取り壊しの危機とブリュアンの救済

1913年、取り壊しの危機に瀕した「オ・ラパン・アジル」を救ったのは、アリスティード・ブリュアンでした。ブリュアンは店を買い取り、その後、フレデ爺さんの息子ポールに譲渡しました。第一次世界大戦後、ボヘミアンたちはモンパルナスに移り住みましたが、この店は生き残りました。

新たな時代

ポールが経営者になると、夜の音楽会が中心となりました。リナ・ケティが歌い、チャールズ・チャップリンがここで聞いた曲を映画に使用したエピソードもあります。1938年、ポールは歌手イヴォンヌ・ダルルと結婚。1972年にはイヴォンヌの息子イヴ・マチューが店を受け継ぎ、現在も店主として店を盛り上げています。

「オ・ラパン・アジル」に出演した主な音楽家

リナ・ケティ、イヴォンヌ・ダルル、レオ・フェレ、ジョルジュ・ブラッサンス、エディット・ピアフなど、多くの著名な音楽家たちがこの店で演奏しました。セルジュ・ゲンスブールやシャルル・アズナブールも常連客でした。

現在の店の雰囲気

赤いランプシェードが灯る薄暗い店内は、古き良き時代の雰囲気を漂わせています。巨匠たちの作品が飾られた壁、ノスタルジックなピアノの旋律、そして、歌手たちが語りかけるように歌い始めるシャンソン。言葉が分からなくても、その場の雰囲気を楽しむことができるでしょう。


「オ・ラパン・アジル」は、パリの歴史と芸術が交差する、特別な場所です。モンマルトルを訪れる際には、ぜひこの伝説的なキャバレーに足を運んでみてください。

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