ビント・アンム婚

ビント・アンム婚（بنت عم）

ビント・アンム婚とは、イスラーム世界において広く見られる婚姻形態の一つであり、特に「父方平行いとこ」、すなわち父方の男性の娘（父方おじの娘）との間で行われる結婚を指します。

概要

アラブ諸国を中心とする中東地域では、古くから親族間の結婚、特にいとこ同士の婚姻が伝統的に尊重されてきました。中でも、父方のいとこにあたる「ビント・アンム」（父方おじの娘）との結婚は、理想的な選択肢として重要視される傾向があります。ただし、実際には父方か母方かに関わらず、一般的な「いとこ」との結婚が、全く血縁のない相手との婚姻に比べて好ましいとされる風潮が根強く存在します。

このようないわゆる「いとこ婚」は、アラビア半島の遊牧民社会に限られた文化ではありません。エジプト、イラク、イラン、シリアといった定住社会や、パキスタン、アフガニスタンなどの地域（パシュトゥーン人、バルーチュ人など）でも広く実践されている慣習であり、その歴史は極めて古代にまで遡ると考えられています。これらの地域社会では、いとこ婚の頻度が高いことが指摘されており、集団内部での結びつきを重視する内婚志向の表れと見なされています。

ビント・アンム婚が総婚姻数に占める割合は、地域によって大きな差が見られます。例えば、クルディスタン地方の特定の部族地域では実に約43％に達する一方で、レバノンではわずか2％程度にとどまるという報告もあります。社会学者リチャード・アントーンは、イスラーム世界全体におけるビント・アンム婚の割合をおよそ10％から15％と推定しています。さらに具体的なデータとしては、エジプトでは婚姻全体の20％近く、スーダンでは驚くべきことに80％がいとこ婚であるという調査結果も存在します。

意義と利点

ビント・アンム婚が選好される背景には、いくつかの社会経済的、文化的な理由が存在します。主な動機の一つは、家族、特に男系親族の系統内で代々受け継がれる財産を、外部の血縁関係に流出させることなく保持しようとする意図です。また、幼少期から互いを知っているいとこ同士という近しい関係性から、配偶者間の地位や社会的背景が比較的対等であることが保証されやすいという側面も指摘されます。

イスラーム社会の伝統的な婚姻習慣として、夫側から妻側へ支払われる結納金にあたる「婚資（マハル）」の存在があります。近親者同士の結婚の場合、このマハルの金額が、全く血縁のない相手との結婚の場合と比べて半額程度で済むことが多く、結婚にかかる経済的な負担を軽減できるという現実的な利点があります。

加えて、ビント・アンム婚は家族の結びつきをさらに強化し、すでに存在する信頼関係の上に結婚生活を築けるという安心感をもたらします。ビント・アンム婚の割合が高いサウジアラビアなどでは、婚姻後も妻が夫の姓ではなく、元の姓を維持する事例が多く見られる傾向があり、これも家族の連続性や内部の結束を重視する文化を反映している可能性があります。ビント・アンム婚の利点を説くモロッコの有名な格言に、「父の兄弟の娘と結婚した男は、自分で飼っている羊で祭りを祝う者のようだ」というものがあります。これは、身内の者と結婚することで、家族の中に富や名誉、威信が留まり、外部に分散することなく、それを享受できることへの満足感や慶びを表現しています。

歴史的背景

いとこ婚は、イスラーム法の根幹をなすシャリーアにおいて、合法的な婚姻形態として明確に認められています。イスラームの聖典であるクルアーン（部族連合章）には、預言者ムハンマドがいとこと結婚することが許容されていることを示唆する記述が存在し、これが法的な根拠の一つとなっています。

イスラームの黎明期における共同体の指導者たちの中にも、いとこ婚やそれに類する血縁婚を実践した人物が多く見られます。例えば、預言者ムハンマド自身も、父方の従妹であるザイナブ・ビント・ジャフシュと結婚しました。また、第2代正統カリフとして知られるウマル・イブン・ハッターブも、父方の従妹であるアティーカ・ビント・ザイドと婚姻を結んでいます。シーア派において特別な位置を占める初代イマーム、アリー・イブン・アビー・ターリブは、父方の従兄にあたる預言者ムハンマドの娘、ファーティマと結婚し、イスラーム史において極めて重要な役割を果たす息子たち、ハサンとフサインをもうけました。

近現代においても、ビント・アンム婚を含むいとこ婚の慣習は続いています。イラク共和国の元大統領であったサッダーム・フセインは、父方の従妹であるサージダ・ハイラッラーを最初の妻としました。厳格なイスラーム主義者として知られるサラフィー主義者の間でもこの傾向は見られ、国際的なテロ組織アルカイダの創設者ウサーマ・ビン・ラーディンも、父方の従妹であるナジワ・ガネムと結婚し、彼女との間に11人の子供をもうけたことが知られています。これらの事例は、ビント・アンム婚が単に過去の慣習にとどまらず、現代のイスラーム社会においても一部で影響力を持ち続けていることを物語っています。

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