キッチュ

キッチュとは何か

キッチュ（Kitsch）とは、ドイツ語に由来する言葉で、「俗悪なもの」「いんちきなもの」「安っぽいもの」「お涙頂戴式の通俗的なもの」といった意味を持ちます。文化批評の分野で用いられ、本来の目的とは異なる使い方をされたり、常識を打ち破るようなデザインのものを指すことがあります。1970年代頃からファッション、インテリア、広告など幅広い分野で注目されるようになりました。英語でも同じ綴りで使われています。

キッチュの語源と意味の変遷

キッチュという言葉は、1860年代のドイツで使われ始めた方言「kitschen（塗りたくる、かき集める）」が形容詞化したものです。当初はブルジョワの間で大衆文化が成立する中で、「通俗的」という意味で使われ、感傷的で通俗的な小説や、20世紀にはハリウッド映画や大衆音楽なども「キッチュ」とみなされていました。

しかし、ヴァルター・ベンヤミンやヘルマン・ブロッホがキッチュについて論じる中で、肯定的な意味合いを持つ側面も指摘されるようになりました。日本では1970年代前半に漫画評論家の石子順造が、風呂屋のペンキ絵のような俗悪なものを評価したことをきっかけに、キッチュに対する見方が変化しました。1980年代後半には松葉一清がキッチュを再評価し、現代思想の流行の中で広く知られるようになりました。このように、キッチュは当初の「通俗的、中産階級的」という意味から、アングラ的俗悪美を指す言葉へと変化していきました。

グリーンバーグによるキッチュの定義

美術用語としての「キッチュ」を定義したのは、クレメント・グリーンバーグです。1939年の論文「アヴァンギャルドとキッチュ」で、芸術をアヴァンギャルド（前衛）とキッチュ（後衛）に二分化しました。グリーンバーグは、アヴァンギャルドを文化の推進者とする一方で、キッチュを見せかけに過ぎないと酷評しました。しかし、20世紀以降、大衆文化の評価が高まるにつれて、グリーンバーグの二元論に対する批判も多くなっています。

キッチュの再評価

キッチュは、芸術作品に限らず、複製技術の発達した近代・現代の大量生産された工芸品などにも見られます。例えば、サルバドール・ダリのいくつかの作品や、VOWのような企画で紹介されるものがキッチュと呼べるでしょう。

キッチュは「陳腐である」と表現されることもありますが、単に陳腐なだけではキッチュとは言えません。あまりにも陳腐であるゆえに、周囲の注目を集め、独特の存在感を呈するものだけがキッチュとなりえます。

キッチュの特徴は、見たことのない異様なもの、「意外な組み合わせ」「ありえない組み合わせ」であること、または異文化に属するものや、時代を隔てたものであることです。日常的なもの、普通すぎるものは、新鮮味に欠け、注意を引かないため、キッチュとは言えません。キッチュは時間的な隔たりという点では、レトロや懐古趣味と関連することがあります。

キッチュは、世界各地の伝統的・近代的な民芸品、人形、仮面、像、幼児の玩具などに見られます。具体例としては、マトリョーシカ、祭りの出店の面、庭に置かれるノームの人形、多神教の図像などがあります。赤、緑、青、黄、ピンク、金、銀などの派手な色が特徴となることもあります。

動物同士、動物と人間の組み合わせ、「怪物」もキッチュを呈することがあります。しかし、キマイラ、ケンタウロス、ミノタウロス、人魚のような神話上の怪物はよく知られているため、意外さを感じさせません。キッチュが見られるのは、異国の古代や中世の図版に現れる、名もなき怪物などです。

キッチュは、単にグロテスクであったり、不細工であるだけでは成立しません。ヒエロニムス・ボッシュの絵画や東アジアの地獄絵のように、過剰な表現や意外な組み合わせから一種の滑稽さが現れることがありますが、それは必ずしも制作者の意図とは限りません。キッチュは、最終的には「見る者」が感じる美的価値です。したがって、キッチュは表現者の意図的な表現手法である場合もあれば、「意図しないキッチュ」や「見方としてのキッチュ」も存在します。

キッチュの例

サルバドール・ダリの絵画
風呂屋のペンキ絵
マトリョーシカ
祭りの出店の面
庭に置かれるノームの人形
多神教の図像
VOWのような企画で紹介されるもの

関連文献

石子順造,上杉義隆,松岡正剛編『キッチュまがいものの時代』ダイヤモンド社 1971
石子順造『キッチュの聖と俗続・日本的庶民の美意識』太平出版社 1974
アブラアム・モル『キッチュの心理学』万沢正美訳法政大学出版局叢書・ウニベルシタス 1986
谷川晃一『がらくた桃源境がらくた・キッチュ・フォークアート東西南北縦横無尽』勁草書房 1988
松葉一清『東京発・都市の現在文化はキッチュをめざす』駸々堂出版 1988
サユル・フリードレンダー『ナチズムの美学キッチュと死についての考察』田中正人訳社会思想社 1990
ピーター・ワード『キッチュ・シンクロニシティ 20世紀消費社会における悪趣味文化の変遷』毛利嘉孝訳アスペクト 1998
唐沢俊一『唐沢俊一のキッチュの花園』メディアワークス 2001
唐沢俊一『キッチュワールド案内』早川書房 2002
『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄編訳勁草書房 2005

関連項目

バッドアート美術館
キャンプ (様式)
オカンアート
* 松尾貴史 - 旧芸名・愛称として使用。

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