スイスの宗教改革
スイスにおける宗教改革は、ドイツのマルティン・ルターによる動きとほぼ時を同じくして、フルドリッヒ・ツヴィングリによって開始されました。ツヴィングリの改革は途中で彼の戦死によって中断されましたが、後にジュネーヴにジャン・カルヴァンが登場し、より体系的で厳格な改革が進められました。当初、カルヴァン主義は非常に峻厳で妥協を許さないものでしたが、各国で政治権力からの迫害を受ける中で「寛容」の理念を主張するようになり、近代における政教分離の思想へと繋がっていきます。
スイスは12世紀末頃まで神聖ローマ帝国の辺境地帯でしたが、13世紀初頭に南北を貫く重要な街道が開通したことで交通の要衝へと変化しました。このため、周辺地域への勢力拡大を目指すハプスブルク家と、戦略的な価値を重視する皇帝の争奪の的となりました。1231年、皇帝フリードリヒ2世の代理を務めていたハインリヒは、ウーリ地方に証書を与え、この地を皇帝直属としました。帝国直属の地位は帝国都市と同等であり、他の領主の影響を受けないことから「帝国自由」と呼ばれ、後の国家形成に繋がる自治を可能にしました。
1239年には、シュヴィーツ地方も同様に帝国直属の地位を獲得します。やがてウーリ州が自治権を確立し、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州と1291年に「永久盟約」を結びました。これは、域内での私闘（フェーデ）を制限・禁止することを目的としたものです。スイスの国民意識が高まった15世紀中頃には、伝説的な英雄ヴィルヘルム・テルの物語が広まり始めました。1314年冬、放牧地を巡る争いを発端にシュヴィーツがアインジーデルン修道院を襲撃したことに対し、ハプスブルク家のフリードリヒ美王は1315年11月に大軍を率いて侵攻しますが、モルガルテン山からの奇襲攻撃により敗退しました（モルガルテンの戦い）。1499年には、皇帝マクシミリアン1世が旧領回復を目指して仕掛けた戦争（シュヴァーベン戦争）を盟約者団が撃退し、これによりスイスは事実上神聖ローマ帝国から独立を果たしました。1513年にはアペンツェルが同盟に加わり、今日のスイス連邦の基礎となる13州による同盟体制（十三邦同盟）が確立され、この体制は1798年まで維持されました。
ヨーロッパ有数の軍事力を持つに至ったスイスは、イタリア戦争にも介入します。1513年のノヴァーラの戦いではフランス軍に大勝し、ミラノを中心とするロンバルディア地方での覇権を確立したかに見えました。しかし、1515年にフランスでフランソワ1世が即位すると、同年マリニャーノの戦いで盟約者団はこの新王に敗れ、南方への勢力拡大の夢は潰えることとなりました。
チューリッヒの教区説教者だったフルドリッヒ・ツヴィングリは、説教において伝統的なラテン語聖書（ヴルガタ）ではなく、エラスムスの校訂によるギリシア語新約聖書を使用しました。旧来のカトリック的信仰を支持する人々との間に次第に溝が生じ、ドイツの広大な領邦とは異なり、自治権を持つ州（カントン、当時は「邦」とも呼ばれた）という狭小な地域共同体内部での対立は急速に激化しました。
1522年3月、四旬節の断食期間中にもかかわらず、ツヴィングリの支持者たちが集まってソーセージを食べ、「聖書のみ」という考えを実践しました。さらにツヴィングリが「食物の選択と自由」に関する説教を行うと、チューリッヒ市参事会がこれを支持し、チューリッヒはツヴィングリの福音主義改革の拠点となります。ツヴィングリはコンスタンツ司教に宛てた書簡で「聖書のみ」を規範とすべきことを明確に主張しました。ツヴィングリ派とカトリック派の対立が激化したため、チューリッヒ市参事会は1523年1月に公開討論を開催します。ツヴィングリは『67カ条の提題』の中で「聖書のみ」の原則を改めて表明し、聖書に根拠がない教皇制度、祝祭日、修道制、独身制、煉獄などを批判しました。同時に、教会の監督は信徒の集まりが行うべきだとし、市参事会による宗教の管理を事実上正当化しました。さらに社会倫理に関する説教を通じて、その後のチューリッヒにおける改革が、都市共同体という政治秩序の積極的な関与のもとで行われる枠組みを確立しました。1524年6月には市内の聖像画や聖遺物、ステンドグラスが撤去され、12月にはすべての修道院が閉鎖されてその資産は州に接収されました。そして1525年3月からはミサが完全に廃止され、福音主義の聖晩餐に置き換えられました。同年6月には福音主義の司祭育成のため、カロリーヌムが開設されました。
しかし、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンなどの保守的なカントンは、チューリッヒに旧来の信仰への復帰を求め、チューリッヒを異端として同盟からの追放を宣言しました。これに対し、1528年1月には有力なベルンが福音主義に転じ、1529年2月にはバーゼルでも民衆蜂起により福音主義が勝利しました。同盟外では、ザンクト・ガレンやコンスタンツでも福音主義の影響力が増し、福音主義のカントンと同盟を結びました。これを見たカトリック派のカントンも、宿敵であるハプスブルク家を巻き込んで軍事同盟を結成し、1529年6月、両派はカッペルの野で対峙しました（第一次カッペル戦争）。戦いが避けられない状況でしたが、両者は歩み寄り、「現状維持」を約束する和睦が成立しました（第一次カッペル和議）。これにより、福音主義に転向したカントンはその信仰を認められましたが、カトリックのカントンへの布教は許されず、その逆も同様とされました。ここに信仰の「属地主義」、すなわち「その地を支配する者の宗教が、その地の宗教となる（Cujus regio, ejus religio）」という原則が認められ、スイスは他のヨーロッパ諸国に先駆けて改革派とカトリックが共存する地域となりました。
ツヴィングリは現状維持に満足せず、福音主義の宣教を軍事的手段によっても実現すべきだと考えるようになります。一方、ドイツのルター派は皇帝からの圧迫を受けており、同盟相手を必要としていました。この利害の一致から、1529年10月、ヘッセン方伯フィリップの仲介により、マールブルク城でルターとツヴィングリの会談（マールブルク会）が開かれました。軍事同盟と教義の一致が議論されましたが、多くの点で一致が見られたにもかかわらず、最終的には聖餐論を巡って激しく対立し、合意に至りませんでした。ルターは聖体拝領のパンと葡萄酒の中にキリストが実在するという「両体共存説」を主張しましたが、ツヴィングリはパンと葡萄酒は単なる象徴であると考えていたためです。
ツヴィングリはその後もカトリック諸州の軍事的制圧を強く主張しましたが、ベルンをはじめとする同盟諸邦の同意を得られず、ベルンの提案に従ってカトリック諸州に対する経済封鎖が実施されるに留まりました。この経済封鎖によりカトリック諸州はたちまち困窮し、軍事力に訴えることを余儀なくされます。1531年10月4日、カトリック諸州は再びカッペルに進軍し（第二次カッペル戦争）、ツヴィングリは自らチューリッヒ市民軍を率いて迎え撃ちましたが、数に劣る市民軍は敗れ、混戦の中でツヴィングリは戦死しました。しかし、その後福音主義派は反撃し、第一次カッペル和議をほぼ踏襲した第二次カッペル和議が締結され、スイスにおける宗教の属地主義が改めて確認されました。スイスにおける福音主義の運動は、ツヴィングリの後継者ブリンガーに引き継がれ、カルヴァンの登場を待つことになります。
ツヴィングリはルターやカルヴァンと並び、宗教改革において重要な役割を果たしました。ツヴィングリの思想にはルターとの共通点が多く見られるものの、ルターとは異なり人文主義やスコラ学からの影響が顕著であり、ルターの亜流とは言えません。特にアウグスト・フランツェンによれば、ツヴィングリがルターの影響を受けたのは1519年のライプツィヒ討論以降の限定的なものであり、1522年まではエラスムスの影響が強いとされています。北ドイツの宗教改革と比較して、スイスの改革には人文主義の強い影響が認められます。
ツヴィングリの福音主義思想で、ルターと明確に異なる点はその実践的な性格です。ルターが個人的な深い宗教的探求からカトリックを批判したのに対し、ツヴィングリは生活上の習慣や社会通念における誤った宗教理解を批判するという、より実践的な観点から改革を進めました。聖書に根拠のない聖人崇拝、修道制、独身制などは廃止されるべきであり、生活全般が聖書のみによって規定されるべきだと考えました。そして、宗教を含む生活の監督は、教会ではなく住民の自治組織（信徒の集まり）によって行われるべきだとし、このような自治組織の権威は神に由来し、聖書の解釈を行う権威さえも持つと考えました。ツヴィングリの晩年には、彼の信仰告白を受け入れる都市はスイスやドイツ南部に広がっていましたが、彼の死後、それらの多くはカルヴィニズムへと吸収されていきました。
1536年、ジュネーヴに滞在していたカルヴァンは、福音主義改革を進めようとしていたヴィルヘルム・ファレルから支援を懇請され、これに応じました。この年の5月、ベルンの支援を受けてジュネーヴは福音主義への転換を決定しましたが、改革は始まったばかりで方針も定まっていませんでした。1537年1月、カルヴァンらの牧師団は市参事会に教会改革案を提出します。新しい「信仰告白」を含むカテキズムがすぐに刊行され、市民はこれに対する宣誓を求められました。しかし、カルヴァンらがこの「信仰告白」の遵守を厳しく監督したことから、市民の間に改革への反発が生じました。また、市参事会は当初から、カルヴァンらの主張の中に教会権力を世俗の権力から独立させようとする意図があることに気づいていました。1538年4月、新しい市参事会が発足すると、カルヴァンとファレルは追放され、カルヴァンはマルティン・ブツァーの勧めによりストラスブールのフランス人難民教会の説教師を務めることになります。この間、1539年にカルヴァンはビューレンのイデレッテと結婚しました。ジュネーヴで再び福音主義派が勢いを盛り返すと、カルヴァンは再招聘され、1541年9月13日にジュネーヴへと帰還しました。帰任後間もなく、9月20日には「教会規定」を立法化し、牧師、教師、長老、執事という四つの職を定め、「神権政治」と呼ばれる体制を開始しました。牧師と教師は説教などを通じて信徒を導く役割を担い、聖書解釈に関する問題などを定期的に審議しました。長老は牧師、教師と共に監督院を組織し、市内の各家庭に自由に立ち入る権限を持ち、市民生活全般を監督しました。執事は教会の施設の管理や貧困者の救援を担当しました。
「神権政治」開始後の最初の5年間で、56件の死刑判決と78件の追放が行われるなど、反対派は徹底的に抑圧されました。1559年には神学大学が設立され、プロテスタント系の神学大学としてはすぐにヴィッテンベルク大学を凌ぐほどの勢いとなりました。カルヴァンの死後、1566年にはツヴィングリ派との合同が実現し、スイスの改革派は統一され、その勢力を強めました。ツヴィングリ派から分かれて発展した再洗礼派は、その信仰を共有する者のみで共同体を形成しようとし、農村部では自治運動と結びつくこともありました。カルヴァン主義はやがてフランスに広まって組織化され、ユグノー戦争を引き起こし、スコットランドでは1560年に国教会の地位を獲得するなど、国際的に大きな影響を与えました。
1600年頃には、カトリックとプロテスタントそれぞれのカントンのみによる分離会議が開かれる状況でした。しかし、この対立の中でも、民衆に愛された演劇などを通じて、スイス人としての自由と協調に基づいた国民意識が存在していたことがうかがえます。彼らにとって、ヴィルヘルム・テルやニコラウス・フォン・フリューエは、変わらず「古き良き盟約者団」の象徴であり、国民的英雄であり続けました。
カルヴァンの政治思想には二つの主要な点があります。一つは教会を世俗の権力から独立させること、もう一つは世俗権力が教会の目的に奉仕するように導くことです。彼は教権と俗権という「二本の剣」は切り離せない関係にあるが、明確に区別されるべきだと述べました。
カルヴァンはアウグスティヌスの考えを踏襲し、教会を神によって定められた独自の権威を持つものと考えました。彼はこの世には「見える教会」と「見えない教会」があるとし、「見えない教会」は真の信徒によって構成される精神的な共同体であり、時間と空間の制約を受けないとしました。一方、「見える教会」は信徒が集まり、礼拝や説教が行われる場所であり、この教会には必ずしも完全な信仰を持つ者ばかりではないため、全ての構成員を完全な信仰へと導くために規律が必要であり、内部に政治が必要であるとしました。このため、教会の指導者たちは道徳を含む世俗的な問題についても判断を下すことができると考えられました。
他方、世俗権力である国家は、真の宗教、すなわち正しい信仰を広めるための機関であると位置づけました。既存国家の中には必ずしも完全な信仰と一致しない場合もあるが、そのような国家権力に対して反抗することは絶対に許されないと主張しました。もし抵抗を認めれば無秩序に陥る恐れがあること、また、そもそも誤った状態は神の力によって長く続くことはないと考えられるからです。しかし、カルヴァンは、理不尽な権力者に対しては殺害も許されるとしたユグノー派のモナルコマキ（暴君放伐論）の政治理論の先駆けとも評されています。
スイスにおける宗教改革は、その独自の歴史的・政治的文脈の中で展開され、単なる信仰上の改革に留まらず、国家の枠組みや社会構造、そして後のヨーロッパ思想にも大きな影響を与えました。プロテスタントとカトリックの共存を比較的早期に実現したこと、そして都市共同体や州（カントン）といった自治組織が改革の主体となった点は、スイスの宗教改革の際立った特徴と言えるでしょう。
スイスは12世紀末頃まで神聖ローマ帝国の辺境地帯でしたが、13世紀初頭に南北を貫く重要な街道が開通したことで交通の要衝へと変化しました。このため、周辺地域への勢力拡大を目指すハプスブルク家と、戦略的な価値を重視する皇帝の争奪の的となりました。1231年、皇帝フリードリヒ2世の代理を務めていたハインリヒは、ウーリ地方に証書を与え、この地を皇帝直属としました。帝国直属の地位は帝国都市と同等であり、他の領主の影響を受けないことから「帝国自由」と呼ばれ、後の国家形成に繋がる自治を可能にしました。
1239年には、シュヴィーツ地方も同様に帝国直属の地位を獲得します。やがてウーリ州が自治権を確立し、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州と1291年に「永久盟約」を結びました。これは、域内での私闘（フェーデ）を制限・禁止することを目的としたものです。スイスの国民意識が高まった15世紀中頃には、伝説的な英雄ヴィルヘルム・テルの物語が広まり始めました。1314年冬、放牧地を巡る争いを発端にシュヴィーツがアインジーデルン修道院を襲撃したことに対し、ハプスブルク家のフリードリヒ美王は1315年11月に大軍を率いて侵攻しますが、モルガルテン山からの奇襲攻撃により敗退しました（モルガルテンの戦い）。1499年には、皇帝マクシミリアン1世が旧領回復を目指して仕掛けた戦争（シュヴァーベン戦争）を盟約者団が撃退し、これによりスイスは事実上神聖ローマ帝国から独立を果たしました。1513年にはアペンツェルが同盟に加わり、今日のスイス連邦の基礎となる13州による同盟体制（十三邦同盟）が確立され、この体制は1798年まで維持されました。
ヨーロッパ有数の軍事力を持つに至ったスイスは、イタリア戦争にも介入します。1513年のノヴァーラの戦いではフランス軍に大勝し、ミラノを中心とするロンバルディア地方での覇権を確立したかに見えました。しかし、1515年にフランスでフランソワ1世が即位すると、同年マリニャーノの戦いで盟約者団はこの新王に敗れ、南方への勢力拡大の夢は潰えることとなりました。
ツヴィングリの改革
チューリッヒの教区説教者だったフルドリッヒ・ツヴィングリは、説教において伝統的なラテン語聖書（ヴルガタ）ではなく、エラスムスの校訂によるギリシア語新約聖書を使用しました。旧来のカトリック的信仰を支持する人々との間に次第に溝が生じ、ドイツの広大な領邦とは異なり、自治権を持つ州（カントン、当時は「邦」とも呼ばれた）という狭小な地域共同体内部での対立は急速に激化しました。
1522年3月、四旬節の断食期間中にもかかわらず、ツヴィングリの支持者たちが集まってソーセージを食べ、「聖書のみ」という考えを実践しました。さらにツヴィングリが「食物の選択と自由」に関する説教を行うと、チューリッヒ市参事会がこれを支持し、チューリッヒはツヴィングリの福音主義改革の拠点となります。ツヴィングリはコンスタンツ司教に宛てた書簡で「聖書のみ」を規範とすべきことを明確に主張しました。ツヴィングリ派とカトリック派の対立が激化したため、チューリッヒ市参事会は1523年1月に公開討論を開催します。ツヴィングリは『67カ条の提題』の中で「聖書のみ」の原則を改めて表明し、聖書に根拠がない教皇制度、祝祭日、修道制、独身制、煉獄などを批判しました。同時に、教会の監督は信徒の集まりが行うべきだとし、市参事会による宗教の管理を事実上正当化しました。さらに社会倫理に関する説教を通じて、その後のチューリッヒにおける改革が、都市共同体という政治秩序の積極的な関与のもとで行われる枠組みを確立しました。1524年6月には市内の聖像画や聖遺物、ステンドグラスが撤去され、12月にはすべての修道院が閉鎖されてその資産は州に接収されました。そして1525年3月からはミサが完全に廃止され、福音主義の聖晩餐に置き換えられました。同年6月には福音主義の司祭育成のため、カロリーヌムが開設されました。
しかし、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンなどの保守的なカントンは、チューリッヒに旧来の信仰への復帰を求め、チューリッヒを異端として同盟からの追放を宣言しました。これに対し、1528年1月には有力なベルンが福音主義に転じ、1529年2月にはバーゼルでも民衆蜂起により福音主義が勝利しました。同盟外では、ザンクト・ガレンやコンスタンツでも福音主義の影響力が増し、福音主義のカントンと同盟を結びました。これを見たカトリック派のカントンも、宿敵であるハプスブルク家を巻き込んで軍事同盟を結成し、1529年6月、両派はカッペルの野で対峙しました（第一次カッペル戦争）。戦いが避けられない状況でしたが、両者は歩み寄り、「現状維持」を約束する和睦が成立しました（第一次カッペル和議）。これにより、福音主義に転向したカントンはその信仰を認められましたが、カトリックのカントンへの布教は許されず、その逆も同様とされました。ここに信仰の「属地主義」、すなわち「その地を支配する者の宗教が、その地の宗教となる（Cujus regio, ejus religio）」という原則が認められ、スイスは他のヨーロッパ諸国に先駆けて改革派とカトリックが共存する地域となりました。
ツヴィングリは現状維持に満足せず、福音主義の宣教を軍事的手段によっても実現すべきだと考えるようになります。一方、ドイツのルター派は皇帝からの圧迫を受けており、同盟相手を必要としていました。この利害の一致から、1529年10月、ヘッセン方伯フィリップの仲介により、マールブルク城でルターとツヴィングリの会談（マールブルク会）が開かれました。軍事同盟と教義の一致が議論されましたが、多くの点で一致が見られたにもかかわらず、最終的には聖餐論を巡って激しく対立し、合意に至りませんでした。ルターは聖体拝領のパンと葡萄酒の中にキリストが実在するという「両体共存説」を主張しましたが、ツヴィングリはパンと葡萄酒は単なる象徴であると考えていたためです。
ツヴィングリはその後もカトリック諸州の軍事的制圧を強く主張しましたが、ベルンをはじめとする同盟諸邦の同意を得られず、ベルンの提案に従ってカトリック諸州に対する経済封鎖が実施されるに留まりました。この経済封鎖によりカトリック諸州はたちまち困窮し、軍事力に訴えることを余儀なくされます。1531年10月4日、カトリック諸州は再びカッペルに進軍し（第二次カッペル戦争）、ツヴィングリは自らチューリッヒ市民軍を率いて迎え撃ちましたが、数に劣る市民軍は敗れ、混戦の中でツヴィングリは戦死しました。しかし、その後福音主義派は反撃し、第一次カッペル和議をほぼ踏襲した第二次カッペル和議が締結され、スイスにおける宗教の属地主義が改めて確認されました。スイスにおける福音主義の運動は、ツヴィングリの後継者ブリンガーに引き継がれ、カルヴァンの登場を待つことになります。
ツヴィングリはルターやカルヴァンと並び、宗教改革において重要な役割を果たしました。ツヴィングリの思想にはルターとの共通点が多く見られるものの、ルターとは異なり人文主義やスコラ学からの影響が顕著であり、ルターの亜流とは言えません。特にアウグスト・フランツェンによれば、ツヴィングリがルターの影響を受けたのは1519年のライプツィヒ討論以降の限定的なものであり、1522年まではエラスムスの影響が強いとされています。北ドイツの宗教改革と比較して、スイスの改革には人文主義の強い影響が認められます。
ツヴィングリの福音主義思想で、ルターと明確に異なる点はその実践的な性格です。ルターが個人的な深い宗教的探求からカトリックを批判したのに対し、ツヴィングリは生活上の習慣や社会通念における誤った宗教理解を批判するという、より実践的な観点から改革を進めました。聖書に根拠のない聖人崇拝、修道制、独身制などは廃止されるべきであり、生活全般が聖書のみによって規定されるべきだと考えました。そして、宗教を含む生活の監督は、教会ではなく住民の自治組織（信徒の集まり）によって行われるべきだとし、このような自治組織の権威は神に由来し、聖書の解釈を行う権威さえも持つと考えました。ツヴィングリの晩年には、彼の信仰告白を受け入れる都市はスイスやドイツ南部に広がっていましたが、彼の死後、それらの多くはカルヴィニズムへと吸収されていきました。
カルヴァンの改革
1536年、ジュネーヴに滞在していたカルヴァンは、福音主義改革を進めようとしていたヴィルヘルム・ファレルから支援を懇請され、これに応じました。この年の5月、ベルンの支援を受けてジュネーヴは福音主義への転換を決定しましたが、改革は始まったばかりで方針も定まっていませんでした。1537年1月、カルヴァンらの牧師団は市参事会に教会改革案を提出します。新しい「信仰告白」を含むカテキズムがすぐに刊行され、市民はこれに対する宣誓を求められました。しかし、カルヴァンらがこの「信仰告白」の遵守を厳しく監督したことから、市民の間に改革への反発が生じました。また、市参事会は当初から、カルヴァンらの主張の中に教会権力を世俗の権力から独立させようとする意図があることに気づいていました。1538年4月、新しい市参事会が発足すると、カルヴァンとファレルは追放され、カルヴァンはマルティン・ブツァーの勧めによりストラスブールのフランス人難民教会の説教師を務めることになります。この間、1539年にカルヴァンはビューレンのイデレッテと結婚しました。ジュネーヴで再び福音主義派が勢いを盛り返すと、カルヴァンは再招聘され、1541年9月13日にジュネーヴへと帰還しました。帰任後間もなく、9月20日には「教会規定」を立法化し、牧師、教師、長老、執事という四つの職を定め、「神権政治」と呼ばれる体制を開始しました。牧師と教師は説教などを通じて信徒を導く役割を担い、聖書解釈に関する問題などを定期的に審議しました。長老は牧師、教師と共に監督院を組織し、市内の各家庭に自由に立ち入る権限を持ち、市民生活全般を監督しました。執事は教会の施設の管理や貧困者の救援を担当しました。
「神権政治」開始後の最初の5年間で、56件の死刑判決と78件の追放が行われるなど、反対派は徹底的に抑圧されました。1559年には神学大学が設立され、プロテスタント系の神学大学としてはすぐにヴィッテンベルク大学を凌ぐほどの勢いとなりました。カルヴァンの死後、1566年にはツヴィングリ派との合同が実現し、スイスの改革派は統一され、その勢力を強めました。ツヴィングリ派から分かれて発展した再洗礼派は、その信仰を共有する者のみで共同体を形成しようとし、農村部では自治運動と結びつくこともありました。カルヴァン主義はやがてフランスに広まって組織化され、ユグノー戦争を引き起こし、スコットランドでは1560年に国教会の地位を獲得するなど、国際的に大きな影響を与えました。
1600年頃には、カトリックとプロテスタントそれぞれのカントンのみによる分離会議が開かれる状況でした。しかし、この対立の中でも、民衆に愛された演劇などを通じて、スイス人としての自由と協調に基づいた国民意識が存在していたことがうかがえます。彼らにとって、ヴィルヘルム・テルやニコラウス・フォン・フリューエは、変わらず「古き良き盟約者団」の象徴であり、国民的英雄であり続けました。
カルヴァンの政治思想
カルヴァンの政治思想には二つの主要な点があります。一つは教会を世俗の権力から独立させること、もう一つは世俗権力が教会の目的に奉仕するように導くことです。彼は教権と俗権という「二本の剣」は切り離せない関係にあるが、明確に区別されるべきだと述べました。
カルヴァンはアウグスティヌスの考えを踏襲し、教会を神によって定められた独自の権威を持つものと考えました。彼はこの世には「見える教会」と「見えない教会」があるとし、「見えない教会」は真の信徒によって構成される精神的な共同体であり、時間と空間の制約を受けないとしました。一方、「見える教会」は信徒が集まり、礼拝や説教が行われる場所であり、この教会には必ずしも完全な信仰を持つ者ばかりではないため、全ての構成員を完全な信仰へと導くために規律が必要であり、内部に政治が必要であるとしました。このため、教会の指導者たちは道徳を含む世俗的な問題についても判断を下すことができると考えられました。
他方、世俗権力である国家は、真の宗教、すなわち正しい信仰を広めるための機関であると位置づけました。既存国家の中には必ずしも完全な信仰と一致しない場合もあるが、そのような国家権力に対して反抗することは絶対に許されないと主張しました。もし抵抗を認めれば無秩序に陥る恐れがあること、また、そもそも誤った状態は神の力によって長く続くことはないと考えられるからです。しかし、カルヴァンは、理不尽な権力者に対しては殺害も許されるとしたユグノー派のモナルコマキ（暴君放伐論）の政治理論の先駆けとも評されています。
スイスにおける宗教改革は、その独自の歴史的・政治的文脈の中で展開され、単なる信仰上の改革に留まらず、国家の枠組みや社会構造、そして後のヨーロッパ思想にも大きな影響を与えました。プロテスタントとカトリックの共存を比較的早期に実現したこと、そして都市共同体や州（カントン）といった自治組織が改革の主体となった点は、スイスの宗教改革の際立った特徴と言えるでしょう。
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