ガイウス・ウァレリウス・フラックス

ガイウス・ウァレリウス・フラックス（Gaius Valerius Flaccus）は、紀元1世紀後半、ローマ帝国の白銀期として知られるウェスパシアヌス帝およびティトゥス帝の治世下で文筆活動を行った詩人です。彼の名は、ギリシアの詩人ロドスのアポローニオスが著した同名の作品を下敷きとして、壮大なラテン語叙事詩『アルゴナウティカ』を書き上げたことで後世に伝わっています。しかし、その生涯については多くの謎に包まれており、正確な没年も判明していません。おおよそ紀元90年頃に亡くなったと推測されています。

生涯に関する諸説

フラックスの個人的な生涯については、古代の記録が極めて少ないため、確かなことはあまり分かっていません。詩人マルクス・ウァレリウス・マルティアリスの作品に、彼の詩人仲間を示唆する記述がある（1.61.76）ものの、これがフラックスを指すという確たる根拠はありません。出身地についても諸説あり、パドヴァ出身だという説がある一方で、バチカン図書館所蔵の写本にある追記された署名から、ラティウム地方のセティア（Setia）出身とする指摘も存在します。経済状況に関しても、かつては貧しかったと言われることがありますが、彼が『シビュラの書』を管理する重要な役職であるQuindecemviri sacris faciundis（十五人委員会）の一員であったことから（1.5）、元々は裕福な家柄であった可能性が高いと考えられます。古代の著述家の中で、フラックスについて言及しているのは、修辞学者クインティリアヌス（10.1.90）のみです。クインティリアヌスは、彼の「最近の死」をローマ文学界にとって大きな損失であると惜しんでおり、この記述から、フラックスの没年はクインティリアヌスの著書が完成した紀元90年よりも後ではないだろうと推測されています。

主要作品『アルゴナウティカ』

フラックスの作品で現在まで伝わるのは、叙事詩『アルゴナウティカ』のみです。この作品は、後の皇帝となるティトゥスの父、ウェスパシアヌス帝がブリタンニア（当時のローマ属州ブリタニア）へ遠征に出発する際に献呈されたとされています。作品の執筆は、ティトゥスがエルサレムを包囲し（紀元70年）、一時占領した期間に行われたと考えられています。また、紀元79年のヴェスヴィオ火山噴火を示唆する箇所への言及も見られることから、この叙事詩の創作には相当な期間を要して書き進められたものと考えられます。

『アルゴナウティカ』は、ギリシア神話に登場する英雄イアソンが、アルゴ船に乗って金羊毛を求め、コルキスへと冒険の旅に出る物語を描いた壮大な叙事詩です。伝統的な詩の形式であるダクテュロス・ヘクサメトロスで綴られています。元々は全8巻、あるいは10巻や12巻構成であったと推測されています（12巻であれば、ウェルギリウスの『アエネイス』という重要な叙事詩のモデルと巻数が一致します）。しかし、今日に伝わる本文は、元の形から大きく損なわれた不完全な状態であり、物語はコルキスからの帰還航海にメデイアが同行を願う場面で突然途絶えています。そのため、現代の研究者の多くは、この作品は未完であると見なしています。

フラックスの『アルゴナウティカ』は、その題材や構成において、先行するギリシアの詩人ロドスのアポローニオスの同名作品を深く意識しています。両作品の比較からは、単なる翻訳ではなく、自由な模倣や翻案も含まれていることが分かります。興味深いことに、フラックスの作品以前にも、ウァロ・アタキヌスによるアポロニーオスのラテン語翻訳版が既に知られ、一定の人気を博していました。

フラックスの作品が意図するところは、単なる神話の物語化にとどまりません。ブリタンニアへの遠征という時事的な出来事に合わせて、ウェスパシアヌス帝の業績、特にローマが航海によって海外に勢力を広げたことを、アルゴ船が未知の海路を切り開いたという神話上の出来事になぞらえ、これを讃える目的があったと考えられています。

作品に対する評価

フラックスの叙事詩『アルゴナウティカ』に対する評価は、時代や批評家によって様々です。1911年の『ブリタニカ百科事典第11版』には、当時の一般的な見解として、以下のような記述が見られます。

フラックスの才能については、時代によって評価が分かれている。登場人物の扱い方や、物語に息吹を与える描写力において、原典であるロドスのアポローニオスを上回るとする意見も存在する。彼の言葉遣いは洗練されており、文体は整然とし、詩句はやや単調ながらも流麗さを備えている。

しかしながら、その独創性の欠如を指摘されることも多い。大きな瑕疵は見られないものの、人工的な技巧や凝りすぎた表現が、かえって読者を退屈させるという批判もある。叙事詩の模範としたのはウェルギリウスのようだが、詩情や深い洞察力においては彼に遠く及ばないとされる。過剰な知識の誇示や修辞的な技巧、表面的な装飾が読解を妨げ、おそらく古代においても、あまり人気を得られなかったのではないかと推測されている。

このように、フラックスの作品は技巧や描写力において一定の評価を得ながらも、独創性の欠如や技巧の過剰さが指摘されるなど、複雑な評価を受けています。未完に終わった可能性が高い作品と、記録の少ない生涯を持つフラックスは、ローマ白銀期の文学を考える上で興味深い存在と言えるでしょう。

もう一度検索